Content-Length: 252875 | pFad | https://wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com/

ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ウキウキ呑もう! ニコニコ食べよう!

ーー 居酒屋トークの ネタブログ ーー

【日本の花卉園芸文化】欧米のプラントハンターが感銘を受けた 江戸明治期の花卉園芸文化レベルの高さ

< 庭先やベランダのプランターで咲かせる花だって 空間美術の一種だって言えるのかもです >

都市生活者であるただの酒呑みオヤジにとって、なんたって縁遠いのが「園芸」ってやつなんであります。


もちろん個人的なことなんですけど、植物の名前とか、ほとんど知りません。そうして過ごしてきました。


例えば理科のテストなんかで片側に花の名前、樹の名前が並んでいて、反対側に花の写真、樹の写真が並んでいて、さあ、どれがどの写真でしょうか、線で結びなさい。ってな問題が出たとすると、ほぼヤマカンで線を引っ張るしかない感じですね。
たとえ名前を聞いたことがあったとしても、その実物を知らない。


まあね、これまでの人生で、それで困った経験はないんですし、そういうオヤジも少なくはないと思うんですけど、先日ですね、焼酎バーで顔馴染みのオヤジが、契約緑地で畑をやり始めたんだよねえ、ってなにやら自慢気に言い出したんですね。


園芸辞典を買ってきて勉強して、付け焼刃の畑仕事。
わざわざ車で出かけて行ってなんだけど、土をいじったりしているのって健康的な気がする。って満足そうです。


で、何を作っているのかっていうと、花。


はあっ? 畑で花? 大根とかネギとか作れよな、その顔で花なんて、似合わねえだろ!


何を言われてもニコニコしてますよ。そのオヤジだって私とほぼ同様で、花の名前なんてちっとも、だったはずなんですけど、色々覚えていくと楽しいんだそうです。
ふむふむ、そういうもんですかね。


なんでも年間契約の緑地で、種々の花の旬を順番に迎えるように育てて、奥さんが職場に持って行って飾るための園芸活動なんだそうです。

 

 

 


ん~。急に園芸の話とかされてもさっぱり理解できませんが、なんか高尚な感じもするですねえ。
で、ちょっと調べてみる気になりました。園芸って、なに?


農林水産省「園芸作物」によりますと、ひと口に園芸って言っても種類があるんですね。ふううん、です。

 

・食用の果実をつける樹を育てる「果樹園芸」


・食用の葉物、根菜を育てる「野菜園芸」


・観賞用の草花を育てる「花卉園芸」


なるほど、ではあるんですけど、なに? 「花卉園芸」? なんて読むの?
ふむ。「かきえんげい」って読むんですね。全然知りませんでした。初対面の漢字です。


農林水産省花き産業・施設園芸振興室の「花いっぱいプロジェクトについて」を見てみますと、2027年に横浜で「国際園芸博覧会」の開催が予定されているみたいで、なかなか世界的人気のジャンルなんですね、「花卉園芸」って。

 

3つに分けられる園芸ジャンルで、2つが食用。花卉園芸だけが観賞用です。


観賞って言えば「観葉植物」ってありますよね。会社によってはオフィスの中に大きな鉢植えの葉っぱが存在感を主張していたりします。


まさに言葉通り葉っぱを観賞するっていう植物なんでしょうけど、分からんですねえ。
花を観賞するんだったらまだ理解できるんですけど、葉っぱ。ちょっとねえ。どの辺を観賞するの? って感じです。


でも観葉植物の歴史ってかなり古いみたいで、紀元前600年ごろの観葉植物についての記録がバビロンで見つかっているんだそうです。
葉っぱの鑑賞。歴史があるんですねえ。驚きです。


発展した都市であったとしても紀元前ですからね、植物との付き合いはまだまだ食用としての意識が強かったはずだと思うんですけど、視界の中に葉っぱが必要だなんて、生活が安定していたってことなのかもですねえ。精神生活の方もねえ。バビロンねえ。


日本では徳川家康入府の時っていいますから1590年。万年青(オモト)を家康に献上した家臣がいたんだそうで、このころには既に、日本でも葉っぱ観賞が定着していたってことなんでしょうね。

 

 

血生臭い戦国時代に葉っぱに憩いを感じていたんでしょうか。なんかそういう効果があるんでしょうか。


葉っぱの一部に色の入る斑(ふ)入りに人気が集まったりして、時代が進むと利殖の対象になったみたいです。


享保天保年間のころ、万年青が一芽で百両したっていう記録が遺っているそうです。恐るべしですね。


百両もしたら一般庶民の観賞用とは言えませんよね。
「お旗本から旗が抜け」なんていう落首もあるんだそうです。やっかみ半分、でしょか。


万年青のブームって江戸時代以来何度も繰り返されているんだそうです。葉っぱにさほど興味のない身からしてみますと、なんで? って思っちゃいますけど。


明治に入って京都で万年青の大ブームが起こって、今の価格でいうと一鉢一億円なんていうのもあったそうです。
葉っぱですよ。ん~。

 

 

 


観賞っていうことでいえば葉っぱより理解しやすい気のする花ですけど、これは有名なバブルがありますよね。


1636年から1637年初頭にかけて、オランダで起きた「チューリップバブル


チューリップって原産国は現在のトルコらしいですね。
1554年、神聖ローマ帝国のフェルディナンド1世から、今でいうプラントハンターとしてオスマン帝国に派遣されていたオージェ・ギスラン・ド・ブスベックがチューリップの球根とタネを送ったことによって、ヨーロッパにもたらされたのが最初。


これまでヨーロッパにはなかった種類の花をつけるチューリップはあっという間に人気が出て、16世紀末期にはウィーン、アウクスブルクアントウェルペン、そしてアムステルダムに広まったんだそうです。


チューリップの人気はとどまることなく続いて、ステータスシンボルの花になって価格も高騰。


当時のオランダは大航海時代の貿易によって莫大な富を独占していて、チューリップに対する品種改良にも予算をつぎ込んで、ひとかどの贅沢な輸出品として成長させたようです。


どんな花が咲くのか分からない球根という段階での取引は、先物取引の投機的な性格を帯びていって、存在していない球根に莫大な値段が付いたりしてチューリップバブルを迎えます。


ただバブルの期間は短くって、1636年から1637年初頭にかけて右肩上がりに跳ね上がった後、一気に買い手がつかなくなってチューリップバブルはあっけなく崩壊してしまいます。


ペストのせいじゃないかって言われていますね。花どころじゃなくなったってことでしょうかね。


チューリップバブルは崩壊しちゃいましたけれど、ヨーロッパの金満家、王侯貴族にとって未知の世界の未知の花、植物っていうのは自分の趣味っていう側面と投機対象として魅力的なものだったんでしょうね。


そういう文化はなくなることなく続いていて、外国へ出かけて行って珍しい植物を収集するプラントハンターは世界中を旅して回っていたみたいです。


このころの日本は江戸時代。プラントハンターが大手を振って入って来れる状況じゃなかったでしょうね。
ヨーロッパの貴族たちにとって日本は、排他的な国で、かろうじてその存在を知っている程度、だったのかもしれないです。


その存在感の薄かった日本が急激に世界の耳目を集めたのが幕末、1854年の日米通商条約によって、函館、新潟、横浜、神戸、長崎の5つの港が開かれたことでした。


日本とはどんな国なのか。欧米から一気に日本にやってきた貿易商たちにまぎれて、公的、私的の少なくない数のプラントハンターたちがやってきたみたいです。


黒船以降の西欧文化流入は日本にとってものすごく大きなカルチャーショックだったでしょうから、一旦国を開いたからには、欧米の先進技術を貪欲にとりいれて「殖産興業」「富国強兵」に努めることになります。


幕府は拙速に「お雇い外国人」を積極的に雇い入れ始めました。明治政府もその政策を引き継ぎます。
この中にも違う技術の肩書を持って入って来たプラントハンターたちがけっこういたみたいですね。


幕末から明治の半ばにかけて数千人の外国人が技術者、教育者として訪れているらしいんですが、イギリス人が圧倒的に多いみたいです。
当時のイギリス帝国はプラントハンティングの担い手だったんですね。


1759年に王立の植物園「キューガーデン」を設立して、世界中にプラントハンターを送り込んでいます。

 

 

 


世界的に知られたプラントハンター「ロバート・フォーチュン(1812~1880)」は、1843年、アヘン戦争によってイギリスに割譲された香港に派遣されます。


緑茶と紅茶は製法が違うだけで同じチャノキから作られることを発見したりして活躍しますが、1854年、日本が開国したことを聞き付けるとさっそく長崎を訪れます。


シーボルト接触したりしながら日本中をハントして歩いたようです。


そして、当時のヨーロッパには雌株しかなくって赤い実をつけることのなかった「アオキ」の雄株をイギリスに送ってプラントハンターの役目を果たしたことが知られています。


アオキは英語で「Japanese Aucuba」って言うみたいですね。
今ではヨーロッパのアオキもしっかり赤い実をつけるらしいです。


公的な役割を果たしながらフォーチュンは日本人が花好きな国民であることに感心していたみたいなんですね。
こんなことを言っています。


「日本人の国民性の著しい特色は、庶民でも生来の花好きであることだ。花を愛する国民性が、人間の文化的レベルの高さを証明する物であるとすれば、日本の庶民は我が国の庶民と比べると、ずっと勝っているとみえる」


イングリッシュガーデンが世界的に有名で、緑とのふれあいって言えばイギリスが本場なのかなあって、なんとなく捉えていたんですけど、フォーチュンだけじゃなくって日本を訪れたプラントハンターたちは、みんな日本人の植物との付き合い方に感心して驚いたらしいです。


考えてみれば、中国由来の「盆景」を独自に発展させて「盆栽」を楽しんだりしていますし、生け花は飛鳥時代ごろからの文化、菊の栽培は細工として工芸的になって菊人形の観賞っていうのもありますもんね。


日本人の心に花好き、葉っぱ好きっていうのが、ひょっとするとDNA的にあったりするんでしょうか。


契約緑地での花づくり、どうやら順調で、夫婦仲にも役立っているそうであります。


葉っぱねえ。。。

 

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

【愛縁・機縁・良縁】縁結びを願うならやっぱり神社? それともお寺さん?

< 縁結びっていうと圧倒的に神社みたいですけど 縁結びで有名なお寺さんっていうのもあるですねえ >

縁結びっていいながら、いきなり酒の席の話からなんですが、町中華で呑むのがなんたってリーズナブルなんじゃないでしょうか。


昔から町中華で呑んでいる人はいました。昼間でもいたし、とくに珍しいってこともなかったです。
呑み屋さんじゃないんですけど瓶ビールぐらいは置いてますし、ワンカップ紹興酒も定番ですかね。


でも今は「中華居酒屋」って看板を出している店もあって、酒の種類も生ビールはデフォルトですし、しっかりいろいろな酒類を揃えていますね。サワーの種類もいろいろあります。


いつごろから出てきたんでしょうね「中華居酒屋」っていうの。


中華料理のメニューって、餃子、肉野菜炒めとか、たいていがそのまま酒のアテになりますし、ラーメン類は〆としてもバッチリ。
ユーコトナシ、なんですよねえ。


ちょこちょこ行っている「中華居酒屋」があるんですね。10人座れる長いL字カウンターと、4人がけのテーブルが4つっていうちっちゃな店。


1人で来ている客はたいていカウンターで、テーブル席につくのはたいてい2人組です。3人以上のグループで来ている客がなぜか少ない。不思議に家族連れには人気の薄い店なんです。
プレーンオムレツを肉野菜炒めにのっけた「オム肉野菜」とか、目玉焼きをのっけた「目玉肉野菜」だとかね、いろいろ独自メニューもやってくれます。


なあ~んにも特別じゃないですけど、それがまた、旨い店なんです。酒呑みには大人気。

 

 

 


カウンター族であれテーブル族であれ、顔馴染みも数人います。
女性客も多くてですね、けっこうな確率で顔を合わせる妙齢女性の2人組。ツカモッちゃんとホリちゃん。


1年ぐらい前にツカモッちゃんが北海道に転勤になっちゃって、1人になったホリちゃんは、めでたくカウンターデビューとなったのでありました。


事務職だっていうホリちゃんは、いつもわりと早めから来ていて、ゆっくりと呑む生ビールでピータン豆腐とユーリンチーっていうのが定番です。
その晩はホイコーローいってましたけど、もうけっこうキコシメシテおられました。


「ぱうすさん、オッソイですよ。もう3杯目、いっちゃってます」


はいはい、よろしいんじゃないでしょうか。どんどんいっちゃってくださあい。


「あのね、神社あるでしょ、神社。日本にはね、いっぱいあんのよ神社って。あたしどんどんまわってるの」


前置きも何もなくですね、ホリちゃんがけっこうな勢いでしゃべり始めました。


「日本全国ですよ。日本全国の縁結び神社を回ってるんですよ。だけどねえ、もう半年になるのに、誰も現れないんですよね」


縁結び!? ん~。急に結婚願望が出て来たってことでしょうか。
なんだか、らしくない感じもしますけど。


「前に言いませんでしたっけ、ツカモッちゃん、結婚決まったんですよ。あのヤロー、北海道行ったと思ったら急に色気づきやがって」


あ、そゆことですか。いや、まあまあ。そういうトコに対抗意識燃やさなくたってい~んでないの。おめでたい話なんですから。


それにさあ、いろんな神社に祈願してたらドドッとたくさんの候補が出てきちゃうんじゃないの?


「そうなったらサイコーです。選び放題、めちゃ嬉しいです」


縁結びっていえば神社、っていうのが定番なような気がするですけど、縁結びのお寺っていうのはないんでしょうか? お寺はまわってないの?


「お寺に縁結びってないでしょ。苦しい時のカミダノミって言うじゃないですか。神サマって神社でしょ。縁結びとお寺っていうキーワードで検索しても、出てくるのは神社ばっかりですよ」


いや、その、なんと言いますか、苦しい時っていうのって、縁結びとは関係性が薄いんじゃないでしょうか。


「それでね、縁結び神社にお参りして、せっかく行ったんだから、その土地のおいしいものとか食べるじゃないですか。名物とか調べてから行くしね。おかげでこのところ、体重、バク上がりなんですよ。もう、はやく相手が見つからないとブタになっちゃう。縁結びなんかよりそっちの方がモンダイなんですよお」


ん~、なんだか、ずいぶんねじくれたロジックでございますこと。


でもまあ、そのうちご利益、あるでしょ。いや、近いうち、絶対ありますってば。。。
さあさあ、グイっといきましょ、グイっと。

 

 

 


ってな話がありまして、って言いますか、要するに愚痴を聞かされたってだけのことではあったんですけど、ホリちゃんの話を聞きながら、縁結びってホントに神社だけなのか、ちょと気になったんであります。


ザックリ検索してみますと、縁結びで有名な人気の縁結び神社っていうのはたくさん出てきますね。


山形県南陽市の「熊野大社」

 

東北の伊勢っていう神社。人気、高いみたいです。
日本で最初のカップルである、イザナギノミコト、イザナミノミコトを祀っている山形県熊野大社は、しっかり縁結びにチカラをいれているようです。


神話世界って、なんとなく西の方が舞台なのかなあって思っていたんですけど、山形県なんですね。ま、イザナギノミコト、イザナミノミコトを祀っている神社は他にもいくつかあるんでしょうけど。


南陽市熊野大社では毎年、6月から9月にかけて「縁結び祈願祭 かなで」っていうので風鈴の音の響きに想いを届かせて、縁結びを祈願するんだそうです。


夏の風に奏でられる風鈴の音に包まれながら良縁を祈願する。神社ですからね、厳かな空気感なんでしょうね。人気があるのも分かる気がします。


さらには毎月、満月の夜に「縁結び祈願祭 月結び」っていうのがあって、月の光と三羽のうさぎに導かれてご縁が結ばれるように祈願するんだそうです。


満月の夜っていうのがイイ雰囲気、って思いますけど、うさぎ? なんでうさぎなんでしょ。


なんでも熊野大社の本殿裏には、三羽のうさぎが隠し彫りされていて、三羽とも見つけると願いが叶って幸せになれる。っていうことで、うさぎが関わってきているみたいです。


三羽目の場所を人から聞いたり、人に教えたりすると、縁結びのご利益はアジャパー!(古いね、どうも) になっちゃいますよっていう案内がされてますんで、2羽までは案外簡単に見つけられるけど、3羽目がなかなか見つけ難いのかもです。


風鈴と満月と3羽のうさぎ。
縁結びに特化した工夫をされている南陽市熊野大社。イイんでないかい。


島根県の「出雲大社」

 

日本人なら誰でも知っているチョー有名な神社ですけど、縁結びの神社だったんですねえ。そのことも知られているんでしょうか。


出雲大社(いづもおおやしろ)に祀られている神様は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
国譲りの神話でしか知りませんでしたが、大黒様信仰と結びついて、福の神、縁結びの神として人気なんだそうですね。


出雲大社の「縁」っていうのは、男女の出会いだけじゃなくって、全ての生き物同士が共に豊かに栄えていくっていうことを考えた「結びつき」なんだそうです。


大国主大神といえば「因幡の白兎」ですね。素うさぎ、とも書きます。


出雲大社の境内には「御慈愛の御神像」っていう大国主大神とうさぎの青銅の像があって、人気を集めているんだそうです。さらに、この御神像うさぎの他に59羽ものうさぎの石像がある。


熊野大社に続いて出雲大社もうさぎなんですね。
縁結びのうさぎ。縁起がいいんだそうですね、うさぎって。


東京都の「東京大神宮」

 

ええ~!? 東京にも縁結びの神社があるですかあ。しかも千代田区に。知らんかったですう。
東京の伊勢なんだそうです。


江戸時代のお伊勢参りブームの熱気は明治になっても冷めなかったんで、明治天皇が伊勢の地まで願いが届くように伊勢神宮の遥拝殿として明治13年、日比谷に創建したのが「日比谷大神宮」


関東大震災で被害にあって、昭和3年千代田区に移って「飯田橋大神宮」


戦後に「東京大神宮」って名前を代えて、現在は恋愛成就のパワースポットってことなんですね。


なんでそこまで縁結びのパワーがあるのかっていうとですね、神前結婚式を日本で初めて執り行ったのがここ、東京大神宮だからあ~。


本家本元の伊勢神宮が縁結びの神様っていうんじゃないのに、遥拝殿の東京大神宮は縁結びを求める女性たちに大人気らしいんです。
幸福が訪れるっていうのが花言葉のスズランをモチーフにしたお守りだとか、縁結びグッズの他にも「伊勢古里屋の伊勢うどん」も扱っていて、マルチな人気みたいですね。


めっちゃ柔らかいっていう伊勢うどん
東京大神宮はうさぎじゃなくって、うどん、なのかもです。白いし。。。


しかし飯田橋にねえ、駅西口のすぐ近くにこういうトコがあったんですねえ。ホント知らんかった。

 

 

 


で、やっぱり縁結びのお寺ってないのかなあって思いながら探してみたらですね、実に意外な名前のお寺さんがヒットしたですよ。


東京四谷の「於岩稲荷 長照山 陽運寺」

 

於岩さんです、あの東海道四谷怪談のオイワさんを祀っているお稲荷さん、陽運寺。
起原が於岩さん縁の祠だっていうお寺さんです。


本堂には於岩さんの木像が安置されていて、境内には於岩さん縁の井戸もあるっていう、250年以上の歴史があるみたいです。


歌舞伎興行の際に舞台の安全と成功を願って、歌舞伎役者たちがお参りに訪れるっていうのがここ。


でも於岩さんが、なんで縁結びなんでしょ?
うらめしやあ~、っていうイメージの於岩さんですけどね。


実際にあった事件を基にしたっていわれている東海道四谷怪談ですが、於岩さん自身は被害者なんであって、実際の彼女は良妻賢母として評判の高い女性だったそうです。


それで昔から女の味方、女の守り神として信仰の対象になっていて、悪運を断ち切って、良縁が得られる。
於岩さんパワーで縁結び、っていうことになったそうです。


なるほどです。パワー、ありそうですよねえ。
ちなみに2月22日は於岩さんの命日だそうですよ。ネコの日じゃんね。


もう1つ。東京の「浅草寺」

 

ええ~!? 浅草寺って縁結び? そうだったの? 聞いたことないです。


東京都内最古のお寺だっていう金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)の本尊は聖観世音菩薩。
浅草観音っていいますもんね。


この観音様には有名な言い伝えがあるんです。


628年っていいますから、飛鳥時代推古天皇36年。当時の浅草辺を流れていた宮戸川、現在の隅田川ですが、地元の兄弟が漁をしていたら、網に観音様がかかった。
この兄弟漁師の主人が、その観音様にあやかって出家して、自宅を寺に改装して供養したのが浅草寺の始まり。


兄の名前は檜前浜成(ひのくまのはまなり)、弟は檜前竹成(ひのくまのたけなり)。そして兄弟の主人は土師真中知(はじのまなかち)っていって、3人ともしっかり名前まで伝わっているんですから、ホントのことなんでしょうね。


昔の町人には名字がなかった、とかいう話もありますけど、3人とも立派な名字がありますねえ。


それにしても、日本に仏教が伝わったのは552年とも538年とも言われていますけど、奈良の都から遠く離れた江戸、浅草に、観音様が訪れたことによってすぐに出家しちゃうっていうぐらい仏教信仰が根付いていたっていうのは不思議な感じもします。


ま、なんにしても、古刹、浅草寺には雷門、仲見世をはじめとして、いろいろ有り難いものがあるんですよね。


縁結びを願って浅草寺をお参りする人たちは、観音様だけじゃなくって、知る人ぞ知るっていう「久米平内堂」を目指してやってくるんだそうです。


「久米平内(くめのへいない)」??? 誰やねん? どういう縁結びやねん? ですよね。


詳細には分かっていないようなんですが、ちゃんと実在した人物みたいです。


「久米平内左衛門長盛(1616~1683)」肥後熊本出身の武士。


三河挙母藩(ころもはん)に仕えたあと、江戸に出て来て赤坂に道場を開いて剣術を教えていたらしい剣術家。


伝説的な人で、江戸時代の講談に取り上げられたりして名前をのこしているんですね。
道場時代に千人斬りの願をかけて、夜ごとに人を斬って回った。

 

 

何を望んで千人斬りの願をかけたのかは分かっていませんが、その後、無常を感じたのか出家して坐禅三昧の余生をおくったんだそうです。


死に際しての遺言が、自分の石像を浅草寺境内に埋めて、お参りする人々に踏み付けさせてくれっていうもの。
そうすることで自分の罪業を少しでも消し去ろうとしたんでしょうかね。


で、実際にそうしたみたいで、多くの参拝者が踏み付けふみつけしているうちに、踏み付けを「文付け」と解釈して、縁結びの神として祀られるようになって、現在の「久米平内堂」となった。


へええ、な話ですが、参道に埋めた平内の石像を掘り起こして、堂を作って祀ったのはいつ頃のことなんでしょうね。


もう充分に踏みつけられて、人斬りの罪業は浄化されただろうっていう判断があって、そうしたんでしょうから、かなり時代が進んでからなんでしょうね。
ひょっとすると100年以上経って江戸時代が終わってからなのかも。


「文付け」ねえ。


そういえば渋谷には「恋文横丁」なんてのもあったですねえ。石碑は今でもあるんじゃないでしょうか。


縁結び。良縁を望むのは、女ばかりじゃなくって男も同じでしょねえ。老いも若きもねえ。


神社は神話世界が縁結びの由来になっていて、お寺の方はなんだかいわくつきの縁結び。


ホリちゃんの縁結びを応援したい気持ちはあるんですけど、お寺の話をするかしないか、悩んでおります。


それにしても神様仏様って、どんな分野でも廃れないもんなんですねえ。

どなたさまも、良いご縁がありますように。

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

【タコハイ】タコハイボールのタコってどこからきたの? なんでタコ?

< タコの入っていないたこ焼きは大当たりらしいですけど タコハイにタコが入っていたらビックリです >

いつもの居酒屋さんです。冬です。カウンターの右の端っこでポツンと呑んでます。
焼酎ロックの一点張りで、チェイサーももらってますけど、割りものは呑んだことがない酒呑みであります。


女性2人が外の冷気を引き連れて入って来て、左隣りに座りましたですねえ。
会社の先輩後輩でしょうか、ちょっと年齢差がありそうに見える2人。たんまり着込んでます。


コート、マフラー、手袋とか手早く外してハンガーに吊るしてキビキビと着席。


初めて見る人たちでしたけど、年かさに見える方がおしぼりを持ってきた女将さんに話しかけます。


「娘が二十歳になったんです。お酒をね、吞んでみたいっていうんで連れて来たんですよ。なにがイイですかね」


ありゃ、先輩後輩じゃなくって母娘! ふううん、です。ま、そんなにジロジロは見ていませんけどね。


女将さんの態度からしてみると、そのお母さんの方も常連さんってわけでもなさそうでしたけど、プロですからね、あまり聞かないようなアイサツにもそつなく応対します。


「うちはけっこう女性のお客さん多いんですけど、やっぱりみんな炭酸割りですね。レモンサワーとか」


って言いながらメニューのページを開きながら示して見せて、


「二十歳になって最初の一杯ですもんね、じっくり選んで」

 

 

 


酒呑みのみなさんならとくとご存じ、今の呑み助たちは炭酸割りが全盛で、ほとんどの人はサワーやらなんやら、濃くしてくれだの薄くなくちゃ呑めないだの、かまびすしくリクエストしていたりしますですよね。


母娘のメニュー選びはなかなか決まらないみたいで、


「レモンサワーっていうのは聞いたことあるけど、レモンハイってなに? どう違うの?」


娘さんがお母さんに聞いてます。


「ああ、そうね。両方あるわねえ」


と、答えに窮したお母さん。こっちへ首を振って、


「レモンサワーとレモンハイってどう違うんですか?」


お母さんもあんまり呑まない人なんでしょねえ。いや、でもね、あのね、聞く相手、間違えてますよお。
知らんがなって、弱っていると、女将さんがから揚げを持ってカウンター組3人の背中をせわしなく通り過ぎながら、応えてくれます。


「呼びかただけの違いで中身は一緒っていうお店もあるみたいですけどね、ウチは一応ね、区別してるんですよ」


から揚げをテーブル席に置いて戻りがけ、メニューの細かい文字の説明書き部分を指さしながら言います。


「レモンとイチゴと梅干しがあるんですけどね、サワーのアルコールはウォッカ。ハイのアルコールは焼酎。甲類のね」


母娘ともフンフン言いながら盛んに頷いてますけど、たぶんちっとも分ってないでしょねえ。
酒を呑みつけていないお母さんと、初めて呑み屋さんに来た娘さんに、ウォッカとか甲類焼酎とか言っても、何が何なのか見当もつかないんじゃないでしょうか。


それでも女将さんは続けます。


「それとこれね。レモンハイボール。これはブラックニッカ。ウイスキーですよ」


サラサラと説明し終わって女将さんが厨房に戻っていきました。
ふむふむ、ジャパニーズウイスキーの人気V字回復もハイボールからでした。角かブラックニッカが多いですよね。


と、横を見ますと、


「同じレモンでもいろいろあるんだねえ」


って2人で見開きのメニューに首を挟むようにして感心しきり。


同じレモンでも、っていう理解の仕方がそもそも方向性がチャウような気もするんですが、サワーとハイとハイボール。なるほどなご説明でした。女将さん、おみごとお!


でもあれだ、何度も言いますけどやっぱり娘さんはもちろん、お母さんの方も、その区別なんて、たぶん理解はできていないでしょねえ。


「サワーっていうのがなんだかサッパリしていそうだよね」


ってお母さんが言うのへ、


「そうだよね、サワーだもんね。それにする?」


ってことで、


「サワーボール2つくださあい」


「サワーボールっていうのはないのよ。サワーかハイボールか」


「あ、そうでしたっけ。サワーです。サワーがイイです」


「レモンでイイですか」


「はい。レモンがイイです。レモンサワー2つでお願いしまあ~す」


娘さんだけじゃなくってお母さんの方も瞳キラキラで女将さんにオーダーしてますねえ。とびっきりの笑顔ですねえ。日本のヘーワな夜ですねえ。


レバーパテとクラッカーのお通しと一緒にカウンターに置かれたレモンサワー2つ。


じっくり観察されてますねえ。
2人の熱い目線にさらされて、いつもより氷溶けが早かったかもです。


厨房の黒板に書いてある今宵のお勧め「チキン南蛮」をオーダーしてました。2人で1つの酒のアテ。


ジョッキじゃなくってトールグラスのレモンサワー、一杯ずつ吞んで、めっちゃ満足そうに帰られました。

 

 

 


着込みまくった2人が店を出ていった瞬間、大将と女将さんと私と、なんとなく顔を見合わせて、


「なんか、疲れたあ~」


「そですねえ」


「誰でも初めて店で呑む日って、ありますでしょうけどねえ」


どぅわっはっはあ! だったのでありました。常連さんになってくれるとイイですねえ。


と、背中側のテーブル席で向かい合っていた若いカップルの、ショートカットのグリーンヘア女性がこっちを向いてのたまいました。


「家でタコハイとか吞んでから、お店デビューすればよかったのにねえ」


グリーンヘアのオネエサンも、どうやら一緒に疲れちゃったんでしょねえ。はい、改めましてカンパ~イ!
みんな仲間だ、友だちなんだ~!


冬の夜でも呑み屋さんでは、グラスにいっぱいの氷がカランカラン、涼やかな音を響かせておりましたですねえ。


グリーンヘアのオネエサンも初めましてだったんですが、お先に~ってカップルのお兄さんにもあいさつして、暖簾をくぐって帰っていかれましたとさ。
ごくごく当たり前の夜の過ごし方。


オネエサンの言っていたタコハイって聞いたことありますけど、呑んだことはないです。


テレビを持っていない歴、30年近くになりますけど、町中華のカウンターで背中で聞いているテレビコマーシャル。そういうシチュエーションで、記憶に残っている1つがタコハイだったりします。


コマーシャルでは店のカウンターで呑んでいるシーンでしたけど、サントリーとしては缶のタコハイを推しているみたいですね。


最近はこういう缶酎ハイとかを「RTD」っていうんだそうで、そなの? いつのまに? って感じです。
「Ready to Drink」ってことで、そのまますぐ呑めるアルコールドリンクのこと。


じゃあ、昔っからある缶ビールがその代表じゃん。って思うんですけど、缶ビールはあえてRTDって言わないんだそうですね。
なんでやねん! ま、イイんですけど。


缶からそのまま呑めるよっていうのが「RTD」なら、グラスに注いで氷を入れたり、自分で炭酸水で割ったりして呑むのは「RTS( Ready to Serve)」


ん~。英語的では当たり前の表現で、英語圏の人たちはずっと昔からそう言っているのかもですけど、日本でも普通に「RTD」とか「RTS」とか言ってるんですかね。個人的には耳馴染みないです。

 

 

 


タコハイのコマーシャルは2種類知ってます。
田中みな美(敬称略)っていうタレントさんが、


「タコハイって何味なのって思うよね?」


って言うのへ、梅沢富美夫が


「なにあじ? ナニアジ?」


ってかぶせて、田中みな美が、


「(ゴクッ)あぁ~、って味」


っていうやつ。
これで納得する人、いるの?


田中みな実って、ニューヨーク生まれ埼玉県育ちの、元TBSのアナウンサーらしいですけど、人気者なんでしょねえ。知らんけど。


もう1つは、やっぱり田中みな実が、おでん串とタコハイのグラスを持って、


「でん、でん、タコ、タコ、でんタコ。おでんとタコハイ。ん~って味」


っていうやつ。


なんでしょ。おでんとハイボール? 好きな人は好きでしょけどねえ。


両方とも、タコハイそのものについては「あぁ~、って味」であり「ん~って味」っていうだけなんですね。
タコについての話は出てきません。


サントリーのホームページを見てみますと、


「タコハイは、なぜ「タコ」という名前なのか、気になる方も多いのではないでしょうか。 実はタコハイの「タコ」は、魚介のタコを意味するものではなく「多幸」という言葉からきています」


ってことなんですね。


「多幸」ですっていう説明を見るにつけ、思い浮かべるのは銀座、新宿、日本橋にある「お多幸」っていう関東風おでんの老舗の名前です。


3店舗が系列店なのかどうかは分かりませんけど、場所が場所なんで、ちょとお高めの、でもまあ旨いおでんです。


でもあれだ、「タコハイ」の「タコ」は「多幸」なんである、っていうの、説得力ないですよね。


「タコハイ」はサントリーの「こだわり酒場」シリーズ。


サントリーでタコっていえば、これでしょ! っていうテレビコマーシャルがあったです。


田中つながりです。女優の田中裕子が、しどけなく語りかけてくる「マイルドウォッカ樹氷」のコマーシャル。
これ、傑作ですよ。かなり評判でした。


1982年の「サントリー樹氷のタココマーシャル」

 

「そしたらねえ、タコなのよ、タコ。タコが言うの。好きなコがいるんだって。でも、どうにもなんないんだって。タコが泣くのよ~。一流大学出たイイトコのお嬢さんなんだってさ。いやあ、人間やってくのも(ゴクッ)大変だけど、タコやってくのも、大変なんだねえ」


田中裕子、イイですねえ、女優さんですねえ。


この当時かなり人気のあった樹氷でしたけど、マイルドウォッカなんですね。
でも正体は甲類焼酎。


サントリーが焼酎の製造販売免許を持っていなかったんで、苦肉の策としてマイルドウォッカってことで売り出したんだそうです。


令和の現在でも樹氷は健在ですけど、1993年にはちゃんと焼酎の免許を取得したんで「爽快旨口焼酎」ってことになってます。


なんにしても、樹氷のヒット以上にタコのコマーシャルが評判になったのは間違いないです。


焼酎の流行りすたりを乗り越えて、サントリーの担当部署が割りものブームに乗っかって、新製品、っぽいのを売り出すにあたって、サントリーの元祖焼酎、樹氷のタコを持って来たんじゃないでしょうかね。


まったく勝手な判断として、タコハイのタコは、タコが泣くのよ~、のタコである! これでしょ。

 

 

「こだわり酒場のタコハイ」
350ml缶と500ml缶 アルコール6%


このほかに「つぶれ梅」っていうのもあるみたいです。


「こだわり酒場のタコハイの素」
500ml瓶 アルコール25%


ってことはですね「こだわり酒場のタコハイ」が「RTD」で、「こだわり酒場のタコハイの素」が「RTS」になるわけですね。


ま、なんと呼ぼうが、呑んで満足なら、それでハッピー。お多幸でしょねえ。

 

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

【おたんこなす】悪口雑言の物言いって何か謂れがあるんでしょうけど なかなか類推できないっすね

< 罵詈雑言とかも令和の世の中では、ほとんど死語になっているのが多い感じではあるんですけど >

「アンポンタン」とか「ポンコツ」とか、当ブログではしょっちゅう使っている悪口ですけど、世の中的にはしょっちゅう見聞きするっていう言葉じゃなくなっていますよね。


当ブログでは言ってみればワザと使っている悪口雑言の文字言葉なんですが、「アンポンタン」を自虐的に呑み屋さんとかで声に出して言うと「懐かしいねえ」っていう反応がかえってきます。


みんな知っているけど口にはしない。
若い連中だと「ポンコツ」は知っていても「アンポンタン」には馴染みがないようで、「なんすか?」って聞かれちゃうことが多いんです。


「アンポンタン」っていうのはですね、江戸前のサカナの名前。カサゴの一種。


大きなサカナで食べでがありそうってことで人気を呼んで、江戸時代の一時的、かなり出回ったみたいなんです。


それで江戸に住む人たちの「アンポンタン」っていう名前に対する認知度は上がったんですが、残念なことにこの「アンポンタン」なんとも大味。なにこれ? って感じで旨くない。不味い。
で、ダメだこりゃ、っていう評価で、なんだかなあっていうヤツに対して言うようになったらしいんです。


「見かけだけじゃねえか!」ってことですね。


昭和ではけっこう耳にしたような気がする「アンポンタン」ですけど、江戸時代から「引き継がれてきた」悪口だったんですね。意味は変容して来ていて、見かけの良さとかは、今は意味してない、でしょねえ。


でもまあ、昭和生まれの人たちには通じることは通じる「アンポンタン」
令和のいまでも死語ではないのかもです。

 

 

 


「スットコドッコイ」はどうでしょう。落語や時代劇なんかで耳にした記憶はありますけど、日常生活の中で口にしている人なんていませんよね。これはハッキリ死語かもです。


悪口を言い合うのが定番になっていた、日本映画「男はつらいよ


「なにを言ってやがんだい、この、タコ!」
寅さんとタコ社長のケンカ沙汰はこのシリーズに欠かせないシーンでしたよね。


タコ社長にも寅さんに対する定番の反撃がありました。


「いいか寅ッ、てめえなんかにな、中小企業の経営者の苦労がわかってたまるか」


シリアスなんですよね。反撃ではあっても悪口じゃないです。
でもね、口撃するならいつだって寅さんの方が一枚上手なんです。


「この顔が苦労している顔か、この野郎! 風船みてえにブクブクしやがって」


風船がブクブクしてるかどうかは置いておきまして、後ろから白菜で頭をどつかれたりしちゃってね、タコ社長はなかなか大変な役回りでした。


この悪口合戦に、とらやのおいちゃん、おばちゃん、さくらがどんどん巻き込まれて大騒動になっていくシーンが、「男はつらいよ」の中の単なる茶番劇として支持されていたのかっていうと、ちょっとね、違うように思います。


「この、タコ!」とか言って、毎回暴れている寅さん。この寅さんの方こそが「タコ」なんですよね。
それを映画の中の登場人物たちも、それを観ている私たちも、とっくりと知っているわけです。


寅さんはダメなところが目立つ男で、良く言えば自由奔放ですけど、普通に言えばワガママ放題の風来坊。


でもね、風の噂に寅さんの窮状を聞いたりすると、「寅の野郎、かわいそうになあ」なんてね、真っ先に心配するのはタコ社長だったりするんですよね。人情。


みんなも妙にしんみりしちゃったりするんです。会えば迷惑そうな顔するんですけどね。


寅さんはみんなにとってコンニャロな奴なんですけど、みんながみんな、寅さんを仲間だと思って、どんな状態になっても自分たちの一員として考えているってことだと思います。


これって「とらや」の村社会がメインの舞台っていうふうにとらえることも出来そうです。


良く言えば「思いやり」悪く言えば「しがらみ」


なんとも昭和な響きですが、令和の今だってそんなもんだって気もします。日本人の生活ね。
ポンコツポンコツのままで、タコはたこのままで、仲間として認めているんです。


顔を合わせればコヅキ合ったりしてケンカになっちゃうんですけど、寅さんの方にしても「この、タコ!」っていう悪口に、相手を排除しようっていう気持なんかないんだろうって思います。


現代のネットでのイジメ問題なんかは、子どもの世界だけじゃなくてね、オトナ同士の間でも、そこで使われている言葉は相手に対する中傷だったりします。誹謗中傷。


相手を傷つけよう、排除しようっていう気持ちが、どうしようもなく入っています。
相手がいかに大きなダメージを受けるかを狙っている。そんな言葉の羅列。


思うんですけどね、昔の悪口雑言っていうのは、むしろ悪口を言う側の怒りの発散、悪口を言っている自分をスッキリさせるためのものだったんじゃないでしょうか。


とにかくコンニャロっていう気持ちを言葉にする。投げつけるように言葉を吐き出すんですが、少なくとも仲間意識があってこその「この、タコ!」だった。


そういう人間関係を分かっているから、寅さんとタコ社長のケンカも、またやってらあ、って他の村社会の人間たちにも受け止められる。


観ている側にも、ダメなヤツもダメなヤツなりに自分が居るコミュニティーの一員として認めている気持ち、自分だって仲間にしてもらえている自覚があるからこそ、っていうのがあった時代だった。昔はね。昭和ね。


自分が所属している村社会のダメな奴に対して、よその村からダメを出されると、なんだこの野郎! ってね、かばう側に回ります。なんでって、仲間なんですから。


自分だけが正しいっていう主張が今のSNS。昔の悪口は、あいつも相当ダメだけど、自分もまあ、同じようなもんだっていう自覚に基づいていたんじゃないでしょうかね。
メタレベル。客観性の視点が、今よりはあったように思うきょうこの頃であります。


現在のSNSイジメの文言なんかを見るにつけ、気持ちがね、今の人たちはすっかりササクレているんだなあ、そんな気がします。


昭和生まれのオジオバたちにも伝染してきているかもですけどね。

 

 

 


ちなみに「タコ」っていう悪口は「男はつらいよ」の専売特許ってわけじゃないみたいです。


江戸時代から使われていて、身分が上の人間をあざけって言う悪口だった、っていう説があります。


徳川幕府の武士たちには厳しい身分制度がありましたよね。
将軍直属の家臣団を直参(じきさん)って言いますが、禄高が1万石未満の家臣に2種類あるんですね。
その家の祖先の活躍度合いによってなのか、禄高は同じようなものなのに2種類の上下関係が定められている。


将軍を直接見ることのできる権利を「御目見(おめみえ)」っていうんですけど、この権利を持っているのが「御目見以上」って表現して「旗本」になるんですね。


御目見以下」が「御家人」です。将軍に直接お目見えできない。


で、旗本と御家人。以上と以下ってことで、そういう仕組みにのっかって囃し立てるようなお調子者っていうのが、江戸時代にもいたんですねえ。


御家人を見ると「お、以下が歩いてやがる。こら以下、しっかり歩けよ」なんてけしかけるボンクラ旗本。


ま、言ってみれば「メクソハナクソ」ってことなんですけど、やたらに「イカイカ」言われるもんですから、御家人側も黙っちゃいませんね。


オイラが烏賊なら、てめえは蛸だ! ってんで、旗本と見ると「たらたらしてんじゃねえ、このタコ野郎!」


このときのタコが、悪口として江戸の町人の間にも定着した。っていう説ですね。


なので「タコ」っていう悪口には悪意なんて、最初からないんですね。悪口を言うためだけの言葉としての「タコ」
相手を中傷するっていうより、シャレっ気めいて言っているだけの「タコ」


まさに「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し 口先ばかりでハラワタなし」ってやつでしょねえ。
腹に一物、なんてないんです。


今でも「タコ」は「アンポンタン」よりは通じるでしょうかね。


「おたんこなす」はどうでしょう。
これもまた、まず聞かないですよね。


いい意味じゃないってことはなんとなく分かっているんだけれども、使わない。まずもって聞かない言葉です。


相手に面と向かって「この、おたんこなす!」っていうんじゃなくって、その当人がいないところで「あの人、おたんこなすだから、しょうがないのよね」とか、そういう使い方の言葉なのかもしれません。


1995年から1998年にかけてビッグコミックスピリッツで連載された佐々木倫子の「おたんこナース」っていうマンガがありました。


マジメで負けず嫌いの新人看護婦さんがさまざまに失敗しながら成長していくストーリー。


まずタイトルが秀逸でしたね。けっこう人気だったと思いますけど、このマンガのファンであっても、最初から「おたんこなす」っていう言葉を知っていた人って、どれくらいいたんでしょう。


一番やっちゃいけないことを選りによってキッチリとやってしまうような、おまぬけが「おたんこなす」でしょか?


言葉自体のことを改めて考えてみますと、かなり変な言葉です。


語源として言われている内容がまた、ヘンテコです。


江戸時代、吉原で遊女たちが仲間内で使っていた言葉「おたんちん」が語源だってされています。


そういえば「おたんちん」っていう言葉もありましたね。悪口っていうより、からかいっていうニュアンスだったように思いますけど、「おたんちん」から「おたんこなす」って、どゆことなんでしょう。


そもそもの「おたんちん」っていう言葉からしてナゾです。遊女が使っていた言葉。
漢字表記では「御短珍」だそうです。
遊女たちが口にしていた音声に漢字を当てはめたんでしょうか。


どう使っていたのを想像してみますと「あの御短珍野郎、まったくいけすかない。もう来んなっていうのに」
かなりキビシイです。たぶんですけどね。


「御短珍」の御は短珍にくっ付ける丁寧語。


本体の短珍とはなんなのか?


遊女がいけすかない客に対して言うわけですから、ね。短い珍々ってことなんだそうです。


物理的にその男の珍々が短いかどうかは、おそらく関係なくって、悪口としての短珍で、ま、いちおう商売させていただいているって気持ちからなのか、オブラートのつもりなのか、御をくっ付けたんでしょねえ。知らんけどねえ。


ってことで「おたんちん」は「御短珍」
ふううん、です。


でも「おたんこなす」にはまだ遠いですよね。


でもまあ、こういうところが悪口っていうより、言葉遊びの面白いところなんでしょうけど、「珍」っていう言葉の響きが簡単にソレを連想できてしまってツマラナイ、ってことになったのかどうか、いつのまにか「珍」は「小茄子」に代わっちゃったみたいです。


普通の茄子だと立派な珍になっちゃうので、小茄子。ちっちゃいの。


「御短小茄子」

こうやって漢字表記にしてみますと、なんか衝撃でもありますね。


やがて江戸は遠くに去って明治大正昭和の時代。1958年に売春禁止法が施行されて、吉原遊郭はなくなります。


遊郭に遊びに来るイヤな男、なんていう意味はすっかり忘れ去られちゃいますね。
言葉だけは廓の外に出て生き残ったことなんでしょうかね。


「御短小茄子」ってなんだっけ?
なんだか意味は分からないけど、悪口だった言葉だよ。


ってなことで、漢字じゃなくってひらがなの「おたんこなす」になったんじゃないでしょうか。知らんけど。


最後に「オタンチン」についてのエピソードを。


「御短珍」じゃなくって「オタンチン」ね。


夏目漱石「吾輩は猫である」に出てくるんですね。

 

 

誰でも知っている小説だと思いますけど、実際に読んだことのある人って、今は意外と少ないのかもですね。
教科書に取り上げられる小説だから読まない、なんて人もいますからね。


吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ」
って始まります。1章から11章までの小説。


その中の5章です。
名前のない吾輩が、夜の夜中に雨戸に何かがあたる音を聞きつけます。


※ ※ ※ ※ ※
この深夜に人間が案内も乞わず戸締を外ずして御光来になるとすれば迷亭先生や鈴木君ではないに極っている。御高名だけはかねて承わっている泥棒陰士ではないか知らん。
※ ※ ※ ※ ※


でもまあ、吾輩くんは番犬じゃないんで何もしません。
泥棒陰士がひと荷物を抱えて去って行くのを黙って見届けて、ひと寝入り。ネコですからねえ。


※ ※ ※ ※ ※
ぐっと寝込んで眼が覚めた時は弥生の空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。


「それでは、ここから這入って寝室の方へ廻ったんですな。あなた方は睡眠中で一向気がつかなかったのですな」
「ええ」と主人は少し極りがわるそうである。


「それで盗難に罹ったのは何時頃ですか」と巡査は無理な事を聞く。時間が分るくらいなら何にも盗まれる必要はないのである。それに気が付かぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしている。


「何時頃かな」
「そうですね」と細君は考える。考えれば分ると思っているらしい。
※ ※ ※ ※ ※


この夫婦のやりとりがユーモア小説と評価される最大の理由だと思われますね。
しょーもない夫婦のやりとりに巡査くんは焦れてきます。


※ ※ ※ ※ ※
「それじゃ盗難の時刻は不明なんですな」と云うと、主人は例のごとき調子で
「まあ、そうですな」と答える。巡査は笑いもせずに


「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寝たところが盗賊が、どこそこの雨戸を外ずしてどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行ったから右告訴及候也という書面をお出しなさい。届ではない告訴です。名宛はない方がいい」


「品物は一々かくんですか」
「ええ羽織何点代価いくらと云う風に表にして出すんです。――いや這入って見たって仕方がない。盗られたあとなんだから」と平気な事を云って帰って行く。
※ ※ ※ ※ ※


で、夫婦は真面目に被害に遭った品物に検討をつけて書き出す作業に入るわけです。

 

 

 


※ ※ ※ ※ ※
「糸織の羽織です、あれは河野の叔母さんの形身にもらったんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違います」
「そんな講釈は聞かんでもいい。値段はいくらだ」
「十五円」
「十五円の羽織を着るなんて身分不相当だ」
「いいじゃありませんか、あなたに買っていただきゃあしまいし」


「その次は何だ」
「黒足袋が一足」
「御前のか」
「あなたんでさあね。代価が二十七銭」
「それから?」
「山の芋が一箱」
「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」
「どうするつもりか知りません。泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」


「いくらするか」
「山の芋の値段までは知りません」
「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」
「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」
「しかし御前は知らんと云うじゃないか」
「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」


「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」
「何ですって」
「オタンチン・パレオロガスだよ」


「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」
「何でもいい。それからあとは――俺の着物は一向出て来んじゃないか」
「あとは何でも宜うござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かして頂戴」
「意味も何にもあるもんか」


「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」
「愚な事を言わんで、早くあとを云うが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」


「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えて頂戴」


「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」
「そんなら、品物の方もあとはありません」
※ ※ ※ ※ ※


オタンチン・パレオロガスが出てきます。
漱石センセのシャレなんでしょうね。


東ローマ帝国、最後の皇帝「コンスタンチン・バレオロガス(1405~1453)」の名前にかけてオタンチンって言ってるわけです。
ローマ帝国を滅びしちゃった元凶って評価でオタンチンって呼んじゃってる。


ま、漱石センセが本気で無能な皇帝って思ってたんじゃなくって、コンスタンチンとオタンチンの、音の響き的なだけのシャレなんだと思います。


「意味も何にも無いと云うに」っていうのがホントのところじゃないでしょうか。


吾輩は猫である」の中の夫婦の会話の解釈としては、苦沙弥(くしゃみ)先生が奥さんを罵ったっていうんじゃなくって、オタンチン・パレオロガスで奥さんに笑って欲しかったんだけど、執拗に説明を求められて困った。っていうのを読者に笑って欲しいってことじゃないでしょうかね。


苦沙弥先生にとって、オタンチン・パレオロガスで笑ってくれない奥さんは、オタンコナスかもしれません。


え? いや、今の時代、オタンコナスは男女関係なく使って医院で内科医(イイんでないかい)!?

 

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

【ブレインロット】オックスフォードが選んだ2024年今年の言葉は「脳腐れ」だったんです 怖いです

< 改めて見回してみるとそういう人 既にけっこう巷に溢れているのかもですよね 腐っちゃっている人 >

スティーブン・キングが著作の中でしょうっちゅう吐き出している言葉「この出来の悪い世界」
それが21世紀もどんどん時間が過ぎていって、ますますロクデモナイことになってきているんでしょうか。


「ブレインロット(brain rot)」とか言っちゃって、なんで脳が腐ってるとか言われているのか、考えてみます。


インターネット世界のことではあるんですけど、ザックリ言っちゃえば「バカコンテンツ」ばっかり見てるから脳が腐っちゃうってことなんです。


日本だけに限って言えばネットだけじゃなくってテレビもそうなのかもですけどね。

 

「バカコンテンツ」
見てる人の脳みそが腐っちゃうっていうことなんですよね。


スマホとの付き合い方としてよく聞くのが、特に興味があるってわけじゃないし、面白いって思ってるわけでもないんだけど、刺激的でも何でもないインスタグラムのコンテンツとかを見ていて、気が付くと1時間以上も経っていて、なんだかガックリ疲れる、自分にガッカリしちゃうっていう経験。


そういうのってホント、心底疲れますわなあ。深あ~くため息ついて、脳がね、腐っていっちゃう。

 

 

 


コロナパンデミックのあたりから、ネットの中ではちょこちょこ見かける言葉ではありました「ブレインロット」
ネット社会特有の言葉なのかっていうと、さにあらず。ネットなんてありゃしない時代からの言葉なんでした。


1854年に出版されて世界的にヒットした、アメリカの作家「ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817~1862)」の「ウォールデン 森の生活」の中に初登場しています。

 

ソローは19世紀半ばの都市生活から離れて、まさに森の中で暮らして、そのことを書いた本。


21世紀の生活からしてみれば、都市生活とは言ってもほぼ電化製品なんてないような生活だったと思われますが、それでも森の中で極々シンプルな生活を続けたソローが感じたことは「社会は精神的な関与を必要とするものよりも、シンプルなアイデアに引き寄せられる傾向がある」っていうものだったんですね。


人は、昔よりモノを考えなくなったんじゃないか。考えることを面倒だって思うようになっているんじゃないか。


まあもちろん、都会の喧騒を離れて森の中で暮らしてみようっていう発想自体の中に、当時の社会に対する違和感、反発心みたいなものが、ソローの中にそもそもあったんだろうとは思いますけどね。


産業革命が起こってからおよそ100年後のこと。産業革命の波が様々なジャンルで何重にもアメリカ社会を駆け抜けていった後のことでしょう。人の生活の何かが決定的に変わってしまった。


ソローが森へ入って行くきっかけになったであろう気付きは、人類は産業革命前の何か大事な文明を失ってしまったんじゃないか、っていう不安感だったのかもですよね。
失ってしまったことの方が人間にとって大事だったんじゃないか。


その時代の、その地域の文化を築き上げているはずの人びとの生活意識は、複雑なものごとを理解しようとしないように感じる。
脳の働かせ方、思考態度としては「退化」なんじゃないだろうか。


21世紀。デジタルの、インターネットコンテンツの波が、とてつもないスピードで次々に走り抜けていっている現代も、ホントに似ている状況なのかもしれないです。


そういうことを感じる人たちが出て来て、今、復活してきた言葉が「ブレインロット」なんでしょねえ。


19世紀半ばの「シンプルなアイディア」っていうのが具体的に何を指しているのかは分かりませんが、ソローが言いたかったのは、あまりにも単純すぎて、人生の味わいを感じられるはずのないものにばかりかまけていると、アンポンタンになっちゃいますよ。ってことだったんじゃないでしょうか。


もちろん、アンポンタンとか、そんな表現をするような人じゃないですけどね、ソローはね。


こう言っています。
イングランドはポテトロット(ジャガイモ腐れ)をなんとかしようとしているが、はるかに広範かつ致命的に蔓延するブレインロット(脳腐れ)を治そうと努める者はいないのだろうか?」


ジャガイモは当時のイングランド国民食のような扱いの食べものです。貯蔵してあるジャガイモの中に1つでも腐ったものがあれば、どんどん周りも浸食されちゃうわけですから、いち早く見つけて取り除かなければいけないって、そりゃあ懸命になりますよね。


ソローが言っているのは、ジャガイモ腐れが徐々に広がっていく食生活の心配よりも、はるかに広い範囲に致命的に蔓延している脳腐れの方が、だいぶん深刻な問題でしょ! ってことですね。


ポテトロットに関しては、保存方法の改善、品種改良だとかが進んで、何とかなったんでしょうね。今は聞かなくなっています。


でも、ソローが19世紀に警鐘を鳴らしていたブレインロットの方はどうなったんでしょう。


「ウォールデン 森の生活」はベストセラーになったんですし、19世紀から20世紀にかけてブレインロット対策を意識した人も少なくなかったはずです。


ですけどね、20世紀は家電製品の普及っていう時代だったんですよね。
冷蔵庫、洗濯機が身近にある便利生活、ラジオ、テレビが提供する情報、エアコンを利用することによる快適生活。


人類の生活は快適になったことはマチガイナイです。ブレインロットは放っておかれていた感じでしょうか。


生活環境の進歩というのか、電気機器の進化のスピードは加速度的で、コンピュータが当たり前になって、インターネットが普及してSNSが登場してきた20世紀を過ぎて、今は21世紀。
ブレインロットも新たな段階に進んでしまっているらしいんですよね。


19世紀人と比較して、21世紀人は、もっと劣化しているのかもってハナシです。


オックスフォードが言う私たちを蝕んでいるものは「SNSがもたらす低品質なオンラインコンテンツの過剰摂取がもたらす影響」


ブレインロットが個人こじんのメンタルヘルスに深刻な問題をもたらしているっていう、実にコワイ話なんです。

 

 

 


精神的に疲れてしまって「モチベーション、集中力、生産性、エネルギーの低下」を感じている人が、若者を中心に急増しているっていう調査結果があるんですね。


こういう調査結果にありがちな表現「若者を中心に」っていうの、若者の年代を限定していないことが多いです。
まとめ方がザツ、だと思いますねえ。ま、しつこく調べれば年齢を限定したデータにたどり着くこともできるのかもですけど、ざっと見たところでは詳細データは見つかりませんでした。


それにですね、SNSをついつい長時間見ちゃうって、「若者」に限ったことでもなくって、最近はオジオバもけっこうスマホ首になっちゃって病院通いっていう話も聞きます。


老若男女、ブレインロットなのかもです。


身体に不調が現れるほどスマホ漬けになっているのは、全世代共通ってことになっているんだと思います。


スマホに頼り切っているライフスタイルでいると、メンタルヘルス、ヤバイっすよ!
研究は様々行われていて、その結果に基づいてのことらしいんですけど、オーストラリアでは16歳未満の子どものSNS利用を禁止する法案が可決されましたですね。


2024年から1年の期限付きの法案ですけど、様子をみてみようってことです。どういう結論が出されるんでしょうか。注目です。


オトナのメンタルヘルスに対する悪影響より、子ども同士の間での、いじめや性犯罪、ドラッグの売買っていうような悪影響が心配だっていう保護者からの要求によって制定された法案ですね。


オーストラリア政府も、これがSNS対策として正しい方法だっていう確証をもって施行しているわけじゃなくって、とりあえず1年間禁止して様子を見ましょうってことです。


SNSっていう媒体と向き合うのは、人類にとって初めてのことですし、かなり大きな影響のあるものだっていうことをようやく実感し始めた段階で、何をどうするのがイイのかなんて、お釈迦さまでもご存じないっていうのが実情でしょうからね。


子どもに対するスマホの悪影響って、けっこう深刻なものがあるんじゃないかっていうのは、あるエピソードによって世界に知れ渡っているんですよね。


まあ、どう捉えるかっていうのは個人こじんの判断になるんですけれども、1955年生まれの有能、有名な2人ね、スティーブン・ジョブスとビル・ゲイツ
2人ともコンピュータ業界の巨人ですよね。


特にジョブスはiPhoneiPadを世界中に広めてSNSの土台を提供した人。


ところがそのジョブス、自分の子どもにはiPhoneiPadも触らせないようにしていたんだそうです。
スマホ依存、SNS依存の怖さに気付いていて、子どもばかりじゃなくって、自分自身もあまり触らないようにしていたんだそうです。そしてそのことを公言せずにいたことが新聞記者のインタビューがあるまで知られずにいた。


そんなことがニュースになって、だいぶ大きな話題になったと思ったら、今度はビル・ゲイツも自分の子どもが14歳になるまではスマホを持たせなかったってこともニュースになったんですね。


さらには、ジョブスの同僚、アップル社のCEOティム・クックは、「もしあなたが人の目よりスマホを見ている時間が長いなら、それは間違ったことだ」っていう発言もニュースになりました。


SNSの代名詞的に取り上げられる「いいね」ボタンを開発したジャスティン・ローゼンスタインはこう言っています。


「製品を作る時には最善を尽くしたが、その思ってもみなかったような悪影響に気づいたのは後になってからだ」


スマホSNSは現代のフランケンシュタインなのかもしれません。


オーストラリアのSNS使用禁止法は16歳未満の子どもを対象にしているんんですけど、その両親、親御さんたちにしてもSNSの悪影響を受けてブレインロットになっていないとは限らないわけです。


子どもはすぐに夢中になっちゃうからねえ、って他人事みたいに言いますけど、親の世代、もっと上の世代も同じでしょ。ついつい見ちゃってるでしょ、スマホ


そんでもって気持ち的に疲れちゃっていませんか?
普段の生活の中でスマホを手離せないっていうことに、いつのまにかなってやしませんか?

 

 

スマホ依存症」って意外に浸透しちゃってるんだなあってことが、2024年に話題になりました。


日本競馬の女性ジョッキー、藤田菜七子騎手がスマホ使用のルール違反ってことで27歳で引退しちゃったんですよね。
競馬ファンは少なくないですし、日本社会にとってけっこうショッキングなニュースだったですよね。


女性ジョッキーとしての先駆者だったですし、アイドル的な存在でした。
ジョッキーたちは八百長行為を防ぐために、レース前日の夜には専用の宿泊施設に入ることが決められていて、そこでは外部と連絡をとれるスマホの使用が禁じられているんですね。


職業柄止むを得ないルールなわけで、当人だって十分理解していたんでしょうけれど、スマホは手離せない、依存症に陥っていたってことなんでしょうね。


このジョッキーのスマホルール違反、彼女だけじゃなくって、2023年、2024年で9人の処分者を数えているらしいです。


トイレやお風呂に入るときも、スマホを手離せない人って、けっこう多いみたいですもんね。他人事じゃないです。

 

 

 


多くの場合、知らずしらずのうちにやられちゃうのがブレインロット。


ちゃんと寝ているし、過度なアルコール摂取もしていないんだけど、集中力が散漫になっていたり、物事に対する批判的思考が出来なくなっていたりしていませんか?


使っているボキャブラリーがネットスラングばっかりになっていませんか?


フェイクニュースがたんまりと溢れているSNSですが、そういうフェイクを安易に信じ込む傾向にあったり、陰謀論にのめり込んだりしていませんか?


こういうSNS世界のエコーチェンバーにとらわれちゃうと、抜け出るのが大変そうです。
当てはまること、あるかなあってことになると、既にスマホ依存症、スマホ脳になっていて、ブレインロット確定ってことになるみたいです。


要はですね、スマホからイイ塩梅に離れて、イイ距離をとった生活を心がける必要が、21世紀のわたしたちには必要だってことなんですね。


スマホ依存症の人たちの共通したイイワケっていうのがあって、それは、


「ちょっとしたヒマでもリラックスしたいからいつもスマホは手離せない」


っていうことなんです。
これが、このスマホに対する依存がそもそもの誤りッ!


スマホってコマーシャル情報も含めてとんでもないボリュームの情報を浴びせかけてくるわけです。


当人の意志としては「ぼんやり」眺めているつもりでも、脳は、全ての情報を受け止めているんだそうです。
脳って、そういうふうにできている。


なので、リラックスのつもりが自分の脳に無茶な負荷を与え続けている。
結果、脳は疲れちゃうんですね。


疲れているのに、またまた「くだらないコンテンツ」を蓄えさせられる。
ブレインロット、まっしぐらです。


意識的に対処しないとダメなんでしょうね。


スマホが、SNSが、日常生活の中に浸透して、毎日を心豊かに暮らしていくことが、なんと難しくなったことか。


スマホ認知症」なんていう現象もみられ始めているってことです。
以前から知られている認知症の治療は、まだまだこれからで、症状改善の方法は見つかっていないみたいですけど、「スマホ認知症」は簡単に改善できるですねえ。


スマホとイイ距離をとって生活すること。


「だらだらスマホ」「ながらスマホ」を止めること。


自分だけじゃなくって、周りの人たち、そして子どもたちのスマホとの接触態度、よっく観察して、しっかり対処しませう!


スマホ首っていうのも、いろいろな障害につながっちゃうらしいですしね。
ブレインロットから抜け出して豊かな人生を取り戻しませう!

 

 

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com

wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com









ApplySandwichStrip

pFad - (p)hone/(F)rame/(a)nonymizer/(d)eclutterfier!      Saves Data!


--- a PPN by Garber Painting Akron. With Image Size Reduction included!

Fetched URL: https://wakuwaku-nikopaku.hatenablog.com/

Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy