真っ青な海と白い砂浜、何処までも澄みきった高い空、緑が生い茂る山々。 そして古くから守られてきた伝統と歴史。 この自然と歴史こそが新島の魅力です。 あなたの旅をより一層充実させるため、新島の見どころをご案内いたします。
Content-Length: 227088 | pFad | http://b.hatena.ne.jp/hidex7777/tanka/history/
この緊急シンポジウムは「強権に確執を醸す歌人の会」の主宰だ。代表は三枝昂之。戦争法の反対運動が高まり、立憲主義、民主主義、平和主義を取り戻す闘いが広がっているだけに見逃せないと思って参加した。主催者からのダイレクトメールも届いた。 シンポジウムは永田和宏の講演から参加した。表題は「危うい時代の危うい言葉」だった。永田の話は安倍政権の動き、安倍政権のこれから、これまでの政治闘争との違い、永田自身の言動、言論統制の4つのステップ、歌人として「時代に向き合う」とはどういうことか。これが話の流れだった。 第一。永田は「民主主義の根幹は言葉」と言う。だが表現の自由が民主主義の根幹ではあるが言葉そのものではない。言葉の問題に限定しているから、話しの内容が抽象的で観念的なのだ。だから永田は話しの最中に「こわい」を連発した。「国益と言われると反論できずに怖い」「国民が戦争動員で団結すると怖い」「今までの言
『短歌研究』12月号が届いた。「短歌年鑑」で記録ともなるものだ。ここで僕の名がでた。このブログの「岩田亨の短歌工房」のタイトルも出た。あまり印象のよい出方ではない。そこでここで最小限のことを書かせてもらう。 問題の一文は屋良健一郎の「2016評論展望」だ。ここでは2015年のシンポジウム「時代の危機と向き合う短歌」をめぐっての吉川宏志と内野光子の『うた新聞』紙上での論争について述べられている。 まず事実関係。ブログには、永田和宏がシンポジウムで「怖いを連発したことに闘わないから怖いのだ」と書いた。また永田が「安保法制に反対する学者の会」に参加していながら、歌人としての発言に問題がある旨を書いた。「うた新聞」の論争については知っている。だが僕は論争の当事者ではないのでとりわけ発言しなかった。僕の意見は吉川とも内野とも違う。僕が発言すると論争が混線しそうだからだまっていた。しかし「短歌年鑑」で
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く
Fetched URL: http://b.hatena.ne.jp/hidex7777/tanka/history/
Alternative Proxies: