『ヴィンランド・サガ』はなぜ面白いのか

幸村誠ヴィンランド・サガ』(講談社)は面白すぎる。

以前に記事を書いたのはもう二年も前か…。

この作品、なにがいいってアシェラッドがいいんですよ。狡猾・ニヒル・妙な義理堅さ、悪の魅力とかいうと陳腐ですが、なんか突き抜けちゃってる人ですよ。
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20060409/1144561949

この物語でアシェラッドに注目すべきという認識はいまも変わらない。主人公のトルフィンはまだ未熟で、5巻までのストーリーの背骨を支えてるのは、ほとんどアシェラッドの複雑怪奇にみえる人格によるもの。まあ6巻以降、少しずつ変わっていくことを予感させるけども。
ガンダムのストーリーの背骨をアムロよりシャアが支えていると喩えれば分かりやすいか。

アシェラッドの屈折してみえる性格はみせかけで、実はかれは動機的にはかなり単純な人間であり、優れた主君に仕えたい(5巻P84-85)というのが本当である。トールズに対する発言(2巻P213)はもちろん冗談ではないし、クヌートに対する失望(4巻P213)もそういう動機から来ている。
むとさんとこでこの前コメントしたけど、6巻でクヌートが化けるわけであり、予想以上の化けかたをしたクヌートに喜び、哄笑をあげ(6巻P216-218)、剣を捧げる(6巻P219-221)わけだ。
アシェラッドが屈折してみえる理由は2点の問題に集約されるが、もうすでに物語上で解き明かされている。まず単純なほうのひとつだが、アッサーとの会話(4巻P126-137)でかれの出自の謎として解明されている。
もうひとつは、なぜ父の敵とつけ狙っているトルフィンを側に置いているのかということだが、これは2巻ですでに結論が出ているといえば、出ている。本人が素直に認めることは決してないだろうが、トールズへの哀惜からきているに違いない。
勘のいい人はとっくに気づいているが、アシェラッドとトルフィンのあいだには疑似父子関係が成立しており、これは実の父子関係のようにオイディプス的だ。実は単純であるけれど、屈折してみえる関係はここにもあり、トルフィンの「ホ」(6巻P221)に読者はニヤリとせざるをえない。

おそらくトルフィンとその同世代のキャラクターたちがストーリーの背骨を支えられるようになれば、アシェラッドは退場せざるをえないだろう。子の親離れは成長物語の必然だ。しかし僕はトルフィンの子供時代をもっと見ていたいと思ってしまうのだ。

参考:『ヴィンランド・サガ』がおもしろい。(Something Orange)

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