Beginning
二次創作が増えすぎたオタク界隈においてコミックマーケットが開催されるゆようになってすでに半世紀が過ぎていた。
一次創作物のまわりの巨大な界隈はオタクの第二の故郷となり、人々はそこで作品を産み、育て、そして死んでいった。
スタジオ・カラーは Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)のテレビ放映に先駆けて劇場版を仕向けてきた。
この二週間余りの上映で流れてくるネタバレは余りにも少なかった。
カラーはオタクらの行為に恐怖した。
感想は膠着状態に入り、一ヶ月余りが過ぎた
機動戦士ガンダムを見る
ジークアクスの上映開始から一ヶ月経つが、あまりにもネタバレが流れてこない。テレビ放映で見る予定だったが、気になったので劇場へ見に行くことにした。
ネタバレが流れてこないとはいうものの、SNS などから垣間見えるポストや庵野秀明が関わっていることから機動戦士ガンダムのオマージュがふんだんに盛り込まれているのだろうとは察しが付いていた。まさか、冒頭から「僕の考えた最強の一年戦争」を見せつけ映画見終わってから、とりあえずアマプラで機動戦士ガンダムの第一話を見直したよね。
一年戦争パートが終わると絵柄がカラッと変わり、現代日本風っぽいサイド6が舞台となる。セリフもなんだか軽い。親近感は湧くが未来感はない。ただ、機動戦士ガンダムもハヤトが柔道をやっていたり、アムロがデニムを着ていたりと日常に親近感は湧くが未来感はない。むしろ、マニュアルが紙でコンソールもブラウン管のため、今から見ると古臭ささすら感じる。ジークアクスにはスマホが登場するが、SF感よりも親近感を出す狙いだろう。
庵野秀明が関わる作品で電線が出てくるのはある種のお約束だが、それもスラム街の住人が勝手に引いてると納得できなくはない。
一年戦争パートで印象に残ったことは色々あるが、ガルマやマ・クベが生きていることに驚きつつ、ドズルはやっぱり死ぬんだなと。ガンダムを手に入れたシャアは戦局を有利に運べた代わりに、ザビ家への復習は果たせなかったと見える。
アムロがガンダムに搭乗しなかった世界線では、セイラが連邦のエースパイロットであることに納得しつつ、姿も見せずフェード・アウトしたのは笑ってしまった。
妹であるセイラのニュータイプ能力の高さ、サイド7に自ら乗り込む勘の良さ、ビットの扱いなどを見るに、シャアのニュータイプ能力が高い世界線なのかもしれない。
テレビ放映は構成が異なる?
一年戦争パートは、シン・ウルトラマンでのウルトラQ部分に相当するが、それにしては長い。テレビ 放映でまるまる一話使ってやるのはインパクトあるものの、流石に機動戦士ガンダムを見ていない人には置いてけぼり過ぎるだろう。劇場でも置いてけぼりを喰らってる人がいるはずだ。 かといって、一年戦争パートをやらないとシャリア・ブルの影が余りにも薄すぎる。機動戦士ガンダムでも薄すぎるのに。
一方で あの時間、必要でした? 『機動戦士ガンダム ジークアクス Beginning』 ネタバレ有感想 |ビッテン と問われるといるやろがい!と返す。
劇場版はテレビ放映版を再構築したものらしい。つまり、放映時とは構成が異なる可能性が高い。たとえば、一年戦争を A パート、その後を B パートとし、並行しながら進める展開はありそうだ。そうすると、シャリア・ブルがシャアや赤いガンダムに拘る理由、アマテ・ユズリハが見たキラキラなどが徐々に明らかになっていきワクワク感が継続しそうだ。
劇場版を見た限りでは、今後の展開は良く分からない。明確な敵も存在していない。恐らくギレンが生きているため、それを打破しニュータイプによる新しい世界の構築を目指すのがガンダムらしくもある。シャリア・ブルがシャアに拘る理由もそこにありそうな気がする。
もちろん、シャロンの薔薇の謎もストーリーの軸ではあろうが、謎自体は解けないと思っている。庵野秀明のことだから、マクガフィンだろう。
ただまぁ、色々考えたくはなる。シャアが「 刻が見える」と言ってる点でララァが関わっているのだろう。ただ、ジークアクスの世界線のララァなのか、それとも機動戦士ガンダムのララァかは不明だ。シャアが「向こう側から」と呟いてることから、ジークアクスの世界線とは異なるララァによるものだろうか。あるいは、キラキラの方からやって来た「なにか」の可能性もある。もしかしたら、時を超えたのかもしれない。そうすると、赤いガンダムが存在している理由になるだろうか。
個人的には逆襲のシャアのラストにつながっていると面白い。