『ファーストキス 1ST KISS』『片思い世界』に刻まれる坂元裕二の新たな“挑戦”
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「好きな人と一緒に年を取るってことは、とてもやっかいなことだ。好きな人と一緒に年を取るってことは、とても素敵なことだ。人はいつも選択を間違って、猿より劣る生き物だけど……だけど、“ああしておけば良かった”、“こうしておけば良かった”を変えられるのは、結局いつだって“今”しかない」
驚いた。驚いて、思わずそのシーンを二度見してしまった。2020年にテレビ朝日系列で放送されたときに観ていたはずだけど、現在NetflixやU-NEXTなどで視聴可能なことに気づいて、単発ドラマ『スイッチ』(脚本:坂元裕二、監督:月川翔)を、ぼんやり眺めていたときのことだ。ドラマの終盤、松たか子演じる弁護士「蔦谷円」の住むタワマンから朝帰りするもうひとりの主人公である検察官・駒月直(阿部サダヲ)が、彼女の部屋を見上げて発するモノローグーーこれ、まんま映画『ファーストキス 1ST KISS』(以下、『ファーストキス』)のテーマではないか。
『ファーストキス』は、15年連れ添った夫・硯駈(松村北斗)を事故で失った妻・硯カンナ(松たか子)が、なぜだか理由はわからないけれど、2人が初めて出会った頃へと何度も何度も「タイムトラベル」を繰り返し、その「結末」を変えるべく奮闘する話だ。「過去」に戻って、思いつく限りの「ああしておけば良かった」「こうしておけば良かった」を実践するカンナ。しかし、冒頭に挙げた『スイッチ』の台詞で語られていたように、それを変えられるのは、結局いつだって……。
その一方で、この映画で繰り返し描かれるカンナのコミカルな「頑張り」は、やがて彼女の心の奥底にあった「ある後悔」を浮かび上がらせ、それがいつしかもうひとつの「目的」として前景化してゆくのだった。15年という年月を経て、いつのまにかすっかり冷え切ってしまった「愛」を、再び温め直そうとすること。あるいは、同じ相手ともう一度恋に落ちること。むしろ、こちらが本筋であり、だからこそ本作は「ラブストーリー」なのだろう。しかし、そんなことが可能なのだろうか?
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ドラマ『最高の離婚』(2013年/フジテレビ系)はもちろん、映画『花束みたいな恋をした』(2021年)を観てきた者たちは、率直に思ってしまうのだ。過去の思い出を「よすが」として、あるいはそこに新しい「何か」を見出して、それを「糧」としながら今現在やこれから先を生きることはできるかもしれないが、不可逆な時間の流れには、何人たりとも抗うことなどできないのだ。では、もし仮に、時間の流れが不可逆でないとしたならば?
恐らく、そこが本作のポイントであり、坂元作品を観続けてきた者たちを、最も驚かせたところだろう。こんな坂元作品は初めて観た! もちろん、「選ばなかった道」あるいは「今とは違う人生」は、これまでの坂元作品の中で、何度も繰り返し言及されてきたことではある。しかし、「それでも、生きてゆく」のが、坂元作品に共通する、ある種の通奏低音ではなかったのか。けれども、本作『ファーストキス』において、どうやら「時間」は「不可逆」なものではない。劇中の台詞ではないけれど、「過去」がミルフィーユのように折り重なって「現在」があるのだ。なるほど、その通りかもしれない。不意にクリームが飛び出し、予想していなかった「甘さ」が、口の中に広がることだってあるだろう。実感としては理解できる。
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ただ、カンナが過去に戻って何かをするたびに生まれてしまう、いくつもの「世界線」については、どのように捉えたら良いのだろうか。しかも、観客が感情移入すべく「主体」として、冒頭からずっと見守ってきたカンナの「世界線」において、その「結果」はどうやら絶対に覆らないのだ。そこで本作は、終盤に差し掛かった頃、実に驚くべき物語的な転換を、とてもシームレスな形で行うのだった。これには本当に驚いた。
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そう、すでに多くの人が指摘しているように、本作の本当の主人公は「カンナ」ではなく、その夫である「カケル」だったのだ。ホテルのベッドで熟睡していたカケルが、リリー・フランキー演じる教授の執拗なノックの音で叩き起こされるシーン。実はここから本当の物語――もっと言うのであれば、物語の主軸となる「世界線」が、最後の「手紙」に至るまで、ようやく描き出されてゆくのだった。映画ではほとんど描かれない「今」を積み上げてゆくこと。否、それを積み上げる「決意」に至るまでの物語、とでも言おうか。真冬の寒い頃に餃子を受け取る「世界線」と、真夏の暑い日に餃子を受け取る「世界線」は明らかに違うのだ。そして、後者の「世界線」こそが、実は本作の主軸であり……それにしても、なんとアクロバティックな物語なのだろうか。