安藤まなのてきとー日記

22歳 発達障害の母の日記です

親に黙って入籍したら人生最大の修羅場が訪れた話

※7月23日、親に黙って入籍しました

shinnotsuma.hatenablog.com

※7月31日、8月1日、2日に家族旅行が5月くらいから予定されており、その後8月3日、4日、5日に夫が仕事で大阪、京都、名古屋に行く予定があり、どちらも行く予定だったので6日から新居に引っ越す予定だった前提でご覧ください

入籍から人生最大の修羅場まで

7月24日、朝から夫とデート。スカイツリーに登り、その後浅草に行った。楽しかった。夢のような時間だった。だがしかし、家に帰った後重大なことが発覚する。保険証のことだ。親に黙って入籍してしまったのだが、保険が親の扶養に入っていたままだったのだ。既に入籍していて名字が変わっているのですぐに抜けなければならないが、それをやると親に結婚がバレてしまう。絶望に陥った。夜ご飯の前に気づいたので夜ご飯が全く喉を通らなかった。また、この日毎年見ている音楽番組の特番がやっていたのだが全く見られなかった。とにかく絶望に打ちひしがれた。とりあえず夫にLINEし、次の日年金事務所と区役所に行くことにした。

7月25日、年金事務所と区役所に行った。年金の方は全く問題なかった。区役所に行き保険のことを聞いてみるとやはり親の扶養を抜けなければならず、親にバレてしまう可能性が高いとのことだった。2人で絶望した。もうどうしたら良いか分からなかった。8月6日から新居に一緒に住む予定だったのだが、もう明後日家を出てしまおうという意味不明な結論に至った。もう全てから逃げてしまいたかった。

7月26日、母親の仕事が休みだったので実家にいた。昼頃弟と母親とお昼ご飯を食べに行った。全然食べられなかった。母親がさすがに心配して何かあったの?と聞いてきた。母親にはなんでもバレてしまう。最近様子がおかしいことに気づかれていた。母親は何かあると確信を持っているようだったので仕方なく大学の勉強を続けるのが辛いと言った。今度は母親が絶望した。大学辞めてこれからの人生どうするのと言われた。答えられなかった。その後、区で借りていた本があったので返しに行った。ちょうど夕方で学校や幼稚園が終わって自転車で子どもを連れて帰るお母さんたちがいっぱいいた。無性にエモくなってしまいボロボロ泣いてしまった。私もこんな風に大切に育ててもらったのに裏切って行ってしまうのかあと思った。実家にいると辛いことの方が多かったはずなのにいざ出て行くとなると良いところしか思い浮かばなくなってくる。

7月27日、何もやる気が出なかったため夫に家を出るのを明日にしてもらった。1日中どうしたら良いか悩んだ。辛い時間だった。

7月28日、夫が住んでいるシェアハウスまで私の荷物を持って行き、そこから引っ越し先まで知り合いの方の車で向かうことになっていた。シェアハウスまでは電車で行こうと思っていたのだが少し前私と夫と一緒にシェアハウスに住んでいた方が車で実家まで迎えに来てくださった。この日はしょぼい喫茶店で結婚を祝う会を夜にやる予定だったのだが、台風だったため中止にした。シェアハウスに行き、昨日1日考えた結果、やはり当初の予定通り6日から一緒に住むことにしたいと夫に伝えた。この日は知り合いの方の車で夫だけ新居に行き、私の荷物も運んでくれた。夕方ごろ実家に帰ると、台風の中外に行ったのはおかしい。どうして外に出かけたのかと両親に問いただされたため、仕方なく彼氏が出来たと言った。シェアハウスに一緒に住んでいた人でイベント系の仕事をしていると説明したらそんな意味がわからない人辞めなさいと言われた。

7月29日、浅草で夫とデートしたみたいだが何をしたのか覚えていない笑。特に何もしなかったと思う。1人だと色々と不安になってしまうのでなるべく2人で居たかったのだと思う。この日は花火大会があったので家族と花火を見た。子供の頃から見ていた花火大会も見るのはこれで最後になるんだなあとか思った。

7月30日、父の会社に保険のことで電話した。父には内緒で扶養を抜けたいと言った。電話した感じ大丈夫そうだった。それと郵便局に行って転居届を提出した。8月3日から転送してくれるとのことだった。明日からの家族旅行の準備もした。

7月31日、家族旅行1日目。夫との新生活のことが不安すぎて気が動転しており、生まれて初めて携帯電話を紛失した。幸いなことに忘れた場所がほとんど人が来ないパーキングエリアだったため、携帯電話自体はすぐに回収された。旅行中だったため3日の午前中に自宅に届けて欲しいと言ったが、日時指定が出来るか分からないと言われた。ここでまた絶望した。3日の午前中に届かないと、午後には家を出てしまうので携帯電話が回収出来ない。

8月1日、2日 携帯電話と新生活のことで旅行どころではなかった。気が動転したままなんとか旅行をやり過ごしたという感じだ。機嫌もあまり良くなく、家族には非常に申し訳なかった。

8月3日、当初の予定では夫と私のADHDの病院に行った後にもう大阪に向けて出発してしまう予定だった。ここで人生最大の修羅場が訪れることになろうとは…

人生最大の修羅場

8月3日 その日はADHDの治療のために通っている病院の診察日だった。

携帯電話のことなのだが、奇跡的に家を出る前に私の元に帰ってきた。奇跡としか言いようがない。待ち合わせ場所は決めていたのだが、私が勘違いしていたため、その携帯電話が無ければ夫と待ち合わせ場所で会うことすら出来なかった。

私は夫と駅前で待ち合わせて一緒に病院のビルのエレベーターに乗った。
そこに突然母親がエレベーターの中に入ってきた。頭の中が真っ白になった。夫はもちろんその人が誰か分からない。頭が真っ白なま病院に入るとそこに父もいた。もうなにがなんだか…。

ちなみにこの状況を説明しておくと、先程の保健証の件が影響している。保健証の件は父親の会社に電話した時点ではなんとかなると思ったのだが、結局一企業が親に黙って扶養を抜けるなどという異常ムーブを許すはずもなく、電話を取った女性の事務員が父親に娘さんからこんな内容の電話がかかって来ましたと報告してしまったらしい。
そして私が病院に行くために家を出るとき、旅行をするための多きなバックを持って出るのを家にいた母親に見つかってしまい、不審に思った母親が父親に電話。そこで父親から母親に私の電話の内容が伝えられ、母親はこのままでは私と永遠に会えなくなってしまうと瞬時に悟り、慌てて追いかけて来て、父親もこの一大事に会社で仕事をしている場合ではないということで突如会社を早退し、病院に来たというわけだ。確かに私は両親と永遠ではないにしろ、しばらくは会わない予定だったので母親の勘は正しい。つくづく母親って怖いなあ、なんでも分かってしまうなあと思った。

夫は私の両親だと察した時に「お付き合いさせていただいている○○です」と名乗った。両親の反応は「はあ…」(戸惑い)という感じだった。
診察を待っている間、父親が私に「本当に彼と結婚したいと思っているの」と聞いてきた。私は「うん。」と答えた。もう既に入籍していたのだが笑。

診察室には私と両親の3人で入った。両親は「今、結婚したいと言っている彼氏が来ているんですよ」と先生に言っていた。先生はここは治療に来ている病院で治療以外のことは何も出来ないので4人で喫茶店でも言って話して来てください。戻ったら声をかけてください。と言った。

4人で喫茶店で話している時は地獄のような時間だった。最初は両親は結婚していることは知らず、付き合っていて結婚したいと思っているぐらいに思っていた。
唐突に母が「まさか入籍はしていないよね?」と質問してきた。両親から逃げることばかり考えて生きてきた私はこの局面になっても最後まではぐらかそうと思った。しかし、夫が「はい、もう入籍しました。」と言った。私は目の前が真っ暗になった。両親も真っ暗になったと思う。両親の「入籍したあああ?!」が店内に鳴り響いた。その後私の父親はかなり厳しい言葉を浴びせてきた。「結婚しちゃったって… そんなことして許されると思った?」「結婚なんてしたって1つも良いことはない」「これからお付き合いしたいならさせてあげようと思っていたけど結婚しちゃったら話が別だよ」など。要するに絶対に認めない、許さないという感じだ。母親は気が動転してしまったのか私の悪口を矢継ぎ早に言い始めた。「この子は本当に何も出来ない子なんですよ」「通院にお金がかかるし」「ずっーと寝てるし」などなど。あまりのdisり様に私は夫が私の事も私の母の事も嫌いになってしまうのではないかとヒヤヒヤした。それでも夫は「まなさんのことを真剣に守りたいと思っています。」と言ってくれた。それに対して両親は「あなたはそもそもこんなに大事に育てて来て実家が嫌ってことがおかしいと思いませんか?」「この子の我慢がないだけなんですよ」「まなは逃げグセがあって嫌になるとすぐ逃げるんですよ」などと言い始めた。夫は真剣な様子で「そんなことないです」「僕はまなさんを信じています」と言ってくれた(泣)。 両親はそのうち裏切られますよみたいな感じだった。結局話は平行線を辿ったため病院に戻ることになった。2時間くらい話していた。

病院は結構混んでいたため1時間半くらい待たされた。絶望の時間だった。私はもうここの先生には呆れられて見放されて治療終了になり、両親からも見放されて一生会えないかもしれないなどと考えていた。4人全員で俯いて一言も話さなかった。診察室に入って一言目の母の言葉が忘れられない。「もう入籍しちゃったんだそうです…」(呆れと絶望)。額に手を当てて本当に絶望しながら言っていた。それを聞いた先生は予想通りだったのかあまり驚いた様子もなく、色々と質問して来た。ほとんど何も答えられなかった。情けない。その日はもう実家を出て夫と一緒に住む家に行こうとしていた。両親は連れ戻す気だったと思うが先生はそれはもう行っちゃいなさいと言った。
先生が今の状況を冷静に分析し始め、これから私がどうしていくべきかと私の両親がどうやって私を支えていくべきかを話し始めた。そして1ヶ月に1度夫と私の両親が会って私の様子を伝え合うということで話がまとまった。本当によくまとまったな笑。奇跡としか言いようがない。私が1年間治療を真面目にやってきて症状がだいぶ改善されたため両親が先生を信頼していたのが大きかったらしい。先生が真面目に私のことと私の将来、そして両親のことを考えてくれた結果だと思う。それにしてもあまりにもうまく話がまとまりすぎだ。両親と別れてからしばらく夫と2人でぽかーんとしていた笑。

やはり、入籍してしまっていたことが大きいのだと思う。入籍していなかったら私は実家に連れ戻されて外に行くことさえ制限されていただろう。夫がまっすぐに「入籍しました。」と言ってくれたおかげだ。あの時は目の前が真っ暗になったけど。夫は突然会ってしまった私の両親に対しても真摯に向き合おうとしていた。本当に偉い。私とは比べものにならない。

10時からの診察だったのに終わったら17時くらいになっていた。お腹が空いたので駅の中のチェーン店でうどんを一緒に食べた。その後、無事に深夜に大阪に向けて出発しましたとさ。めでたしめでたし。

というか、本当にめでたい。奇跡的に何もかも上手くいった。起こった出来事1つ1つ、どれが無くても新生活は上手く機能しなかったと思う。奇跡としか言いようがない。全てが上手くいってしまった。そして上手くいったまま2ヶ月が過ぎようとしている。本当に奇跡でしかない。神様ありがとう、、、私は幸せです。

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