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鎌倉郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神奈川県鎌倉郡の範囲

鎌倉郡(かまくらぐん)は、神奈川県相模国)にあった

概要

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郡に所属する町村の数には時代によって変動が見られるが、近代以前は概ね80か村程度(幕末には89町村)所属し、郡高は2万強程度だったようである。

廃藩置県以降、次第に周辺のに吸収合併されて郡域は縮小し、1948年(昭和23年)6月1日大船町が鎌倉市に編入されたことによって所属する町村がなくなり消滅した。

郡域

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地理的には、境川以東の柏尾川流域が主な郡域であった。

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域に相当する。

上記のほか、古くは逗子市全域、葉山町北部も含まれていた。これらは後年、相模国三浦郡に編入された。

隣接していた郡

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行政区画として発足した当時に隣接していた郡は以下の通り。

有史から江戸時代まで

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古代

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古事記」によれば、倭建命日本武尊)の子・足鏡別王は、「鎌倉之別…之祖也」とあり、現在の鎌倉市域から三浦半島付近は「鎌倉別(かまくらのわけ)」という古代豪族の拠点だったと考えられている。鎌倉周辺の丘陵では、古墳時代には横穴墓群が多く形成されている(鎌倉型横穴墓を参照)[1]

奈良時代平安時代郡衙鎌倉郷鎌倉里、現在の鎌倉市御成町一帯(鎌倉市立御成小学校・鎌倉市役所のあたり、旧鎌倉御用邸跡地)に所在する今小路西遺跡と推定されており、小学校内の発掘調査により巨大な掘立柱建物群が検出され、租税を書き付けた「天平5年(733年)」銘の木簡が出土している[2]

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源順の『和名類聚抄』によると、平安時代中期に鎌倉郡にあった郷は以下の通り。

式内社

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延喜式神名帳に記される郡内の式内社

Template:相模国鎌倉郡の式内社一覧
神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
凡例を表示

中世

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後北条氏は、分国相模を西郡、中郡、東郡とし、古代以来の三浦郡と合わせて統治した。相模川以東の高座郡と鎌倉郡は東郡とよばれた。近世初頭まで用いられたようである。

近世

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江戸時代徳川光圀が著した「新編鎌倉志」には「谷七郷」が記載されている[3]。谷七郷の郷名と相当する現在の地名は以下の通り。

近代以降

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町村制以前の沿革

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  • 1867年(慶応3年) - それまでは海防の関係から陸奥会津藩武蔵川越藩長門萩藩肥後熊本藩等が郡内を管轄していたが、ほぼ全域が幕府領となり、代官江川太郎左衛門支配所(韮山代官所)の管轄となる。
  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。幕府領は、ほぼ全域を代官・江川太郎左衛門支配所、ごく一部を代官・松村忠四郎(長為)支配所、浦賀奉行所が管轄した。村と記載されている戸塚町、吉田町をそれぞれ町として数えると、4町85村が存在した。
知行 村数 村名
幕府領 幕府領(江川支配所) 1町34村 藤沢宿ノ内・大鋸町、山谷新田、小塚村、弥勒寺村、寺分村、梶原村、常葉村、上町屋村、笛田村、●片瀬村、腰越村、津村、川名村、●手広村、●長谷村、坂ノ下村、●小町村、●雪ノ下村、●扇ヶ谷村、谷合四ヶ村(十二所村、西御門村、二階堂村、浄妙寺村のうち幕府領を指す)、●山ノ内村、峠村、小菅ヶ谷村、桂村、○今泉村、●岩瀬村、公田村、鍛冶ヶ谷村、●中之村、●上之村、飯島村、上野庭村、○下野庭村、下倉田村、二ツ橋村
幕府領(松村支配所) 1町2村 戸塚村、吉田村、矢部町(それぞれ戸塚宿のうち戸塚町、吉田町、矢部町を指す)
幕府領(江川支配所・浦賀奉行所) 1村 台村
旗本領 32村 上俣野村、東俣野村、関谷村、岡本村、○植木村、●城廻村、高谷村、小袋谷村、金井村、小雀村、長尾台村、上倉田村、●舞岡村、上柏尾村、下柏尾村、平戸村、品濃村、前山田村、●後山田村、秋葉村、●名瀬村、●上矢部村、宮沢村、●阿久和村、下飯田村、和泉村、上飯田村、汲沢村、●岡津村、深谷村、中田村、●原宿村
幕府領・旗本領 7村 ●渡内村、宮ノ前村、山崎村、大船村、長沼村、永谷村、●瀬谷村
藩領 下野烏山藩 1村 柄沢村
下総生実藩 1村 笠間村
幕府領・藩領 烏山藩・幕府領・旗本領 1村 田谷村
その他 寺社領 8村 西村、江ノ島(町および村は称さない)、極楽寺村、乱橋村/材木座村、大町村、○十二所村、西御門村、二階堂村、浄妙寺村
  • 慶応4年(1868年
  • 明治元年(1868年)9月21日 - 神奈川府が神奈川県に改称。
  • 明治2年(1869年2月9日 - 武蔵知県事の一部事務を品川県が引き継ぐ。
  • 明治4年(1871年
    • 1月15日 - 寺社領の上知が決定され、府・藩・県のいずれかに所属することが定められる。英勝寺をはじめ、水戸徳川家と縁の深い寺社領が多い、扇ヶ谷村(寺社領のみ)・谷合四ヶ村・山ノ内村・峠村・十二所村・西御門村・二階堂村・浄妙寺村・大船村・小袋谷村・台村が水戸藩の管轄となったのはこの頃と推測されるが、実施日は不明。
    • 7月14日 - 廃藩置県により、藩領が水戸県烏山県生実県となる。
    • 11月14日 - 全域が神奈川県の管轄となる(日付は太政官布告のもので、実施日は不明)。
    • 西村が西富町に改称。(5町84村)
  • 明治11年(1878年11月18日 - 郡区町村編制法の神奈川県での施行により、行政区画としての鎌倉郡が発足。郡役所が戸塚駅吉田町(後に戸塚町、現・横浜市戸塚区)に設置。
  • 明治15年(1882年) - 大鋸町、西富町が「藤沢駅」を冠称。

町村制以降の沿革

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1.戸塚町 2.中川村 3.川上村 4.永野村 5.豊田村 6.本郷村 7.小坂村 8.玉縄村 9.西鎌倉村 10.東鎌倉村 11.腰越津村 12.川口村 13.深沢村 14.村岡村 15.長尾村 16.俣野村 17.富士見村 18.中和田村 19.瀬谷村 20.藤沢大富町(青:鎌倉市 紫:横浜市 赤:藤沢市)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(2町18村)
    • 戸塚町戸塚宿(戸塚町、吉田町、矢部町)(現・横浜市戸塚区)
    • 中川村 ←阿久和村(現・横浜市瀬谷区、泉区)、岡津村(現・横浜市泉区)、上矢部村、名瀬村、秋葉村(現・横浜市戸塚区)
    • 川上村 ←上柏尾村、下柏尾村、前山田村、後山田村、品濃村、舞岡村、平戸村(現・横浜市戸塚区)
    • 永野村 ←永谷村、上野庭村、下野庭村、平戸村[一部:飛び地](現・横浜市港南区)
    • 豊田村 ←長沼村、飯島村(現・横浜市栄区)、上倉田村、下倉田村(現・横浜市戸塚区)
    • 本郷村 ←中野村、上野村、笠間村、桂村、公田村、小菅ヶ谷村、鍛冶ヶ谷村(現・横浜市栄区)
    • 小坂村 ←大船村、小袋谷村、台村、今泉村、岩瀬村、山内村(現・鎌倉市)
    • 玉縄村 ←岡本村、城廻村、植木村、関谷村(現・鎌倉市)
    • 西鎌倉村 ←長谷村、坂ノ下村、極楽寺村、乱橋材木座村、大町村[一部](現・鎌倉市)
    • 東鎌倉村 ←小町村、大町村、雪ノ下村、西御門村、浄明寺村、二階堂村、十二所村、扇ヶ谷村、乱橋材木座村[一部]、極楽寺村[一部](現・鎌倉市)、峠村(現・横浜市金沢区)
    • 腰越津村 ←腰越村、津村(現・鎌倉市)
    • 川口村 ←片瀬村、江島村[4](現・藤沢市)
    • 深沢村 ←梶原村、手広村、笛田村、寺分村、上町屋村、山崎村、常盤村(現・鎌倉市)
    • 村岡村 ←弥勒寺村、小塚村、宮前村、高谷村、渡内村、柄沢村、川名村(現・藤沢市)
    • 長尾村 ←金井村、田谷村、長尾台村(現・横浜市栄区)、小雀村(現・横浜市戸塚区)
    • 俣野村 ←上俣野村、東俣野村、山谷新田、城廻村[一部](現・横浜市戸塚区)
    • 富士見村 ←原宿村、深谷村、汲沢村(現・横浜市戸塚区)
    • 中和田村 ←和泉村、中田村、上飯田村、下飯田村、高座郡上和田村[一部]、高座郡今田村[一部](現・横浜市泉区)
    • 瀬谷村 ←二ッ橋村、宮沢村、瀬谷村(現・横浜市瀬谷区)
    • 藤沢大富町 ←藤沢駅大鋸町、藤沢駅西富町(現・藤沢市)
  • 明治27年(1894年7月7日 - 西鎌倉村と東鎌倉村が合併して町制を施行し、鎌倉町が発足。(3町16村)
  • 明治30年(1897年) - 鎌倉町のうち大字峠が久良岐郡六浦荘村に編入。
  • 明治32年(1899年7月1日 - 郡制を施行。
  • 明治40年(1907年)10月1日 - 藤沢大富町が高座郡藤沢大坂町に編入(現在の藤沢市)。(2町16村)
  • 大正4年(1915年8月1日 - 長尾村が分割され、東部(大字金井・田谷・長尾台)が豊田村に編入、西部(大字小雀)は俣野村および富士見村と合併して大正村が発足。(2町13村)
  • 昭和6年(1931年1月1日 - 腰越津村が町制を施行し、腰越町と改称。(3町12村)
  • 昭和8年(1933年
    • 2月11日 - 小坂村が町制を施行し、大船町と改称。(4町11村)
    • 4月1日 - 玉縄村が大船町に編入される。川口村が町制を施行し、片瀬町と改称。(5町9村)
  • 1936年(昭和11年)10月1日 - 永野村が横浜市に編入。中区の一部となる。(5町8村)
  • 昭和14年(1939年
    • 4月1日 - 戸塚町、中川村、川上村、豊田村、本郷村、中和田村、瀬谷村、大正村が横浜市に編入。同区域に戸塚区を設置。(4町2村)
    • 11月3日 - 鎌倉町と腰越町が合併して市制を施行し、鎌倉市が発足。郡より離脱。(2町2村)
  • 昭和16年(1941年6月1日 - 村岡村が藤沢市に編入。(2町1村)
  • 昭和22年(1947年)4月1日 - 片瀬町が藤沢市に編入[5]。(1町1村)
  • 昭和23年(1948年
    • 1月1日 - 深沢村が鎌倉市に編入[6]。(1町)
    • 6月1日 - 大船町が鎌倉市に編入[7]。同日鎌倉郡消滅。


変遷表

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自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和24年 昭和25年 - 現在
戸塚宿 戸塚町 戸塚町 戸塚町 昭和14年4月1日
横浜市に編入
横浜市 横浜市
矢部町
吉田町
阿久和村 中川村 中川村 中川村 昭和14年4月1日
横浜市に編入
岡津村
上矢部村
名瀬村
秋葉村
長沼村 豊田村 豊田村 豊田村 豊田村 昭和14年4月1日
横浜市に編入
飯島村
上倉田村
下倉田村
長尾台村 長尾村 大正4年8月1日
豊田村に編入
金井村
田谷村
小雀村 大正4年8月1日
大正村
大正村 昭和14年4月1日
横浜市に編入
上俣野村 俣野村
東俣野村
山野新田
城廻村(一部)
原宿村 富士見村
深谷村
汲沢村
中野村 本郷村 本郷村 本郷村 昭和14年4月1日
横浜市に編入
上野村
笠間村
桂村
公田村
小菅ヶ谷村
鍛冶ヶ谷村
和泉村 中和田村 中和田村 中和田村 昭和14年4月1日
横浜市に編入
中田村
上飯田村
下飯田村
高座郡
上和田村(一部)
高座郡
今田村(一部)
瀬谷村 瀬谷村 瀬谷村 瀬谷村 昭和14年4月1日
横浜市に編入
二ッ橋村
宮沢村
上柏尾村 川上村 川上村 川上村 昭和14年4月1日
横浜市に編入
下柏尾村
前山田村
後山田村
品濃村
舞岡村
平戸村
永野村 永野村 永野村 昭和11年10月1日
横浜市に編入
永谷村
上野庭村
下野庭村
峠村 西鎌倉村 明治27年7月7日
鎌倉町
明治30年久良岐郡
六浦荘村に編入
久良岐郡六浦荘村 昭和11年10月1日
横浜市に編入
長谷村 鎌倉町 鎌倉町 昭和14年11月3日
鎌倉市
鎌倉市 鎌倉市
坂ノ下村
極楽寺村
乱橋材木座村
大町村
東鎌倉村
小町村
雪ノ下村
西御門村
浄明寺村
二階堂村
十二所村
扇ヶ谷村
腰越村 腰越津村 腰越津村 '昭和6年1月1日
町制改称
腰越町
津村
梶原村 深沢村 深沢村 深沢村 昭和23年1月1日
鎌倉市に編入
手広村
笛田村
寺分村
上町屋村
山崎村
常盤村
大船村 小坂村 小坂村 昭和8年2月11日
町制改称
大船町
大船町 昭和23年6月1日
鎌倉市に編入
小袋谷村
台村
今泉村
岩瀬村
山内村
岡本村 玉縄村 玉縄村 昭和8年4月1日
大船町に編入
城廻村
植木村
関谷村
藤沢駅大鋸町 藤沢大富町 明治40年10月1日
高座郡藤沢大坂町に編入
藤沢町 藤沢市 藤沢市 藤沢市
藤沢駅西富町
弥勒寺村 村岡村 村岡村 村岡村 昭和16年6月1日
藤沢市に編入
小塚村
宮前村
高谷村
渡内村
柄沢村
川名村
片瀬村 川口村 川口村 昭和8年4月1日
町制改称
片瀬町
片瀬町 昭和22年4月1日
藤沢市に編入
江島村

行政

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歴代郡長

『神奈川県史 別編1 人物』による[8]

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 山本庄太郎 明治11年(1878年)11月18日 明治12年(1879年)9月
2 飯島憲章 明治12年(1879年)9月 明治16年(1883年)9月
3 中山信明 明治16年(1883年)9月
内田亮坪
白根鼎三
青木往晴 明治33年(1900年)12月
荒木義諦 明治33年(1900年)12月 明治35年(1902年)4月
曽根盛鎮 明治35年(1902年)4月 明治38年(1905年)
原田千之介 明治38年(1905年)1月 明治45年(1912年)5月
北野右一 明治45年(1912年)5月
隈元清世
藤田傊治郎
服部良太郎
茂義孫
伊東義尚 大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

その他

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旧鎌倉郡域内で栽培・収穫された物や生産・加工等された製品は「鎌倉○○」(例:鎌倉やさい[9])と呼ばれることがある。

脚注

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  1. ^ 鎌倉歴史文化交流館 2021 pp.32-33
  2. ^ 鎌倉歴史文化交流館 2021 pp.50-53
  3. ^ 新編鎌倉志.
  4. ^ 「江島村」の表記は、参謀本部測量局明治20年測図二万分一地形図「江ノ島」にしたがった。
  5. ^ 同年4月17日、神奈川県告示第145号
  6. ^ 同年1月17日、神奈川県公告
  7. ^ 同年7月7日、総理庁告示第139号
  8. ^ 神奈川県県民部県史編集室 1983, 付表51頁.
  9. ^ 鎌倉の農業について”. 2020年12月5日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 源順 撰『倭名類聚抄』20巻[3]NDLJP:2544218
  • 河井恒久 等編 編「新編鎌倉志巻之一 鎌倉大意」『大日本地誌大系』 第5冊、大日本地誌大系刊行会、1915年、1-3頁。NDLJP:952770/15 
  • 清水正健 編『荘園志料』下巻 帝都出版社 1933 NDLJP:1917930
  • 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 14 神奈川県、角川書店、1984年6月1日。ISBN 4040011406 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 鎌倉歴史文化交流館 2021『頼朝以前~源頼朝はなぜ鎌倉を選んだか~』(2021年鎌倉歴史文化交流館企画展「頼朝以前」展示図録)

関連項目

[編集]
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