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今回、独立性の高い原子力規制委員会を設置する法案を議員提案するに至る過程で、多くを学んだ。高度かつ危険な専門的技術で、軍事転用もできる原子力技術を規制するために、国際社会は規制組織の独立性を重んじてきた。
昨年6月のIAEA(国際原子力機関)の対日調査団長も務めた英国原子力規制庁のウェイトマン長官は、本年4月の訪日時、独立性を付与されている原子力規制行政は、国民からの「信頼と信認(trust and confidence)」が決定的に重要であると、繰り返し述べていた。
また、かつて米国原子力学会会長も務め、米NRC(原子力規制委員会)や日本の経産省などに籍を置いた事がある女性原子力専門家ゲール・マーカス博士は、「独立」は決して「孤立」を意味するのではなく、また、「独立性」は「透明性」に裏打ちされていなければならない、とも述べておられる。
「独立性」を巡って、日本銀行法改正の動きが急だ。日本経済がデフレから脱却できないのは日銀による金融緩和が不十分だからで、政治の意思を反映できるよう、日銀の独立性を規定している日銀法を改正してしまおう、という話である。すでにみんなの党が日銀法改正案を国会に提出しているほか、自民党も改正案を出す方向で作業が進んでいる。
日本経済が抱える本質的な問題の元凶を金融政策のみで解決できると考えるのは間違いだが、長期にわたるデフレの原因を日銀に求める気持ちは理解できる。そして、これまでの日銀が戦力の逐次投入的対応に終始し、説明も上手でないため、説明責任を十分果たしていないとの見方が多かったのも事実だ。原子力規制と同様に専門性が高く、政府の財源調達などに悪用されうる機能を持つために、独立性を与えられてきた。だが、その独立性を尊重されるために不可欠な、国民からの「信頼と信認」を日銀は失っているのではないか。
だが、だからと言って中央銀行の独立性を簡単に反故にしてしまって良い訳はない。中央銀行が政治など外部からの圧力から独立していなければならないという仕組みは、歴史上、いろいろな失敗を経験したうえで生まれた、民主主義の知恵、資本主義の知恵であり、今となっては先進主要国の常識になったのだと私は思う。