Vlajimir Kupriyanov, 《Voennyie utchenyiya》, 1995-2008年, 作家蔵モスクワはもう春がやってきた。街の表情は綻び、人々もどこか陽気な気分を漂わせている気がする。去る55年前に二キータ・フルシチョフは第20回ソ連共産党大会で「雪解け」という言葉を用いて、全体主義政治との決別を図ろうとした。 しかしながら、アートに関して彼の態度は全体主義体制下と何ら変わることなく、アブストラクトな傾向にあった当時の若手の作品を「ロバの尻尾」と罵倒し、結局のところ「公式芸術」を固辞し、その枠組みで発表を拒むもの、もしくは認められない者たちが「地下」で活動を行い、熱気を孕んだ「ソッツ・アート」が生み出されるに至る。 では、当の「公式芸術」すなわち社会主義リアリズムは単なる抑圧対象でしかなかったのか? おそらくこの問いに答えることが許されているのは、当時の作家とその