あんまり他では見たことのないええ感じにくすんだブルーのズボンに出会い、いい色やなあ、これ見送ったら今度いつまたこんな感じのブルーに会えるか分からんなあ、と結構な値段に逡巡しながらもそれを受け入れて買った。服って二分の一くらいの確率で買った瞬間がうれしさのピークで、家に持って帰ったら冷めてるみたいなことがあるのだけれど、そのズボンは全然そんなことはなく当たりのほうの二分の一で、その色やらシルエットやらがえらく気に入った自分は、最近はもうこればっかりという感じで頻繁に履いていた。そうすると、あっという間にポケットの縁やら膝のあたりやらが、汗とか擦れによって赤茶色に色褪せ、買ったときには半年も経たないうちにこんな未来が訪れるなんて思ってもおらず、毎回ブルーやネイビーのズボンを買うたびにこんなふうにして履けなくなる結末を迎えるなあってことに、色褪せてからようやく気づいた。それでも今回は結構な値段がしたもんだから、このまま諦めるのはもったいない、ズボンの名前にガーメントダイとかいう言葉がついていることから、ダイってことは何かしらで染めてるって意味なんだろう、それは一体どんな方法なんだいと、何かしら手がかりにならないか調べてみれば、ガーメントダイとは後染め、つまりは縫い終わって形が完成してから染めるという意味だと分かり、ほんなら自分でも染め直せんもんかと思った。それから色々手法を探していると、服を染め直す家庭用の染料なるものが売られているとの情報にたどり着き、いっちょ自分で染め直してみるかとやってみることにした。とはいえ絶妙にくすんだブルーをどうやって再現すりゃあいいのかという問題にぶち当たり、とりあえず染料について調べたところ、みや古染というブランドのものが一番色のラインナップが多そうで、ネットの調色シミュレーションサイトを使って、みや古染のラインナップのうち、どの色とどの色をどれくらいの割合で混ぜたら、ズボン本来の絶妙にくすんだブルーになるのかを計算した。はじき出された計算結果によれば、ブルー40%、エメラルドグリーン40%、グレー20%の割合で混ぜたら理想とするブルーになるとのことで、近所のショッピングモールに入っている手芸店へと赴く。無事、みや古染の狙っている色が取り扱われていたのでそれらを購入し、そのままショッピングモールで、その他必要なバケツやらゴム手袋やら電子天秤やらを買い集めた。家に帰ってきてYouTubeで染め方を紹介した動画をいくつか見、いざお風呂場で実践した結果、思いのほかブルーの染色具合がエメラルドグリーンやグレーに比べて強いのか、わりとまっすぐなブルーに染まり上がり、「白って200色あんねん」って、ほんなら青は何色あるんですか、自分が思う青を作るなんてめちゃくちゃ難しいんじゃないですか、マジで人生って上手くいかんってな具合にテンションが下がった。それでもまあ、赤茶色の色褪せは消えたことだし、履かずに捨てるよりもマシだろうと思うことにしたのだが、これまでと比較して如実に着用する頻度が下がっている。
いつか友人に「ブルーピリオドって面白い?」って聞かれ、そのとき絶賛ブルーロックにドハマり中だった自分は、ハマっているものについて話したい気持ちが強すぎてちゃんと話を聞かないまま、「面白い。最初普通やけど、途中の仲間取り合うとこらへんからめっちゃ面白くなる」とブルーロックの感想を答えた。向こうは向こうでおそらくブルーロックも読んでないもんだから、「へぇ~、読んでみるわ」と、まるで成立したかのように会話が終わり、その日の夜、寝る前になって突然『あいつ、ブルーロックじゃなくてブルーピリオドって言ってたな』ってことに気づいた。自分はブルーピリオドを読んだことがなく、ただなんとなく美術学校の話ってぐらいのことは知っていて、ある程度話が進んだところで、仲間を取り合う展開が現れて面白くなってはないもんかと、友人に自分の気持ち優先で全然違うことを話してしまった手前、辻褄が合うのを願うしかなかった。こういう聞き取れなくて適当な相槌で返した相手の言っていたことが、あとになって急にはっきり分かるみたいなことがたまにあるんだけれど、あれは一体どういう仕組み? 聞いてるのに聞いてない、でもやっぱり聞いてたっていう脳の処理のタイムラグ。っていうかその言葉は脳にずっと残っていた? どこに残っていた?
しばらくずっと超右腕の「ブルー」にハマり続けている。
散歩中、イントロのギターソロが聴きたくなって再生したくせに、考え事とか風景とかに気を取られて聴き逃し、あかんあかん、と巻き戻してはまた聴き逃すってことを何度も繰り返すんだけれど、あれも何? 集中力が散漫している、でも散歩中なんて何にも集中しないもんだろうから、しょうがない気もする。ほんでもってこの前自分の日記の、夕暮れ時に海沿いを散歩した日のものを読み返していたら、この「ブルー」が収録されている超右腕のアルバム『OBAKE IN TSUSHIMA-NAKA』のジャケットが、日が暮れる間際の海と空と月ってことに気づいた(多分)。


だからなんやねんって話ではあるが、多分自分と同じような風景を見たんだろうなって人がいるだけで、それがなんだか嬉しいし、自分が見たその風景が幻だっただなんて微塵も思っていないけど、その風景を見た瞬間の確からしさみたいなものの重みが一個上乗せされたような気分にもなった。