Wake Up, Girls!について

さて、この週末に、WUG10周年のファイナルツアー配信、ファイナルライブ応援上映がありました。
私は生憎日本にいなくて応援上映は参加できなかったわけなんですが、金曜日からの配信と、応援上映と同じタイミングで円盤を見てひとりで盛り上がることができました。


この一連が本当に楽しくて、懐かしくて、また新しい元気をもらって、明日からもなんとか人生第2章をやっていこうという気持ちになりました。


そんな時、ふと昔Wake Up, Girls!についての熱い思いを水音さんの同人誌に書いてたことがあって、ちょうどOKもらったので自分のブログでも公開しておこうと思います。


Wake Up, Girls!について

+ 1.「忘れないで でも上手に忘れて」

これは、Wake Up, Girls!(以下、WUG)から最後に伝えられたメッセージの一つだ。解散が決まって、最後に新曲が4曲出ることになった。その中の1曲の中のフレーズである。解散が決まってから新曲が出るだけでもありがたいのだが、その曲1つ1つがレクイエムなので、すべて聞くときは泣きながらになるし、フレーズ一つ一つも吟味したくなってしまうのだ。


さて、そんなメッセージ通りに、果たして本当に「上手に忘れる」事ができるのか。新曲が出た2019年の1月、私は不安でしょうがなかった。うまい事忘れて何てことない毎日が戻ってくるのか、それとも忘れられずに悶々とした日々を過ごすのか。


今これを書いているのは2019年の10月。1月に新曲が出て、1月~2月のファイナルツアーパート3、そして3月8日のファイナルライブ。その翌日にメンバー全員分のブログが更新されてWUGは完全に活動を終了した。それから7か月とちょっとの状態である。そんなわけで、機会をもらったので、WUGにハマってた大ファンの1人として、これまで、そしてこれからについてを文章にしてみたいと思う。


+ 2.出会い/ハマったきっかけ

WUGといえば、ヤマカンアニメの功罪みたいな所で語られがちであり、コンテンツとしてのWUGと声優ユニットとしてのWUGそれぞれに複雑な思いを抱えているファンも結構いることは認識している。幸か不幸か私はアニメコンテンツとしてのWUGにほとんど思い入れがない。劇場版は見たものの、最初のテレビシリーズの温泉回で見るのをやめて、最後まで通して見たり上下の劇場版を見たのも大分後になっての話しだ。


ハマったきっかけは明確で。2017年9月に行われた4thライブツアーのファイナル公演、ZEPP TOKYOでの事である。そこで現れたWUGちゃんの真っ白な衣装と、その衣装に合わせたかのような「雪模様、恋のもよう」という冬の雪景色の情景が浮かび上がってくるような恋の歌を聞いて、もうやられてしまった。


後から聞いた話なんだけど、ちょうどその4thツアーの頃って、アニメ作品の方が小休止期間でタイアップがない中のライブになっていて、メンバー間で「だったらその分ライブパフォーマンスでやっていくしかない」みたいな覚悟を決めた時期だったんだそうな。なのでそんな様な物をなんとなく感じたんでしょうなぁ。。というわけで、私のハマった理由は「パフォーマンスのすごいアイドルユニット」として、というところであった。(確かにハマってからそれ以前のライブBDなどを見たりしてるんだけど、当時もかわいいはかわいいのだけれども、その時点でこれを見たとして、がんハマりしていたかというと、そこまでのフックもなかったような気もして、そういう意味でも良いタイミングでハマったというか、絶妙な所だったと言える)


そっからは早かった。イベントに足を運び、ファンミーティングに駆け付け、楽屋花を送り、ファンレターを書いた。ちょっと余談になるけど、花を送ったりファンレターを書いたりするのは、最高に魂が浄化される行為である。送ったところで読まれるかどうかの保証もない、ただの自分の気持ちを一方的に送り付けるだけの行為であるが、それがどこかの何らかのルートを経てどこかに行っているかもしれないと思う事は、娯楽の中でももっとも崇高な楽しみの一つだと思う。見返りの無い無償の愛(アガペー)を感じる事ができる。
さらに余談ですが、私は吉岡茉祐さん推しである。

+ 3.解散してから…

そんな中で、5thライブツアーはまだかな~そろそろかな~おっやるのか楽しみだな~とか思っていた矢先の解散の報せ。会社で会議中に携帯でメールをいじっていた私(それでいいのかどうかは別の話。本当に別の話だ。しかもいいかどうかでいえばダメだ)は、文字通りひっくり返って周りをびっくりさせてしまった。本当にダメだ。


で、そこからファイナルツアー、ファイナルライブまであっという間だった。さすがに妻子持ちのため全通というわけにはいかなかったが、たくさんライブを見せてもらった。
座間カラオケコーナーでの吉岡茉祐さんの恋ダンス、大宮での大接近、横須賀でのプレゼントと「ホーリーナイト」(WUG好きでとらドラ!が大好きな俺にとっては完全に私信ライブだった)、熊本で初めて披露される新曲、仙台、最後の仙台のハートラインのみんなのコール。どれをとっても忘れられない思い出ばかり。そして最後のさいたまスーパーアリーナまで、それでもあっという間に過ぎ去ってしまった。全部終わってしまった。


それでも、たった7か月しか経っていないのが不思議なくらい平穏な気持ちになっている。理由の1つは、自分なりにすぐ総括の気持ちになったことだ。ちょうどその時の心境をブログに書いていたので、そこから転載したい。

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WUGの事を語り継いで、色んな所に曲やパフォーマンスを届けていく役割
・昔の事
もう6,7年前の事なんだけど、プリンセスプリンセスが震災のチャリティで期間限定で復活した時のファイナルライブでの話。ボーカルの岸谷(奥居)香のMCを今でも覚えていて。仔細はうろ覚えだけど、「解散した事でプリンセスプリンセスは、この世のどこにも居なくなってしまいましたた。それでも居なかったその十数年の間、ずっとプリンセスプリンセスの曲は流れていました。街角で、テレビで… そんな風に曲が流れてる時は、私達自体は居なくなっても、ずっとプリンセスプリンセスは生きていて、みんなの心に音楽を届けているんだと感じられて、とても嬉しかった」というような内容。


そこから続けて「私達がみんな揃って、プリンセスプリンセスとしてライブをする事はもうありません。チャリティーの期間が終われば、みんなそれぞれ歩んできた別々の人生に戻ります。それでも、またこれからずっと先、プリンセスプリンセスの曲を、どこかで聞く機会があるだろう、生き続けてくれるだろう、という安心した気持ちで終える事が出来ます」みたいな感じだったと思う。(それで後に「それでは、私達がいない間に、一番たくさん聞こえてきた曲を届けます」とか言って「M」が始まる奴)


翻って、プリンセスプリンセスの音楽だって、自然発生的に流れていた訳ではなくて、たくさんのファン達がいて、皆が良いよ、良いね、、って言い続けていたからこそ、色んな所で演奏されたり、流れたりしていた訳で。

・WUGの事を語り継いでいく「役割」
じゃあ同じように、WUGちゃんの事を、一体誰が、良いよ良いねと言って、世の中に流し続けて、それをメンバーに聞かせて安心してもらうの?って言うと、それはもう昨日のあの場を見ちゃった人の役割になっちゃうよね。


奇しくも昨日吉岡さんが、同じように「もう二度とこのメンバーのセンターに立つことはない」って、言ったのも大きくて。プリンセスプリンセスの場合は、別々の人生を歩んできた期間が長すぎて、一線を退いた人もいる中で、最後の最後まで「例えチャリティーであってもやるのに反対」するような意見がずっとあって、その沢山の調整があってようやくこぎつけた再結成だったわけで。


だから吉岡さんからあんな言葉が出て来るってことは、昨日のあの場面に至るまでに、沢山の、本当に沢山の大変な事があったからこその、実感として出てきたんだろうなと想像出来るわけです。


だからこそ尚更今まさに、WUGちゃんの事を広めていく役割*1が、WUGちゃん自身からファンに完全にバトンタッチされたということなんですよね。
WUGちゃんが解散した後もずっと、そんな風に少しでも多くの人に、WUGの事を届けるお手伝いを一人一人がしたらさ、きっとそんな語り続ける声がメンバーにも届いて、安心してくれると思うんだよね。

そういう事を考えながら、これからの人生第2章を生きていくようにします。
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というわけで、ひとつは「ロス」ってる場合じゃねえ、なんとかこの子たちが生きて活動していた形跡をずっと語りついで行かなきゃ…ってミッションめいたものが芽生えたんですよね、3月8日の夜に。その後だからといって大した活動はしてないんだけど、私は楽器が弾けるので友達を集めてWUGちゃんの曲ばかり演奏する会を開いたり(その友人たちはライブまでしていて本当に偉い)、インターネットでつぶやいたりとかそういうのをしている。別の友人たちはDJで流したりとか。とにかく何かやれることはあるはずっていう気持ちだよね。。


二つ目の理由としては、結構メンバーがバラバラになってもそれぞれ露出したり、たまに(全員じゃないけど)何人かが一緒に仕事をしていたりするのを見る機会が多くて、うれしい!という気持ちも得られた。解散しちゃうのは残念だけど、そのあと割とすぐに各人の仕事が続いてく感じが、ロスを解消してくれた。特にメンバーがみなTwitterInstagramを始めたのはデカかったのよね。もともとブログしかなかったWUGメンバーが一気に身近になったような、いなくなったはずなのに、不思議な感じ。そんな不思議な気持ちに外間追っている間にあっという間に時間は過ぎていく。これが、「忘れないで、でも上手に忘れて」ってことなのかな。自分はもしかしたらうまくできているかもしれないな。


あともう一つおまけで完全に蛇足ですが、シャニマスにハマったのも小さくない出来事だと思う。なんとWUGのファイナルライブが2019年3月8日で、その翌日2019年3月9日がシャニマスの1stライブだったんだよね。見送られる者たちと新たに見守られる者たちとの小さな交差。自分が勝手に思ってただけかもしれないけど、そこに運命を感じずにはいられませんでした。


それでも、3月9日の朝起きたときには、WUGちゃんがいなくなった悲しみで、とてもじゃないけど外出する元気なんて全くでなかった。そこに背中を押してくれたのは、Twitterのタイムラインのみんなが「今日の1stライブ楽しみだな」とか「物販並んでるけどすごい勢い」とかそういう純粋に楽しそうにしている姿だった。アレを見ていなければ絶対おシャニのライブには行ってなかっただろうし、そのあと楽しく打ち込んでいる事もなかったように思う。こんな風にべつのハマり事を持っていたってのも大きかったかもしれないな。


+ 4.では、封印していたファイナルライブの映像を見てみましょう

さて、話を元に戻すと。そんなわけでうまく忘れているような気がする中、WUGちゃんコンテンツを見てどんな気持ちになるか整理してみようと思う。具体的にはこれ、「Wake Up, Girls! FINAL LIVE~想い出のパレード」の円盤を見てみよう。3月8日の気持ちが強すぎて、今まで封印して一度も見ていなかったこの映像、ちょっと見てきます。


…見ました。最高に楽しい空間だった。


あの時は見切れなかった細かいところまで、映像でゆっくり見られるからこそわかるところもあって、本当に楽しかった。オープニングはそれぞれの出身地で映像を撮影してたんだね。パフォーマンスの端々でのメンバーの笑顔・キメ顔、ひとつひとつじっくり楽しめる。ダンス、ぴょんと跳ねるところや来るっと回るところのきれいなシンクロの美しさ。いつも笑顔の七海、キメ顔と感情顔の演技がうまい青山、随所で照れる吉岡さん。叫びが決まる田中、ファンを大事にする高木、歌の上手な奥野さん、世界一美しいダンスの核永野。


曲も盛り上がるし、静かなのもあるし、大好きな曲SHIFTの背景映像で過去の名作ミュージカル(オズとかキャッツとか)のリスペクトも良い、なんかこう、隅々まで楽しめる映像だよ。いいなぁあ。いいものを所有しているな俺。幸せ製造機だ。。。
時々こんないい気持ちになりながら振り返ったりできるといいよね。


なんて…


いやだ。
いやだいやだいやだいやだ。これがもう二度と生で見る事ができないって嘘でしょ?何がWUGのダンスは跳ねるところが良いだよ、最後にミスっちゃってご愛敬じゃないんだよ。リベンジはないのかよ。あの時ちゃんとできなかったコールがあるんだよ。前の席でぺちゃくちゃしゃべってたくそ厄介をぶん殴っとけばよかった。ツアー全通しなかったおかげでもう聞くことのできない曲があった。それどころじゃない、もう全部もう聞くことのできない曲だそんな馬鹿な。何がいいタイミングでハマる事が出来ただ馬鹿じゃないの最初からハマってもっともっと想い出作ることが出来てたんじゃないの?何が解散ライブが出来るアイドルは幸せだ、フェードアウトするよりよっぽどましだって?どっちだっていなくなってしまえば同じじゃないか…何がバラバラでも露出していてうれしいだ、全員一緒じゃなくて寂しいってのが先にくるでしょ、来るよね・・・・
後悔、後悔、後悔…その気持ちをずっと忘れるな、そんなものなしに上手に忘れていこうなんて、そんなの図々しすぎやしないか?もっと、思う事、考える事があるんじゃないの?

…どうやらまだ、上手に忘れる事なんてできないようだ。どうしたらいいんだろう。まだ答えは出ない、こうしてちょっとだけ悶々としたまま、表向きはスカッとした感じでしばらくは生きていくんだろうな。

Wake Up, Girlsと私 ‪6-2 WUGについて語り継ぐ事-‬

Wake Up, Girls!の物語が終わってしまった。
ようやく、ずっとどハマりしていたWake Up, Girls!への気持ちを書き綴る事が出来そうな気持ちになってきたので、以下の章立てで、順不同に書いていこうと思います。今回は6-2ぐらいです。

連載
1. 「その瞬間」以前の認識
2. 4thライブツアーで訪れた「瞬間」
3. 解散発表
4. ファイナルツアーそして
5. SSAで起こった事
6. これからの「人生第2章」にあたっての気持ち
7. 推しである吉岡茉祐さんについて


というわけで以下、連載第6回の2項です。いずれ溜まったらちゃんと章立てします。

WUGの事を語り継いで、色んな所に曲やパフォーマンスを届けていく役割

昔の事

もう6,7年前の事なんだけど、プリンセスプリンセスが震災のチャリティで期間限定で復活した時のファイナルライブでの話。ボーカルの岸谷(奥居)香のMCを今でも覚えていて。仔細はうろ覚えだけど、「解散した事でプリンセスプリンセスは、この世のどこにも居なくなってしまいましたた。それでも居なかったその十数年の間、ずっとプリンセスプリンセスの曲は流れていました。街角で、テレビで… そんな風に曲が流れてる時は、私達自体は居なくなっても、ずっとプリンセスプリンセスは生きていて、みんなの心に音楽を届けているんだと感じられて、とても嬉しかった」というような内容。


そこから続けて「私達がみんな揃って、プリンセスプリンセスとしてライブをする事はもうありません。チャリティーの期間が終われば、みんなそれぞれ歩んできた別々の人生に戻ります。それでも、またこれからずっと先、プリンセスプリンセスの曲を、どこかで聞く機会があるだろう、生き続けてくれるだろう、という安心した気持ちで終える事が出来ます」みたいな感じだったと思う。(それで後に「それでは、私達がいない間に、一番たくさん聞こえてきた曲を届けます」とか言って「M」が始まる奴)


翻って、プリンセスプリンセスの音楽だって、自然発生的に流れていた訳ではなくて、たくさんのファン達がいて、皆が良いよ、良いね、、って言い続けていたからこそ、色んな所で演奏されたり、流れたりしていた訳で。

WUGの事を語り継いでいく「役割」

じゃあ同じように、WUGちゃんの事を、一体誰が、良いよ良いねと言って、世の中に流し続けて、それをメンバーに聞かせて安心してもらうの?って言うと、それはもう昨日のあの場を見ちゃった人の役割になっちゃうよね。


奇しくも昨日吉岡さんが、同じように「もう二度とこのメンバーのセンターに立つことはない」って、言ったのも大きくて。プリンセスプリンセスの場合は、別々の人生を歩んできた期間が長すぎて、一線を退いた人もいる中で、最後の最後まで「例えチャリティーであってもやるのに反対」するような意見がずっとあって、その沢山の調整があってようやくこぎつけた再結成だったわけで。


だから吉岡さんからあんな言葉が出て来るってことは、昨日のあの場面に至るまでに、沢山の、本当に沢山の大変な事があったからこその、実感として出てきたんだろうなと想像出来るわけです。


だからこそ尚更今まさに、WUGちゃんの事を広めていく役割*1が、WUGちゃん自身からファンに完全にバトンタッチされたということなんですよね。
WUGちゃんが解散した後もずっと、そんな風に少しでも多くの人に、WUGの事を届けるお手伝いを一人一人がしたらさ、きっとそんな語り続ける声がメンバーにも届いて、安心してくれると思うんだよね。

そういう事を考えながら、これからの人生第2章を生きていくようにします。

*1:使命とか責任とかでも良いんだけど、なんか役割って言葉がしっくり来るなって

好きになるその瞬間を。を見て、この映画に「恋」をしたんだ

いやもうこれを書いているのは30代も半ばを過ぎたオッサンなわけなんですけれども、見てきたんですよ、この明らかに10代向けと思われるこの映画を。以下気持ち悪い文章が続くので見ない方がいいです。でもほんとは読んでほしい
この前ふりってさ、よく恋愛もので描かれるラブレターである「いきなりこんな手紙送っちゃってごめんね、迷惑だよね。でもどうしても気持ちを伝えたくて書いちゃったんだ」みたいなのがあるでしょ。それと同じ構図なんですよ。そんな文章が続く記事構成になっております。

恋の映画

今年は、邦画の当たり年というか、歴史に残るレベルで良作連発してたんですが、それらの映画の中でも、破壊力はナンバーワンだと思うのだけれど、そんな言葉で表現してはならない、うまく言葉にできないんですよ。


これは恋なんです、恋の映画なんです。
恋は盲目と言いますが、思考の全てが恋の対象になってしまい、他の事に集中できない、頭がいっぱい… 
こういう状態です。
そして、その想いを、相手に伝えれば良い。たったそれだけ、たった一言「好き」と伝えるだけ。それで何もかもが次に行くんだ。
でも、それが出来ない、相手は喜んでくれるか、迷惑だったらどうしよう、振られたら嫌だ、怖い、でもうまくいってほしい
きっとうまくいくに違いない、でも、ダメなんじゃないか…
そんな不毛な考えを延々と繰り返して夜も眠れなくなる。


それが恋だ。恋をしている。そんなことを、ずっと描いている、そんな映画なんです。


そんな映画に、私が恋をしてしまった、という話なんだこの記事は。
いやね、とにかくね、老若男女、多分「恋をしたことのある人間」も、「恋をしたことのない人間」も、何かしら「恋」というものについて想いを巡らせたことのある人間だったら、絶対に見た方が良い、と思うんですけどね、
でも、なんか、こう、とにかく、自分の言葉で、この映画の良さを、伝える自信が全くない。

社畜を何年もやって、曖昧なものを言葉で形にして、いろんな商売につなげてきた人間とは思えない。
完全に、ただの人になってしまった。社会でいろんな役割を担う人間の、担っている部分を剥いで、むき出しの人間にしてしまう行為、これが


恋だ



という状態にまで、自分の感情や思考の外周部分を、ハンマーでぶっ叩かれて粉砕されてしまったんですね。だから、いつものように論理立てて文章を書くことができなくなっています。そういう状態になってしまう映画なんだと思ってくれたらそれでいいです。


それでも、自分の手持ちの駒の欠片を積み上げて、少しでも言葉にしなくちゃならなくて。

まず、恋について描かれている映画だという事を理解してほしい。


次に、今までの恋愛ものとの比較、という事で考えてみたい。


青春群像劇にしている余裕はない

私ね、月9とか大好きなんですよ。ちょうど東京ラブストーリーとか、101回目のプロポーズのあたりで、小学生が終わって中学生になって、そのままずっと90年代のトレンディドラマを見てきたの。
正味の時間で40~45分が12回だから、8~9時間ぐらいの尺なんですね。

そこでは、主人公となる男女がいて、それぞれに気の置けない友人がいて、時にはその友人同士が同じコミュニティで集まっちゃったりして。

一方で、主人公の男女にコナをかける、別階層・コミュニティの人間がいたりして(恋敵)、その辺の人たちが群像的に絡み合って
最終的には男女がくっつく、という流れなんですね。

この間にさ、サブの友人同士が付き合ったり離れたり、恋敵といろいろあったり、すれ違ったりする様をハラハラしながら見守る、というのが恋愛もの、青春ものドラマの醍醐味なわけです。

映画でも大体そうですね、2時間少々だと、もうすこしすっきりとしてくる。



これがね、好き瞬はね、60分少々なんです。60分で、恋について描ききるわけです。
こうなるともうね、恋敵とか友人どうしのアレコレとかね、そっちに割くリソースはなくなるんですよ。

直球勝負、ひたすら、主人公の女の子が、恋する様だけがひたすら描かれる。
この濃密さ、世界中に散らばる好きと言う概念がこの映画の中に濃縮されているんです。
ほとんど、「好き」「恋」というテーマについて、無駄がない。

物語としては、悪い意味でシンプルと言えるかもしれない。女の子が男の子を好きになって、好きって言うだけの話ですからね。
でも、だからこそ、本気なんだ、と言える…

すごく、今っぽい

もちろん、完全にそれだけではなくて、少しですがサブキャラの皆さんの恋も描かれる。これはこれでいいんですが、
そのアプローチが、90年代のトレンディドラマとかとはちょっと違うな~というところがあって。なんというか、登場人物みんなすごい真面目で直球なんですよね。

よくいる「チャラ男」が、モブにバンバン声かけるのの延長で、ドラマのサブキャラに気軽にアプローチしたらバン!って一発ビンタして、「かわいそうに、愛されたこともないのね…」と侮蔑の表情を浮かべて去っていく
それに衝撃を受けながら「あの女…良い…」みたいにチャラ男が真実の愛に目覚めるみたいな展開あるじゃないですか。

そういうのに類似したシーンがこの映画にもあるんですけど、まず殴ったりしないし、そんなに侮蔑の表情を浮かべたりもしない。

その辺がなんか、すごく道徳的だなあという感想を持ったのですね。もちろんその子がそういう性格のキャラ付けなんだという側面もあるのですが、私は演出として「人間としてより正しくありましょう」みたいな教育をキチンと受けている今の子たちを表現してるような気がするんですよね。


そういう、清く正しく美しく、というアプローチで恋について描く、というスタンスが明確だからこそ、この濃密さが生まれたのかもしれません。等という事を思いました。すごく”今”を反映しているなって

恋愛は、主役以外は全てモブ

私は中学高校と男子校だったので、本作のように中学や高校で先輩や同級生を好きになったりするかどうかは知りません(重要)。

でもね、大学はそれなりに男女の数のバランスがとれているコミュニティいくつかにいたことはあるんです。
そうするとね、たいていどのコミュニティでも、誰かが誰かを好きなんですよ。その好きと好きが複雑に交差しあって、ああ~
めんどくせ~ややこしい~とかなるわけなんですけど、そのややこしさも、また楽しいんですよね。

そんな風に、主人公以外にも、いろんなところからいろんなところへ「好き」の線が出ている。


我々は、物語の受け取り手であって、外の世界から恋愛模様を眺めている。だから、たくさん線が「存在」しているのはわかる。
でもね、それって、恋をしている当事者にとっては、自分の出している線が大切で、他の線は、どうでもいいんですよね。
自分の恋が成就するかどうか、最後にどこに落ち着くのか、それしかないわけです。

この映画の面白いところは、シリーズものの前作があって、そちらでは、この作品でモブに近い役割のキャラ同士の恋愛模様が描かれていたりするんですよね。逆にその前作では、今作の主人公はモブ的に出ている。

作品が変われば目線が変わる。恋する人間は、いつだって自分が主人公で、他はモブ。
これを作品ごとに視点を切り替えることで明確に示している、まさに「恋は盲目」って事を表現しようとしているんだな、って思います。

最後に、主人公の瀬戸口雛について

ティーン映画は、主人公をどれだけかわいく(あるいはかっこよく)撮れるかにかかっている
というのが私の持論なんです。物語もそうだけど、主演の人にあこがれる、もっともっと好きになる、そういう動機で映画を見たりするんですよ。

果ては薬師丸ひろ子から、それこそ今度アニメでリメイクされる打ち上げ花火~の奥菜恵広末涼子とか、私の世代のヒロインとかから、最近だと広瀬すずに至るまで。まずは主人公を圧倒的にかわいく撮る。これなんですよ。


その分アニメは、元の主演女優の素材勝負ではなくなるので、大変だとは思うんですが、この映画では、主人公の瀬戸口雛を、目一杯かわいく描くことに、完全に成功していますね。

少女漫画から飛び出してきたかのようなキャラデザ、勝気な性格なんだけど好きな人の前ではうまくふるまえない不器用さ、恋する女の表情の豊かさ、動作のひとつひとつ、感情に応じた声の演技、全てがすごく丁寧に作られていて、見た人は誰もがこの女性に心を奪われるわけです。

最高にかわいいんですよ。
観衆は皆、頑張れ、上手くいってくれ…ただそれだけを願いながら、彼女の恋の行方を見守るだけのマシーンになります。

美味いものを食べるとIQが下がると言いますが

なんだろう、良く出来た映画、というわけでもないんですけど、こんな「好き」「好き」「大好き」「かわいい」みたいなものを、
ど直球でぶん投げられたら、みんな人として社会でうまく生きるためにまとっていたいろんなものをぶっ壊されてしまうな~、
そして、その中にあるクソみたいな人間の感情のコアみたいなところが「恋とは…」「好きって…」っていう、ただただ単純な事を考えずにいられなくなる、そんな映画でした。


美味いものを食べるとIQが下がり馬鹿になると言いますが、
好きになるその瞬間を。を見ると、IQとかどうでも良くなる、そう思わずにはいられない映画でした。

ASKAタクシー映像流出は、日本企業ホワイト化に向けた喜ばしい第一歩である

こんばんは社畜です。今日も深夜帰りで家庭がピンチ!


さて、今日はタイトル通りの事を言いたいのですが、もう文章を書きたくなくなってしまいました。


さて、なんかASKAさんが大麻容疑で逮捕されて、3年振り2度目的な強豪校の仲間入りを果たした訳ですが、なんかその逮捕前のタクシー映像がマスコミに流出したとかで話題になっていますね。なんか昼間に入った場末の食堂で流れるテレビで、私もそんな映像をチラっと見たような気がします。
インターネットではなんか「騒ぎ」になってましたね、我々の映像も全部録画されて流出してしまうのでは、とかなんとか。


まぁそうなんですよね。そうなるんですよ。我々はタクシーをそういうものだと思って乗らなきゃ行けないんです。

  • ところでこちらのお話をご覧下さい


とまぁ、いやぁ〜ひどい話ですね。どうもこういうちょっとイカれた企業人達の考え方は、対価に見合う価値を大きく見過ぎているようです。


人間やっぱり、生活が十分出来るだけの余裕を持ちながら、生活が十分出来るだけの給与をもらっていかないと、どこかで狂って行くのでしょうね。
そこをどうにか「真面目にコツコツとやるのが美徳」に代表されるような、いわゆる「職業倫理観」でカバーしてやってきていたのが、限界に来ているのではないか?と最近思う訳です。

参考
http://nensyu-labo.com/fireworks/heikin_suii26.gif


私なりの定義では、職業人の倫理観とは「悪魔の囁きに乗せられない事」だと思っています。例えば、上記の話で言えば、「金庫をちょろまかしたり悪さしない」「必要な引き継ぎ等はきちんとやる」という事になります。


この倫理観は、一般的に収入が高くなるにつれて高まると言われている(なんかあんまり研究結果とか出て来なかったんですけど、だれかご存知でしたら補足してください)。つまり、仕事の割に低い対価でいると、仕事上で来てしまうちょっとした「悪さ」の囁きに、つい負けてしまう瞬間が、やってくるんですね。
・その金庫に入ってるお金、ちょろまかしてしまおう…
・本業の財産を使って、副業に活用してしまおう…
・職業上得た秘密事項を、友人同士の飲み会の席でしゃべってしまおう…
等というものがあります。


タクシーも同じです。過労低収入の代名詞のようなタクシーに乗っている人が、有名人が逮捕される直前の映像を撮ってしまった。それを「謝礼を出すから」と言われついマスコミに流してしまった…
(これがまた、業界の倫理や会社の規定には反するけど、法律違反と解釈するのは難しい、という絶妙なポイントですね)


これを止められるのは一体なんだったのでしょう。やっぱり今の対価のままで、より高い倫理観をもって会社と従業員が業務に臨むべし、なんでしょうか?
我々は、「映像が流出するリスク」があるから、「タクシーに乗るべきではない」のでしょうか?そのリスクを取り締まる代わりに、代金が上乗せされるタクシーが存在したら、そこを選んで乗るようになるのでしょうか?


緒方恵美さんもキレています


こうした職業上の秘密を破る行為を、どうやって止めたらいいのでしょう?


私はただ下を向くばかりです。


  • だからこそ

倫理と対価のバランス、という観点に立ち戻れば、必要な事って「倫理をガチガチに攻める」ことじゃなくて「適正な対価を与える」という事になるべきなんでしょうね。本当にそれが至る所で実現されるようになれば、あらゆる企業がその職業に見合った対価を支払う、素敵な会社ばかりになるでしょう。


この辺の引用ツイートしたような一連の出来事は、真面目に労働者から企業、あるいはその先の我々消費者への警告・あるいは脅迫なんだと思っています。



社長、その給与は払い過ぎ!

社長、その給与は払い過ぎ!

kit oisixは間違いなく共働き子持ち家庭の救世主ではあると思う

どうも〜オイシックスヘビーユーザーのとろろ蕎麦邦明です。時間が〜た〜りない〜と


さて。


どのくらいヘビーユーザーかというと、多分もう10年ぐらいは定期ボックス(いわゆる一定量の食材が毎週宅配で届く)をずっと活用していて、ガンガン野菜が届いてはろくに調理もせずに放っておく、みたいな事を何年も繰り返していたぐらいにはヘビーユーザーですね。ホント無駄の多い人生。


そんな人生に業を煮やしたのか、嫁が産休に入ってからはオイシックスへのアクセス権が嫁に移り、注文量が3倍になるとともにちゃんと毎日料理されて食材が使われるようになり、なんというか我が家にも普通のクオリティオブライフがやってきたかのようです。


さらに、子供が産まれてからは、離乳食作りには欠かせない存在として、様々な野菜を毎週とどけてくれる有り難い存在な訳です。


え〜というわけで、前置きが長くなってしまったんですけれども、そろそろ始めたいと思いま〜す。今回はこれ、kit oisixを紹介してみたいと思います。

kit oisixとは

めんどくさいので本編のこちらをご覧下さい。
KitOisix About|有機野菜などの安全食材宅配 Oisix(おいしっくす)
なんだこのサイト、大事な簡潔説明テキストが画像になってるぞ。
という訳で起こしました。

  1. 主菜、副菜が20分で作れるレシピがついています
  1. 必要な分だけ、最適な状態で。しかも野菜たっぷり
  1. 新しいレパートリーとの出会いもご一緒に

なるほどわかるようでわからん。つまりですね、丁寧な工程が書かれたレシピと一緒に、そのレシピで使う食材と調味料がセットでついてきて、ババーンとキッチンでそいつらを片付けているだけであっというまに食事ができちゃう優れもの、というわけなんですね。このサービスが始まったのと、嫁が購買の主導権を握り始めたのがほぼ同じタイミングでして、割とはやくからこれを使うようになりました。


この度は知り合いから「あれってどうよ」と聞かれたので、感想を書いてみようと思った次第でございます。

kit oisixのここがよい

調理における下ごしらえ工程を大幅に省略できる。

まず、皮をむかなくてよい、洗わなくて良い。
これはオイシックスの野菜ならではの特徴かもしれません。健康やら品質やらをうたい文句にしているだけあって、有機野菜で、質の高いものを選んでいるので、皮毎食べられるものが多いです。また、鮮度が落ちるもの以外は洗われた状態で届くので改めて家庭で洗う必要もありません。
そんなわけで例えばイモの皮むきとか、めんどいなぁ〜と思うような作業をやらないで済みます。これは5分を急ぐような状況では大変強いアドバンテージです。


そして、ほとんど切らなくて良い。事前にカットされた状態で届きます。切ると著しく鮮度を失うものを除いては、切らなくて良いように加工された状態で届きます。
例えばにんじんを細切りにするとか、そういう工程を短縮できます。


無駄がない。

毎度、使い切りサイズで届きます。例えば、珍しい食材を使った料理とか、その時はよいけど、食材を余らせてしまったときに、その扱いをどうしたらよいか悩むことってありますね。それが使い切りだと全く無駄が出ないわけです。


これは精神衛生上も大変よろしい。あ〜あの野菜無駄にしちゃうな〜アフリカの皆様申し訳ない、と懺悔をする必要も。なんとかして消化しなきゃいつの何に使おう…と頭をひねる時間も脳内リソースも必要なくなります。これは非常に快適です。長年申し訳ないと思いながら無駄に野菜を腐らせていた私が言うのだから間違いありません。


また、結果としてのコスト抑制にもなっていますね。大体1食2人前で、1000円から1500円という価格設定です。外食よりは安いし、同量の料理を作る為の食材をオイシックスで注文するよりは大分安い。


調理の幅が広がる。

昔ながらの和食から、洋風中華エスニックと、けっこう幅広いメニューの中から選ぶ事ができて、レシピをストックしておくだけでも、大分やれる事は増えると思います。やっぱりさ、料理って一度作った事があるか、そうでないかで作るまでにハードルの高さは大分違うと思いますね。



いわゆるあんまり作らないジャンルの料理を作る時って、調味料にも困りますよね。なんと食材と同様に調味料も、基本的な調味料以外は、料理にあったものをパックされて届けてくれるので、これまた過度に調味料を用意しておく必要もないアラ便利。


レシピがあって、セットは不要(ちょっとアレンジしたいとか、人数を増やしたいとか)というケースでも、ちゃんとレシピの最後に、普通に食材を用意するならこれを買えリストもついてくるので有り難い限りですわ。



美味い

オイシックスの野菜は間違いなく美味いです。いわゆる高級な食材を扱うスーパーのものより安く、美味い。コスパを、コストに対するパフォーマンスと字義通りにとらえるなら、コスパ最強と言ってもよいと思う。
これは、さんざんオイシックスの野菜を無駄に余らせた私が最後の手段として「めんどくさいから生で食う」という事を長い間繰り返した経験からも間違いありません。ピーマンでもにんじんでもごぼうでも、ほぼほぼ生で食えます。旨いです。


もちろんカット小分けなので、kitに使われている野菜はその中では多少そういう小分け用途向け、という部分はあるだろうけれど、
それでも普通にうまい水準の食材が届いてくれます。有り難い限りです。





もっとめんどくさがりやへ

さらに圧縮された最強手段があって、冷凍kitもあります。
これは、先ほど一部カットしなきゃならない野菜があると書きましたが、それらも事前にカットしてある。冷凍だからね。
レンチンするだけ、鍋に突っ込むだけ、みたいな速さです。


総評

ここまで読んできてわかると思いますが。基本的な思想としては、食事を栄養調達の手段ととらえる人の考えで作られてます。もちろん随所に楽しく調理するための…ってのはあるんだけど、基本的にはババーンと流れ作業化を家庭に持ち込んだ設計になっているものです。
料理は文化やアートとしてとらてる人にとっては、相当に邪道なものだと思うし、やっていて楽しくはないだろうな、とは思います。
私もフリーダムに作ってこその料理だ、などと昔から思っていましたし。


とはいえ、ホントに両親共働きで小さい子を持っていると、子供はほとんど目を離せないし、仕事帰りの短い時間でなんとかしなきゃならないし、一体どうしたらいいんだ…みたいに困っちゃうときも多い環境では、すっごい助かるんですね。
ポイントは2つあって、

  • 作業工程自体が相当に短縮される事
  • ”悩まない”で済む事


だと思います。前者は単純に短い時間でなんとかしなきゃいけない!というものに対応している事。後者は、今日のレシピ何にしよう?あれを使ってコレをつかって…ああああれを作るとなるとアレを買わなきゃ…!!みたいな時間の事です。それを一切無くすことが出来るので、トータルでの時間短縮度合いは相当なものになっていると思います。



まぁもし蛇足であるとすれば、肉類と野菜類が1パックで届くので、冷蔵庫にしまうときに野菜室とチルドで分けなきゃ行けないから多少めんどくさい(数十秒程度ですが)、って所と、「20分で作れる!」をうたい文句にするがあまり、結構ゆで、炒め、レンチンの時間設定がガバガバで、場合によってはレシピ記載のじかんより倍ぐらいかけないとちゃんと火が通らなかったりする事もありますね。


まぁその辺は料理する側の感覚で調整すりゃいいんですけど。


関連してちょっと蛇足ですが。不思議なもので、これだけ定型化されて、工程まで明確に定義されていても、私が作るのと嫁さんが作るのではまた味が違ってくる。これはホント調味料の使い方とか、火のかけ方、ちょっとした工夫の差が味の差で洗われてくる。料理の奥深いところでありますね。
もしかしたら、料理における守・破・離の「守」を体得するのにもっとも適切な手段なのかもしれません!などと思ったり思わなかったり。






以上レビューでした。


アッちなみに私オイシックスさんから今の所1円もお金をいただいていない(むしろ相当払っている立場な)のですが、もしこの記事を読んでグッとくるものがあったオイシックスの広報宣伝担当者の方におかれましては、連絡いただければいつでも振込先を開示したい所存でございます。どうぞよろしくお願いいたします!!!!







【追記】
ブコメなどを見て反応。


事業としてこのセットがとても優れているなぁ、というのは、全てが「時間短縮」につながっているからです。


例えば、元々提供している食材が有機野菜だからこそ「洗わなくてよい」「皮をむかなくてよい」という短縮が可能なので、あって、そうでない普通の野菜だったらその工程が必要になっちゃう。とか。



高い!については、金額だけ見れば高いのかもしれませんが、例えばよくある「専業主婦の時間単価」みたいなのに、実際にメニューに悩む時間や下ごしらえをする時間などを付ければ、大体ペイする範囲かなぁとは思います。要は何に金を使うかの優先順位がfitするかどうか、って話ですね。


段ボールについては、ヤマト便じゃなくて、オイシックスの物流定期便で運んでもらうと、専用の梱包箱で運んでくれますし、回収もやってくれます。

今の保育園の問題は、「日本の競争力強化の阻害要因」の問題であって「弱者救済の福祉の不備」の問題ではない。

日本大好きとろろ蕎麦です。今日はタイトルだけ覚えて帰ってください。

今日も長いので要旨

  • 保育園落ちた、というのは"認可"保育園に落ちた、という意味ではなくて"保育園"に落ちた(預ける選択肢がなくなっている)、ということ
  • そのため、本来働いて経済に貢献できるはずの人が働けなくなる、経済にとっての機会損失が発生しており、結果日本の競争力低下につながる問題(全般的には、”女性の社会進出”を阻む壁、という事になってるかもしれません)
  • 解決に向けては、短期的には「認可保育園の月謝の累進性をもっと上げる事」「普通のサービス業として成り立つ保育サービス業の拡充」、中長期的には「会社側での働き方の見直し」が考えられる
  • 身もふたもないけど、ここ5年スパンぐらいでは、「4-6月に子供を産むよう家族計画する」のが一番の攻略法
  • ぶっちゃけ、今落ちてる人たちが保育園なくたって死にはしないので、ある程度はしょうがないんじゃないですかね。でも勿体ないよね。

で構成されています。
本文は乱筆乱文で勢いで書いていますので、多分1万数千円を数千円と書き間違えちゃったりしてるんだろうな~突っ込みお待ちしています。

前置き

私も保育園に落ちた息子を持つ当事者としては、いろいろ思う所はあるのですが、まあー歴史的にはそういういろんな所で社会の歪みみたいなものはどこにでもあって、江戸時代の棄民とかの過酷な暮らしに比べたら、現代日本で生活できるなんて何て有難いんだ!と涙を流して過去戦争で亡くなっていった方々や、高度経済成長を作ってきた方々に感謝の意を表明したいと思う今日この頃です。

なので、例の増田に端を発した動きもふーんで見てたんですけど、なんだか全然違う論点というか、違う私たちが困ってるのはそういう問題ではないんだ…というあさっての方向にどんどんいってしまって、なんだこれは…と思ってしまったので、ここに問題を整理しておこう、という記事です。

あと後述するんですけど、4〜6月に子供産んでいたら、多分そんなに困ってません。保活界では上半期に子供を生むよう家族計画するのは半ば常識だそうですが、結構な人権侵害だなあ…などとも思うところはあり。


そもそも、職のある20代、30代なんて政治的には強者なんで福祉の対象じゃありませんよ。どのくらい対象じゃないかというと、たまに風邪引いて街の大きな病院に行こうとバスに乗れば、私以外みんな無料なぐらい。病院に行けば朝一番から並んでいおり常連でサロンを形成している皆様を尻目に肩身の狭い思いをしながら待ち、「私がこうして待っている時間を働くことに使えたらその分GDPが上がるのに、」などと表向きはニコニコしながらイライラしてしまうとか、そんな話です。

共働き家庭は増えている

まず、ここに女性の就業率の推移を。見事に上がっています。当然ながら、結婚しても働くし、子供を産んでも働き続けよう、という意思を持っている人が増えている、ということです。共働き子持ちです。
(3)女性の就業状況の変化


保育園の数も増えてるんですよね、少なくとも共働き世帯の数ぐらいには。
PDFですみませんがこちらとか。
http://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11907000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Hoikuka/0000098603.pdf


にもかかわらず、待機児童数も増えてるんですよね
解説しているのはこちらとか。
www.huffingtonpost.jp
後段の数字が動向とか、批判チックな話は一旦おいといて、ポイントはここですね。

「子ども・子育て支援新制度」や雇用情勢の改善で、子どもを預けて働こうという保護者の需要を掘り起こした

お~なるほど。制度が整備され、雇用されるようになり、さぁ働くぞ~となったとしましょう。じゃあそんな時、子供と一緒に働くことが出来たらいいんですけど、なかなかそういうわけにもいかないので、どこかに預けることになります。
その選択肢がどうなっているかを、追いかけて行ってみましょう。

保育園にもいろいろ

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じゃじゃ~ん。コメントは私の独断と偏見です。
保育園には、認可保育園と認可外保育園があります。
認可保育園には、公立のものと、私立のものがありますが、基本的に入園の選抜は自治体で行います。
何故ならそれは、「止むを得ず子供を預けて働かないと"健康で文化的な最低限度の生活"を送れない人を優先して入園させるため」です。福祉です。
入園の優先度として、近所に預けられる祖父母が住んでいない、とか片親である、とかそういうのが上に来るわけです。待機ポイントという指標があって、上記の条件が多いほどポイントがつくわけです。どれだけ待機児童として喫緊に認可に入園すべきかを測るわけですね。
さらに入園してからの月謝も、500円から8万円ぐらいまでと、所得に応じて変わります。合理的ですね。所得税とか沢山払った上に更に累進で払うのか!とキレちゃいそうですが、福祉なので当然のことです。


なので、よっしゃ一発働いて稼いでやろう!という家庭は、別の選択肢を取ることになります。
認可外保育園だ、ここは基本的に私立です。土地の広さや立地から認可になれなかったところ(認証)やら、園長独自の教育理論でやってるところや、資格もったおばちゃんがテレビ見ながら合間に子供を見るようなところまで、玉石混交いろいろなワールドです。

この辺りは、補助金は多少は出るにせよ、月謝は、8万〜15万16万ぐらいが相場になってきます。

そろばんを弾きます「うーん、、、これだけ払わなきゃいけないなら、働き続けてもペイしないかもしれない」となる家庭もちらほら出てきます。経済的なふるいですね。
それでも、よし預けて働こう!などと選択する人もいるかもしれません。

ついでに、保育園以外の選択肢もありますので、そちらにさらにお金を払って教育を受ける、なんてことも出来るかもしれませんね。


というあたりですね。まずはこの辺を押さえておきましょう。

何が起こっているのか

ばばーん、こんな感じです。
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どこも一杯で入れませんでした~
なんと、マクロ環境ってすごいですね、そうやって共働きで子供を預けて働く親が増えてしまった結果、需給のバランスが崩れて「集団で子供を預けられる施設」に全然空きがない、なんて事態になるわけですね。


これは私自身が経験したことでもあるのですが、いわゆる英才教育スクール的なところやらインターナショナルスクールのプレ学級ですが、ここは月30万とかそういう相場感になります。なんちゃらメソッドの教育方法とか、ネイティヴ外国人の英語コースとかあるやつなんですが、そこですら一杯で4月になっても枠が空かず、全く入れないというありさまでございました。


このくらいの金額になると、2年間で30×12×2で720万円です。これだけの費用をかけて、将来のキャリアとそこから得られる収入を天秤にかけて、どっちが良いのか…って経済合理性で悩みだしてきますね。

らにもう終日ベビーシッターだ!とかになるんですが、そもそも集団保育ではない上、月50万コースとかになる一方、それだけのベビーシッターも人手不足で供給できなかったりするんですよね。
50万×12×2=1,200万円です。「これだけの金を払って、集団保育も受けられず、家で寂しく過ごさなきゃならないなんて、人生とは…」みたいにじっと手をみてしまうかもしれませんし、だったらママが働かない選択肢も…なんてことになってしまうかもしれませんね。


増田については

というわけで、「なんかもういくら金を積んでも入れる所がないぞ…」という事で共働きの親は悩んでしまっているわけです。ここ重要なところですね。

認可に入れるかどうかって問題とはまた別なんですよね。

なのになぜか増田の人とか、それを利用する政治家さんが「私も認可に落ちた」とか言ってて、あたりめーだろそこは争点じゃないよむしろ黙っててくれとか思うわけです。

さらに叩きたい人が「金持ちが認可にはいるのはおかしい!」とか言い出すわけですね。んなこたわかってるんだよ認可に入れたくて騒いでるわけではないのだ・・・ということなんです。

ある程度共働きで収入のある世帯にとっては、自治体がよくやる「待機児童解消のため、認可外の保育所を認可にしました!(認可外に入っている児童分、待機児童から控除できる)」なんてのは実は恐怖で、まだ「先着順で金を払えば入れる可能性のある所」が減って「待機ポイントで決まってしまう所」が増えてしまうから、なんてこともありますね。

でも認可に入ってる人もいる

はいこれ。今の時点で、認可保育所は十分にあって、本来福祉として保育サービスを受けなきゃならない世帯には、かなり浸透しているんだと思います。


その中で、いわゆる普通の共働き家庭で、認可に入れてる世帯もたくさんあります。そのくらいには、本来認可保育園って十分にあるんですよね。
もし福祉に必要な分だけしか認可保育園の枠がなかったら、彼らは入れていないわけですから、「もっとカネを払う余裕があるのに認可保育園に入れてる世帯」は、若干福祉フリーライダー的な側面はありますね。


さて、じゃあそんな風に滑り込んで認可に入る画期的な方法、それは一体なんでしょうか。


単純に言えば4月-6月生まれの子を持つ世帯です、そのメカニズムはというと。。。


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こんな感じです。
待機ポイントの仕組みはどっか専門サイトでもみてください。なんとなくメモだけ置いておきます。
多くの家庭が「核家族共働き近隣の支援可能者なし」で待機ポイント的に並ぶわけです。そうすると、さらに待機ポイントを積むと有利になる。その1番の方法は、認可外に預けて「認可に入れないので止むを得ず認可外に預けている」という実績を積むことです。4-6月ぐらいに生まれると、早くから認可外に預けられる。同世代先着順だったりするので認可外預けやすいんですね。それで、認可外に預けている実績を持ってしまえば、認可にも入りやすくなります。例えば4月生まれは生後6ヶ月の時点で認可外に入れておくと待機ポイントがついて、翌年4月に0歳児として応募できるわけです。
一方3月生まれは、まず1度目の0歳児で認可に応募が出来ません。生後1ヶ月では預けられません。では生後6ヶ月のタイミングで認可外に預けて待機ポイントをつけよう!とした時には、既に先に生まれた子たちが先着で認可外に入っているので一杯で入れません。だから待機ポイントもつけられない。応募可能回数も減るわポイント上乗せの機会も奪われるわで散々なわけです。
よって、この手の問題でブツブツ言っているのは早生まれの子を持つ世帯が多い。
元増田のプロファイルに興味はないですけど、唯一言えるのはあの家の子は早生まれだということだ!


というわけで、共働きの家庭にとっての競争のルールがいわゆる一般的な努力の話から、「家族計画」の話になっちゃってる、という状態なんですね。
子づくりの時期を見誤ると、年間数百万のロスに加えて、週末に保育園巡りをするなど、大変な時間もかかるぞ!すごい!!!!!

・・・とまぁ、みたいなところでの生まれ月による格差感とか、そういうのを覚えているからこその、死ねにつながったんでしょうね。


じゃあどうすんだ

保育園立てろよ!!!!!!!オリンピックなんていいから保育園立てろよ!!!!!!!

というのも1つの選択肢なんですけどね。

最初に戻りますけどこれは福祉の問題じゃなくて、雇用の確保の問題としてとらえないと本質を見誤ってしまうので、そっち方向でアプローチするのがいいんじゃないかと思うわけです。





まず1つは、認可保育園の累進性の見直しです。(もっと激しくする)
今は、世帯年収などに応じて、0円~8万円ぐらいになってますが、これを15万円ぐらいまで引き上げる。
(比率は慎重にする必要があって、本当に困ってる人が入れないなんて本末転倒な事態にならないように)
これをすると、いわゆる「福祉的に困っている人」と「普通の共働き家庭」の切り分けが進むのと、本来は「保育サービスってお金がかかるものなんだ…」と認識する事

で、その金を使っていわゆる認可外保育園~保育サービス施設みたいなものを増やす。採算性のとれる価格設定(10~20万とか)
これで保育可能人数を底上げしていく。というのがよさそう。

結局さ、2,3年の出来事なんだから、その後10年20年働くことを考えたら、結構金を積んだってペイするはずなんですよ。年収400万手取り300万としたって、10年で3000万ですからね。20万×12×2=480万なら十分打ち返せるでしょう。

税金を投入して福祉に向けたはいいけど、それで本来福祉を受けるべきでない”強者”の30代共働き家庭が「あらお得」と大挙して押し寄せてるわけですもん。このへんの切り分け、差配を見直して、「働く人を支援するためのキャパシティの拡大」に金を使うべきで、これ以上「福祉としての保育育児支援」に金をかけなくてもよいんだと思います。


その2は、中長期的には企業の側で対応できることは多そうだと思うんですけどね。
例えば都心のオフィスビルには必ずそこで働く人向けの保育所があるとか。それで通勤者は子供をそこに連れて行き、地元の保育園は、ローカルで仕事する自営業・商店主とかそういうところの受け皿にするとかね。


また、働き方を見直してリモートワークなり、もっと地方で働けるようにするなり。




あとなんだろう、この手の話でよく出てくるのは「東京に住むな地方に住め」については…
・東京に通勤できる圏内に限れば事情は大して変わらない
・それより離れると、通勤に時間がかかりすぎて、働く時間が減る→本来出すべき貢献が出来なくなる→価値の毀損(働かなくても同じや!)
・通勤しないで地元で就職すればよいのでは→職がかなり限られる
・選ばなければよいのでは→その分価値の毀損
・本来の価値ってそんなもんじゃないの→そうかもしれないが、地方に住めないなら働くな、であるべき、ということか
・そもそも飲食店にしろサービス業にしろ、人の多いところに出来るものなのに、なぜ保育サービスだけ「人が来い」なのか
とかかなぁ?
でもやっぱり地方で働けるなら地方で働くという選択肢を取るのもありなんじゃないですかね。
私の知り合いでも新潟支社に転勤になって、そこでは学校も保育園も選び放題飯はうまいし酒もうまいで大変楽しそうに生活しておりました。
まぁでもそれは幸運なケースでしょうなぁ~。




ついでに以下は完全に私見ですけど、私は少子高齢化の元凶は日本の新卒一括採用神話だと思っていますし、それを神格化させたR社のせいだという陰謀論を持っています!!!!
例えば30歳ぐらいまでみんな新卒!ってことにして、20~30の間に子育て済ませて、小学校入学ぐらいで働き始めたら、その後35年間ブランクなく働けるし、高齢出産リスクも回避できるしいい事づくめなんじゃないかな~などと思うわけです。
もちろんこれは子育て時期の制限にもつながるし、さっきの4-6月に産むべき!って話となんら筋としては変わらないので倫理的に正しくないんですけどね。






ま、いずれにせよ勢いだけで書いたので、誤字脱字の修正から、論旨のわかりにくさ、主張の根拠のおかしさ、諸々突っ込み待ちですのでよろしくお願いします!
言いたいことはタイトルで言いました。働きたい人が普通に働ける世の中になったらいいですね!

広島東洋カープ2016

や〜野球の季節が始まりましたね。


私も丁度人生に疲れたので手軽に行ける南の島である沖縄に行って来たんですが、ついてから知った、今その瞬間にセリーグ5球団は全て沖縄にいるのに、広島だけいないという事に…そして私が東京に戻って来た翌日から広島が沖縄キャンプを始める事に…


というわけでお目当ての球団には振られてしまいましたが、たまたま泊まってたホテルで人生に疲れてロビーでぼんやりしてたら、バットを振るオコエ君と熱血指導する池山コーチに遭遇してオオアアーってなったりしましたね。


たまたまその日だけ楽天の選手が泊まっていたらしく、普通に晩飯の食堂で選手が一杯いてワーオ!と思いました。しかし私は12球団中唯一楽天の選手のことだけはちゃんと覚えられない病気にかかっているので、2−3人しかわかりませんでした。与田コーチはウチの息子にニコッと微笑んでくれたのでマジ良い人。エレベーターで遭遇したときに私と握手してくれた大野豊さんと双璧をなす良い人だ。NHKの解説陣は人格で選んでいるに違いない。だから武田も素敵な人格のはずだ。


あっあとこのブログでは言ってなかったと思いますけど息子が産まれました。15/2月生まれなので丁度1歳とちょっとですね。子供が産まれた時には、この24時間働けますか社畜であるところの私がなんと育児休暇を2ヶ月も取るという暴挙に出たりしましたが、子育てについて言える事は特にありませんので割愛します。


さて広島の話ですよ。過去のブログ記事を振り返ると、2013年のドラフト以来の広島についてのエントリですね。何年ぶりだよ…
そもそも、ブログ自体ほとんど後進してなかった…
今年は月イチぐらいは更新したいです。


それがコレ
tororosoba.hatenablog.com


2016年のキャンプに入っている今までの状況を踏まえてこの2013年の記事を見ると、完璧なんですねこれが。
・当時の先発ローテは1人除いていなくなるから先発補強しろ
・田中をショートのレギュラーにしろ


ワーすごい。大当たりだ。


えっへん。
いや大瀬良をまさか中継ぎで使うとは思いませんでしたが、が!





さておき・・・





2016年の広島なんですけど、大体過去の優勝したチームを見ると、
「勝ちパターンでは絶対に勝つチーム」か
「戦力の層が厚いチーム」が勝ってるんですよね。


翻って監督・首脳陣を見ると、今年も勝ちパターンはなさそうな感じなので、戦力面で勝てるチームを作っていくしか無いわけです。


じゃあそんなチーム作れるのかよ!?というと作れないので、今年も辛い戦いになるだろうなぁ…というのが正直な所です。





【投手】
マエケンの抜けた穴はデカい。とにかくこれは何度でも言っておきたい。マエケンが抜けた穴はデカい。
大体黒田が居なくなればルイスが、ルイスがいなくなればマエケンバリントンが、みたいな感じで調子良くエースを誂え過ぎなんですよ。
その意味ではマエケンとジョンソンがかぶった去年優勝してなければならなかったんだけど(以下略)
その穴が埋まらない限り絶対に勝てないし、プラスαを作んなきゃ行けないんですよ!!!
でも私は長谷川鶴田高橋建の地獄ローテでも耐えられたんだから今年も大丈夫なはずだ…と思うようにしています。


ここでの注目は中村祐太君です。2013年の記事にもちゃんと期待って書いてただろ!!!今年は沖縄キャンプにも帯同するみたいなので楽しみです。オコエ君の先輩だし、後輩以上に活躍したい所でしょう。


内野手
ここは、割とピンポイントな補強をしてくれたとは思います。
ずっと打てるサードを…打てるサードを…とうわごとのように口にする2015年でしがた、今年は中日からルナが加入。
.280 15 60 ぐらいは固い選手なので、ホント有り難いところに来てくれた・・・ と思います。
それにしても、同等の成績は出してたシーボルがぼろくそに言われてたのはなんでなんでしょうね。江藤→新井の系譜でやっぱり期待しちゃったのかね。
広島ファンの悪い所は「穴はすぐ埋まる」と思ってる所だよな。結局新井がいなくなった間のサードの穴は全く埋まらずここまで来たんだからな。



【外野手】
野間は非凡なセンスがあるので今年は大ブレイクするぞ派です。
もう、レフト丸センター野間ライト誠也で1年固定してくれ…それでダメならあきらめるよ。



【安仁屋算の時間だ】
1左 丸  .270 12 50
2二 菊池 .290 10 45
3中 野間 .313 9 60
4一 エル .260 30 90
5右 誠也 .275 25 80
6三 ルナ .280 15 50
7遊 田中 .300 17 55
8補 石原 .240 4 20

これで優勝だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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