「捨て駒」がなんだかわかってない奴、多杉


今日は『将棋世界』の取材があるのだが、将棋のこと考えていたら寝れないので将棋について日頃思っていることをぶちまけてみる。


もう何度目にしたかわからないのだが、小説やドラマでよく「捨て駒のように俺を粗末に扱いやがって」みたいな表現が出てくるのだが、これが将棋指しから見ると極めておかしい、誤った表現である。将棋について理解のない人にとって「捨て駒」とはそういう認識なのだろうが…。今回はこのことについて詳しく説明する。


まず、将棋は捕獲した駒を手駒に出来る。これはチェスとは違った特徴である。チェスは手駒という概念がないので、取った駒はただ盤上から消えていく。将棋は違う。手駒になる。銀は4枚しかなく、初期盤面では先後2枚ずつ割り振られているが、相手から1枚取るとこちらは盤上に2枚、手駒で1枚と併せて3枚になる。相手は盤上に1枚だけであるから、3対1の戦力になる。


銀の価値が300点だとしたら、相手から1枚タダ取りするとどうなるだろう。


自分 = 銀三枚 = 300×3枚 = 900点
相手 = 銀一枚 = 300×1枚 = 300点


このとき相手との差は600点あることになる。価値の倍のスコアだけ得する。このスコアのことをコンピューター将棋では「交換値」と呼ぶ。つまり駒を取ると駒の価値分のスコア変動があるのではなく、その倍である「交換値」の分だけスコア変動がある。この意味において将棋はチェスの倍のスコア変動がある。だから、チェスより将棋のほうがスコア変動が激しいゲームなのである。


また、将棋ではチェスと異なり、駒を打つことが出来る。桂による両取り、銀で両取り、角で両取り…枚挙いとまない。つまり駒を持つことで、その駒でさらに駒得を拡大できるのである。さらにチェスだとなかなか成りは出てこないのだが、将棋だと敵陣が3段もあるので中盤で比較的容易に成り駒が出てくる。



特に「歩」が「と」になったときの昇格などは凄まじい効果があり、(にわかに金持ちになった人を)「成金」などと言うが、それは、この将棋の「と」(成って「金」と同じ移動特性を持つから)から来ている。


このように将棋では駒得してからのスコア(≒形勢)は、ワンサイドになりがちで、しかもその上がり具合は果てしなく急激で、チェスのそれとは比べ物にならない。このように、チェスと将棋は類似のゲームに見えて、スコアに関してはずいぶんと異なる性質を持つゲームなのである。


ということは、序盤でわずかな駒得でもするとそれにより、優位を拡大出来ることがわかる。駒の価値で一番低いのは言わずと知れた「歩」であるが、無条件で歩損するわけにはいかないことは上の説明ですでに明らかである。一歩千金などと言うが、序盤における一枚の歩で勝敗が決してしまうのである。


そこで普通はお互い歩を損しないように守る。(歩が取られたら、取り返せるように後ろから駒を利かす) そうなってくるともはや無条件で駒得することはできない。では、何の得をすればいいのか。


勝つためには歩より細かい得を積み重ねる他ない。歩の価値が100点、歩の交換値が200点だとしよう。100点の得は無理だから、50点、いや30点でもいい、というようにわずかな得を積み重ねるのである。


例えば、飛車先の歩の交換である。次図で、2四歩、同歩、同飛、2三歩、2八飛の5手進んでみると2五にあった歩が自分の手駒になっている。歩を得したわけではない。自分の盤上の駒が自分の駒台に載っただけだ。しかし、将棋指しの間では、この交換は大いに得なのだと言う。



手駒になった得(手駒はどこにでも使えるから)、銀の進路が出来た得(自駒で別の自駒をとることはルール上できないので、自駒があると邪魔で進めないから)、飛車の利きが自駒で遮断されずに2三の地点に直通している得など、点数で言うと50点ぐらい得をしているのである。


つまり、このような交換をされると50点の損だから、後手としてはこのような交換をさせないように当然ながら対策をしてくる。


例えば次図のように3三に銀を持ってくる。こうするともはや歩の交換はできない。(同歩と取られて、飛車で取りかえそうとすると、3三の銀で飛車を取られてしまうため)



つまり、歩を無条件でタダ取りするなどということは初心者同士でしか成立せず、歩のタダ取り(200点)の価値の1/4ぐらいの得を巡って戦うのであるが、それすら有段者では無条件にさせることはない。プロの世界だとさらに細かい得を巡って戦う。点数で言うと10点やら5点の得である。駒の形(位置関係)がわずか相手より良いだとか、駒の形ではわずかに負けているがその分、駒の働きが相手よりわずかにいいだとか。


そのわずかに出来た形勢の針の穴ほどの差を錐揉みで拡大してダムを決壊させてしまうというのがプロの将棋なのである。


しかし、形勢を拡大すると言っても実際はそれほど簡単ではない。例えば下図のように駒と駒がお互いに利きがある場合、駒をタダ取りすることは出来ない。(駒を取れば取り返されるため)




このような形において駒を渡さずに一方的に駒だけもらうことは基本的には不可能なのである。ゆえに必然的に駒を渡しながらの攻めになる。相手に駒を渡すのだから、相手はその駒を使ってくる。よほど形勢に差があれば話は別だが、プロ同士の戦いであればそうはいかない。将棋は相手の王を一手でも先に詰ませたほうが勝ちのゲームだから、相手の王が持ち駒的に見てピッタリ詰む状態になれば即座に詰みに討ち取らなければ逆転しかねない。プロの将棋においては駒を貯めるだけ貯めて余裕を持って詰ませるなどという状況はよほどでない限り起こらないのだ。


もちろん、駒は欲しい。もらえるものなら一枚でも多く欲しい。たくさんあれば容易に詰ませることが出来るからだ。だけど、そんな余裕はないのが現実なのである。お互いが最善を尽くすので、詰みが見えた瞬間に詰ませることが出来なければ、そこで逆転しかねないのである。


そのためには駒の効率を最大限に求めなければならない。その最たるものが捨て駒である。駒を少しでも欲しいのに、その駒を捨てるとはなんということだろうか。しかしそれにより、駒の働きを最大化し、敵玉を詰みに討ち取ることが出来るのである。よく考えて欲しい。このときに捨てる駒を獲得するために自分はどれだけの犠牲を払ってきただろうか。


駒は無条件では得られないことはすでに説明した。そして、無条件には1歩たりとも得られず、1歩どころか、その1歩の1/4すらも無条件では得られず、いやプロの将棋であれば、その1/4のそのまた1/10すらも無条件では得られない。つまり、その駒のために大きな代償を払ってきたわけである。そのような大きな代償を払ってやっと獲得した駒、本当なら捨てたくない駒、捨てるどころか、もっともっと欲しい駒。


それを捨てるのは、それこそ断腸の思いなのである。とても惜しいし、捨てずに済むなら捨てたくはないし、ずっと生きていて欲しい。例えて言うなら、恋人が心臓の病で、心臓移植が必要だと。だけどドナーがいないので、自分が自殺して、自分の心臓を恋人に使ってもらう。捨て駒をするにはそれくらいの覚悟と決断が必要なのだ。


捨て駒は、捨てたくて捨てている駒ではないのである。まして、捨て駒だからと粗末に扱っているわけでは決してないのである。その捨てるための駒を獲得するためにどれほどの代償を自分がいままでに支払ってきたのか。そうして得たわずかな、そして、かけがえのない駒なのである。


王様「すまない、お前たちの命、大切に使わせてもらうよ。本当にすまない。本当に…」
捨て駒たち「いいってことよ。気にすんなよ。俺たちは誰もが王様がどれだけの代償を払って自分たちのことを良くしてくれたか本当に知っている。俺たちのうちの誰も王様のことを恨んだりなんかしないさ。それどころか俺たちのための大舞台を最期に用意してくれたんだからな。俺たちの働きっぷり、とくと見ていてくれ。死に物狂いになれば、俺たち、いつもとは違うほど働けるんだぜ?」

王様「お前たち…」



敵の王「ククク。1三の地点は狭いように見えて意外と安全じゃゾ。2二銀打には同角で詰まない。手駒に金が二枚あれば話は別じゃが、無い物ねだりは良くないゾ。」


2三の銀(年上の兄貴)「そんなことはない!お前を倒すのは、俺たちで十分だ!」



敵の王「何を馬鹿な。自滅しよったか。口ほどにもない奴め。同香と取れば2三金までだが、そんな馬鹿なことをするはずもなく。ここは同玉で何事もないわ!フォッフォッフォッ。」



敵の王「次に2三銀とまた打ってきたら1三玉と上がれば、さっきの局面から手駒の銀をいたずらに消費しただけの局面に戻る。さっきの馬鹿兄貴とやらは全くの犬死にというわけだ。」

手駒の銀(年下の兄貴)「ば〜か。誰が2三から打つかよ。お前はこうだ!」



敵の玉「なんだこれは!?2一玉は3一金までか。ならば、同玉ッ!これで最初の局面から2三にあった銀がただいなくなって、そして、手駒の銀もなくなっただけではないか。どうだ、手駒の金よ。お前の二人の馬鹿兄貴は無駄死にしたぞ!フォッフォッフォッ。」



手駒の金(妹)「二人のお兄ちゃんの命、無駄にしません!上のお兄ちゃんは、2三の地点に空間をあけるためにその命を捧げました。下のお兄ちゃんは、上のお兄ちゃんが移動させたあなたをただ元いた1三の地点に戻すためだけにその命を捧げました。二人のお兄ちゃんが頑張ってくれたおかげで…わたしはこの2三の地点に打つことが出来ます!」



敵の王「ぬおォォォォォォ!!!そんな…馬鹿な…あれが犬死にではなかったというのか。お前ら馬鹿どもが協力し合い、自らを犠牲にすることで明日へ希望をつなげたというのか。」


2三の金(妹)「2三の地点…、お兄ちゃんがいた2三の地点、まだ温かい…。お兄ちゃんの温もり、いまも感じます。わたし、手駒になれてよかった。お兄ちゃんたちと一緒に手駒になれて本当によかった。下のお兄ちゃんのことを信じて1二で逝った上のお兄ちゃん。そして、上のお兄ちゃんの意志を受け継いでわたしに未来を託すため、1三から敵の王の位置を元の位置に戻すためだけに自らの命を捧げた下のお兄ちゃん。わたしは二人のお兄ちゃんと同じ駒台に乗れて本当に幸せでした。お兄ちゃん、ありがとう…本当にありがとう…」

                                           Fin.


こうだよ、こう!捨て駒っていうのは、こうなんだよ!!(怒)
わかったら、お前ら小説家・脚本家は、もうちょっと捨て駒についてちゃんと考えてから書きやがれ。


■ 追記


チェスでは捨て駒はsac.と表記する。sacrifice(=犠牲)の意味だ。KNIGHTやQUEENが犠牲となりKINGをお守りするのである。KNIGHTやQUEENは決して自分がKINGに捨てられたとは思っていないだろう。自らの意志でKINGをお守りしているのである。


そういう意味ではチェスと将棋では世界観が違うのだろうし、「捨て駒」という語感からは、(捨て駒側が)「自らを犠牲にして王様をお守りする」という精神性は読み取れないので悪いイメージがつきまとうのも無理はないのかも知れないが…。

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