今日は、十三、久しぶりです。※中三日でした。
オオジュリンが少々、ツリスガラがワンチャンス、そんな日でした。同じような写真ばかりですが少し載せます。
4、5羽のグループでした。
なので一枚に複数入ることも。
写っているのはオスばかりですね。
一時間の滞在でワンチャンス。効率のよい日でしたが、やはり、遠い。足もとに来てくれる日はあるのだろうか。滞在日も残り少ないはず。幸運を祈りましょう。
今日も淀川ですが少し上流、豊里大橋から毛馬まで4キロほど歩いて来ました。行く鳥もいればこれからが本番という鳥も。出会った順に。まずは、モズのメス(▼)。
ホオアカのねぐらがある場所なんですが、先日来ショベルカーが入って木も草も掘り起こされています。芝生になるのかなあ、心配です。そこにいたホオジロのメス(▼)。
赤川の水路にいたヨシガモのメス(▼)。
オスは陸地で食事中(▼)。北へ帰る準備でしょうね。たくさん食べてください。
毛馬ではベニマシコのオスが近くまで来てくれました。会えるのもあと少しです。
シロハラもそろそろお別れか(▼)。
これからは私が主役とばかり高らかに囀るウグイス(▼)。
同じくこの世の春を謳歌するヒバリ。地上に降りると草に隠れてしまいます。
どうにも会えないでいたツリスガラですが、淀川に通うこと4度目でどうにか姿をとらえました。が、遠い。中州の葦原ではどうにもならない。証拠写真にも不合格なものばかり。うむ、腕とカメラの限界だな。
怪傑ゾロみたいな立派な過眼線があるからオスですね。
4、5羽のグループでした。
足もとに来てくれるまで、あと2、3度は通うつもり。今月いっぱいはいてくれるでしょう。
カミュの「異邦人」(窪田啓作訳 新潮文庫)を読み終えました。100頁の「変身」が1日、150頁のこちらは2日で読んだ。1日だともったいない気がして。つまりは、面白かった、ということです。
評価:★★
あらすじ:いまさらの感はありますが、
「きょう、ママンが死んだ。」という有名な一文から始まる。これだけならそう問題はないのだが「もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。」と続くのが実はすべてのような。「わからない」と言ってしまう主人公ムルソーは結局はそれがために(とても大切なことなのに聞きもしない、関心もない、そのために)死刑になった、そんな物語です。
ムルソーはフランス領アルジェリアに住んでいる。養老院に預けた母親が亡くなり葬儀をする。その後、元同僚の女性と海水浴で出会い夜を共にする。隣人の女トラブルに巻き込まれる。結果、トラブルの相手であるアラブ人をピストルで撃って逮捕されることになる。ここまでが第一部。ここでの問題点は、母親の死になんの感情もあらわさなかったこと。葬儀の翌日に海水浴をし、女と喜劇映画を見、セックスをしたこと。アラブ人を殺したとき、最初の1発で倒れた相手に向って4発続けて撃ったこと。
第二部は取り調べから裁判、そして死刑執行へ。予審判事、弁護士と話し合うムルソーだが、淡々と対応する。その淡泊さが判事にも弁護士にも理解出来ない。人は普通、助かりたいとか罪を軽くして欲しいとか願うはずなのに、彼は違う。結局、母親の死去の際の他人事(ひとごと:念のため)のような態度が決定的な要因となり死刑が確定する。殺人の罪の軽重ではなく、「母親の死を悼まない、そんな男だから」という理由で、死刑に決まる。
雑感:いくつかの感想を。
母親の通夜の翌々日のこと「日曜日もやれやれ終わった。ママンはもう埋められてしまった。また私は勤めにかえるだろう。結局、何も変わったことはなかったのだ、と私は考えた。」とある。私は共感はしないが、わからなくはない、って、私も死刑の口か・・
裁判で、母親の通夜、葬儀の場でのムルソーの様子を、養老院の院長が証言する。ムルソーが泣かなかったこと、ミルク・コーヒーを飲んだこと、母親の年を答えられなかったことなどが、院長には信ずべからざる言動として認識されていたことがわかる。そしてそのことを重要視する検事がいる。ここで初めてムルソーは感情を波立たせる。「私は泣きたいというばかげた気持ちになった。それは、これらのひとたちにどれほど自分が憎まれているかを感じたからだった。」と。憎まれていたなんて思ってもいなかっただろうその衝撃は大きい。
裁判の途中で「この事件を私抜きで、扱っているような風だった。私の参加なしにすべてが運んで行った。私の意見を徴することなしに、私の運命が決められていた。」と感じる。動かしがたい疎外感を持つムルソー。ここから彼に無力感とか諦めのようなものが沸いてきたようだ。それまではたぶん「自分はただ他人との距離感、世間との距離の取り方が人とは違うんだ。それくらいはわかってもらえるだろう」と思っていたんじゃないか。
裁判の終わりに検事は「あの男(ムルソー)の魂をのぞき込んで見たが、何も見つからなかった。あの男には魂というものは一かけらもない、人間らしいものなど何一つない(後略)」と断じる。ムルソーはその存在を否定されこの世から排除されたのです。死刑宣告よりも残酷な検事の言葉だ。
有名なセリフについて、その①。殺人の動機を聞かれ答えて曰く「それは太陽のせいだ。」と。これはたぶん事実であり、同時に無力感の表れなんだろうな。小説の冒頭から通奏低音の如く太陽が語られる。また「私抜き」で進行する裁判では死刑への道がはっきり見えてきた。その中からのふと出た言葉。奇を衒ったわけでもふざけたわけでも、ましてや哲学したわけでもない、そうとしか言いようのない言葉だったのでしょう。
有名なくだり、その②。最終行「この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。」と。実はここよりもその少し前にある「死に近づいて、ママンはあそこで解放を感じ、全く生きかえるのを感じたに違いなかった。(中略)私もまた、全く生きかえったような思いがしている」と、こちらが肝心かと。死による解放。
思っていたよりもぐいぐいと読ませてくれた。ぜひ「文庫で読む世界文学全集」に入れねばと思っています。さて、そこで『変身』が残った。少し時間を置いたし、同じ「疎外」をキーワードに持つ『異邦人』も読んでみた。が、評価はまたしても保留です。何も閃かないからそっとしておこうと思います。