アイデンティティが揺さぶられるとき〜積極的に逃げるということ

存在意義を揺るがす危機に直面したときに、人間はどのような行動をとるのだろうか。そしてどこへ行くのだろうか。

バイク便ライダーと客の関係。それは「勝ち組」と「負け組」の関係である。(中略)
「俺ら」は路上でバイク便ライダーを演じることで「あいつら」を見返してやることができるのだ。
搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)』105-109頁

この本を読んでみて、最近感じていることなどを書いておこうと思った。

アイデンティティが揺さぶられるとき

自分自身の存在意義を揺さぶられるときがあるとすれば、プライベート・仕事に限らずこんなときだろう。

  • 敗北感を味わうとき。
  • 劣等感を味わうとき。
  • 屈辱感を味わうとき。
  • 絶望感を味わうとき。
  • 無力感を味わうとき。

「これまで何をしてきたのだろう」「これまでしてきたことは、何だったのだろう」
自分の無力さに愕然とする。自分に抱いていたほんの小さな自信など勘違いの幻想に過ぎなかったと一人うなだれる。

危機に直面するとき

アイデンティティの危機に瀕したとき、自分を揺さぶった対象に対して起こす行動として思い浮かぶのは、下記の四つくらいだろうか。

  1. 受け入れる。
    • 自分の力ではどうしようもないものがあることを認めざるをえないとき。
    • 「屈する」。もう少し柔らかくすれば「大人になる」と言ってもよいかもしれない。
  2. 立ち尽くす。
    • 対象に立ち向かうかどうかを留保している状態。結論をあえて出さない。自分自身が行動を起こすまでの猶予を求めようとする。
    • いわゆるモラトリアム、という時期は、こうしたことが許される貴重な時期なのだと思う。
  3. 戦う。
    • 頑張れば勝ち目がありそうだと感じるとき。
      • 闘争心、ハングリー精神は、こういう心理の状態から生まれるものなのかもしれない。
    • 勝ち目があるかどうかはわからないが、それでも取り組まなければ先に進めないとき。
      • たとえば入試や就職で不本意な結果に終わって捲土重来を期すというのは、こういうシチュエーションだろう。
  4. 逃げる。
    • 勝ち目がない。あるいは戦えば戦うほどに、自分自身が不利になると感じたとき。
      • たとえば、重い病に侵されて生命が有限であることを悟らされたときというのは、このような心境になるのだろうか。
    • 戦うことでゲームに踊らされているという「罠」を感じ取るとき。
      • 「敵」が、自分の力ではどうしようもなく巨大で強力なものであればあるほど、自分自身もゲームのプレイヤーに埋没してしまうのではないかと危機感を覚えるのだろうか。

今回もう少しだけ考えてみようと思ったのは、最後の「逃げる」という選択肢である。

積極的に逃げるということ

自らの意思で逃げるということ。
自分を他人とは違う「特別なもの」に見立てて行動を起こすことで、自分自身を防衛しようとする本能を働かせる。
その意味では、「逃げる」という言葉を用いるのは適切ではないかもしれない。
積極的に自分自身の価値観を見出そうとしている意味において、その人は自分の生に対して前向きであるからだ。
「特別なもの」になろうとすることは、自分が“これは”と見定めた対象に没入すること。
自分を揺さぶった対象とまったく異なる価値観に向けてひた走ることで、脅威を感じさせた対象を振り切ろうとする。
走っている間は自分の目の前にあるものにだけ意識を傾けていればよい。取り組む対象が困難であればあるほど、ささくれだった意識の残滓も含めて自分自身を燃やすことができる。自分で獲得しようと決めた価値のためならば、多少の不自由は喜んで受け入れられるはずだ。
傍から見れば「変わり者」以外の何者でもないかもしれない。なかには「ひねくれ者」「変人」と揶揄して距離を置く人だっているだろう。
だが、他人がどのように自分を評価しようが、その時点ではもはや重要ではなくなっている。自分で決めたことだ*1、迷いはない。
そのように意識の鉾先を一点に集中することで、脅威をひとつの風景として相対化しようとするのだ。

自分にしか語りえないもの

アイデンティティを揺さぶるようなクリティカルな場面に遭遇したとき、積み上げてきた自意識の核になるようなものが不意に露わになることがある。
だから、人から見れば些細なものであっても、自分自身にしか語りえないものを探そうとする。自分自身にしか感じ得ない価値を自分の見定めた対象に求めようとする。
求め続けるその先に何があるか、本人にもわからないままかもしれないけれど。

関連する情報

「積極的に逃げる」ことを考えるための記事を拾ってみました。

どんなに努力しても報われる希望が見いだせない時には、その環境から逃れ、違う機会が巡ってくるのを待つことは、前向きな努力と考えるべきです。
逃げることは、決して負けではない (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)

スケールはあまりにも違いますが、「逃げる」ということを多面的に考えるときに。

目の前にある現実の世界がすべてではない。だからそんな狭いところに無理に収まることはない、窮屈な思いをする必要なんてない。
Say::So? - 逃げこめる世界がなければ永遠に逃げれない。

積極的に逃げることで、今属している世界とは別の世界を開く可能性があるのではないかと、読書を例に述べられています。

 「逃げる」というとすごくネガティブなイメージを持つと思うんだけど、「逃げる」ってアリっすよ。
 そのまま戦って戦い疲れて死を選ぶんだったら、とりあえず逃げて英気養ったらまた戦えるわけだし、それに、わざわざ相手のフィールドに立って戦う理由なんざねえ。
NC-15 - どうしようもないとき、逃げることは決して咎められることはない/アメリカのいじめ事情

自分に合う場所を探すために今の場所から抜け出すことを、確かに「逃げる」とは言わないですね。

「あるゲームでの敗北」は「その他のゲームでの敗北」に直結しない。「あるゲームでの敗北」はその個人を否定するものではない。Aというゲームの敗者は、 Bというゲームでも敗者になるわけではない。AとBではルールもプレイヤーも異なる。ただ、「フィールドを移動する」だけのことである。
想像力はベッドルームと路上から - 「いじめからは逃れられない」っていう概念こそ「いじめ」の巧妙な罠。

既存の価値から積極的に身を背けることでアイデンティティを獲得できる可能性が開けるのではないかと思いました。

顧客の大半である一流企業やIT企業に書類をとどけるたびに、ぬくぬくといいとこ(のようにみえるところ)で仕事してる「あいつら」と、ブルーカラーである「俺たち」の圧倒的な差を感じ、しかし路上では「バイク便ライダー」としてすり抜けなどの卓越した運転技術によってタクシーの中にいたりするホワイトカラーよりも優位に立つことができる。
[日々日報 - 新書『搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た! 』

搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)』のまとまった書評。
劣等感や敗北感を突きつけられた人はどのような価値を求め、どのように行動するのかを手早く知りたいときに。

搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)

搾取される若者たち―バイク便ライダーは見た! (集英社新書)

このエントリを書こうと思ったきっかけになった本。1時間もあれば読めるので軽い読書にちょうどよいと思いました。

*1:決定を下すまでに自分自身も周囲の環境に少なからず左右されている意味で、純粋な「自分の意思で決定する」ということがどこまでありうるのかは正直言ってわからない。この場合の「自分の意思」は、決定を下したことについて能動的であったか受動的であったかにおいて測られるのが自然な落としどころなのかなあ、と思う。

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