< 食育の会話だったんでしょうけれど 声が大き過ぎて店から注意っていうのを目撃 >
アルコール提供の制限が解除されても、なかなか客足が戻って来ないっていう話をよく聞きますが、少~しずつね、戻って行くんだろうと思いますけれどねえ、なかなかみなさん慎重なんですよねえ。
テーブルとカウンターの客席が全部で30席ぐらいの居酒屋さんなんですけれど、呑み仲間が調理担当でアルバイトをしている関係で「売上救援」で、3日にあげず呑みに行っております。
で、いつも通りカウンターの端っこに陣取ってボウモアをチビチビとやっておりましたんですが、すぐ背中側のテーブルには、会社の同僚なのか、幼馴染みなのか、女性2人、男性1人が和気あいあいって感じでやっておりましたです。
「久しぶりだねえ」
っていう言葉が頻繁に聞こえてきていましたので、会社の同僚だとすれば自粛解除になってこれまでは仕事終わりに呑みに行けていなかったグループなのか、外で呑めるようになってその地域の仲間が久しぶりに集まったのか、そんなことはまあ、知る由もないんですが、女性のうちの1人と男性は、声の大きい人たちでした。
ま、飲食中ですからね、マスクは外しています。
久しぶりで力が入ってしまって声が大きい、っていうんじゃなくって、元々声の大きい人たちなんだろうなって思いました。
地声の大きい人が2人以上集まるとなんとなくヒートアップって感じになっちゃうのかもねえっとも思いましたが、もしかするとテーブルの上にあちこちセットされているアクリル板に声が反射して、特にカウンター側に響いちゃってるのかあっとも思いました。
ハッキリ言って、ウッセエヨ! レベルだったんですねえ。
聞きたくもない会話の内容が途切れ途切れながら、背中から声が降って来るっていうヤアな状況。
「絶対ダンナが教えたのよね」
「別にイイじゃん。パン、牛乳に付けて食べるのって、おかしくないっしょ」
「ダメよダメダメ。お行儀悪いもの。3歳とはいえ女の子なんだから」
ってことでありましてね、ま、本当はもっと言葉数多く、ベラベラっていう感じの大声です。
BGMも流れているんですが、とんがって目立ちますね、大声が。
店の奥さんがすっと寄って行きましてですね、
「お客様がた、減ってきてはいますけどね、まだこういう時期ですので、もう少し小さな声でお願いします」
あれでしょうね、奥さんが「コロナ対策リーダー」ってやつなんでしょうね。
毅然とした声で注意していましたけれど、どういう表情だったのかは見えませんね、背中ですからね。
普段は穏やかな表情の奥さんなんですけれどね。けっこうやり難い役割です。
よっぽどじゃないとやりませんよね、お客さんなんですからね。
「はい。すみません」
聞き分けはイイ感じの3人組なのでした。良かったヨカッタ。
でもまあ、自覚のないハタ迷惑って、自覚が無いだけにすぐにまた声は大きくなっていきます。
で、まあ、呑むことは呑んだし、ってことで「またねえ」で帰って来ました。
「ごめんなさいねえ」って奥さんはマスク越しに笑って見送ってくれましたが、いえいえ、営業自粛解除になったらなったで、お店の方もいろいろ大変ですよねえ。
これからはオオトラも出てくるでしょうから、店側の酔っ払い対策もリハビリが必要なのかもしれません。
気になったのはコマッタちゃんの動向じゃなくって、その話の内容の方でした。
話の前後は分かりませんが、聞こえてきた部分から分かるのは、3歳になる女の子が、パンを牛乳に付けて食べるのはお行儀が悪い、ってことみたいだったんですよね。
どう思いますか?
おそらくコップに入った牛乳と、食パンなのか菓子パンなのかが出されて、女の子はパンをちぎって牛乳に付けて、おそらくはおいしそうに頬張るんだろうと思います。
お行儀。
全然悪いとは思えませんけれどねえ。
お父さんが教えたとか、その辺は分かりませんが、むしろ子供が、食べものをおいしいと思って食べるってことは、とっても健康なことだと思いますね。
牛乳にパンだとか、クッキーだとかを付けて食べるのってなんにもヘンじゃないですよ。
例えば、安いカステラを温めた牛乳にピチョって付けて食べるのって、コーキューな感じになってイイですよ。
食べものを牛乳に付けて食べるのがお行儀悪いんだとしたら、チーズフォンデュなんて、どう評価するんでしょうか。
ナビスコのオレオは、テレビコマーシャルで牛乳に付けていましたよね。
ナビスコに「お行儀悪い」ってクレームが入ったっていう話は聞きませんが、眉をひそめていた人が居たのかもしれませんけどね。
一定数、そういう感覚の人が居るのは分かる気もします。
こうした方がおいしいのに、って子供は思っているのに、お行儀悪いからやめなさいって叱られたから、そうしなくなって育っていくっていうのは、普通にありそうな気がします。
お行儀っていうのがどうでもイイってことじゃなくってですね、なんかおかしい、ヘンテコなマナー感覚って、誰にでもありますよね。
我が家の常識、世間の非常識っていうこともあります。
だいいち、非常識に大きな声でしゃべるって、それこそお行儀悪いと思いますよ。
そこにはお行儀の意識が働いていないんですよね。
食べものをおいしいと思えるってことは、実になんともシアワセなことなんだと思うわけです。
日本で普通に暮らしていれば、空腹になることは、まずないでしょう。
でも、このところ、コロナ禍で仕事を失った人が、食べるものにも困っているというニュースがあります。
私自身も食うや食わずの日々を経験していますので、空腹っていうものを知ってはいるつもりです。
味がどうのじゃなくって、ものを食べられるってこと自体がありがたいことなんですよね。
それでおいしく感じられたら、それはもうシアワセです。
朝は仕事に出かける前に、しっかり食べる人も居るでしょうし、コーヒーだけっていう人も少なくないでしょう。
で、昼になって、オフィス街では時間帯でお昼時間を別けたりする会社もありますけれど、お弁当だったり、外食だったり、コンビニだったり。食べますね。
夜は夜で、作ったり、外食だったり。またまたコンビニだったりするでしょうし、私のようにほぼ居酒屋ってパターンもあるかと思います。
その時その時、食べものを口にする直前、空腹ですか?
お腹が空いて食べるっていう日々であれば、とっても健康、ありがたくシアワセな生き方ができているんだと思いますね。
お昼になったから食べる、っていうルーティーンになっていて、腹減ったあ、っていう状態を感じていない日々。
飽食の時代って言われ始めたのは1970年代かららしいんですが、今やフードロスの時代にまでなってしまっていますね。
自分も含めてなんですが、食べることをもっと大切にして、物を口にする喜びっていうものを取り戻したいなあって思います。トンチンカンなお行儀感覚にとらわれずに。
河出文庫の「おばんざい 京の台所 歳時記」という本の中に大村しげさんの「ちちパン」っていう一編があります。
飽食の時代って言われるようになる直前ぐらいまで、京都の東山あたりには「ちちパン」っていうのがあったそうです。
「分厚う焼いた食パンに、ジャムやらバターをこってりとぬって、熱い牛乳がついていた」
とあります。夏の朝の散歩のこととしてあるんですが、当時の京都の夏の朝はヒンヤリしていたみたいですね。
「このあたたかい牛乳がおいしかった」んだそうです。
「パンをおちちにどぼんとつけて、ぼとぼとにし、吸いもって食べるのは、子どもである」
だそうです。
ジャムやらバターをこってりぬってあるトーストを、熱い牛乳に付けて「吸いもって食べる」
んははって思います。旨そうですし、夢中になって食べている子どもの表情が思い浮かんできますね。
「テント張りの出店があって【ちちパン】の旗が、ひらひらと人をよんでいた。トーストとミルク、ということばを、まだ知らなんだころに、いちばんハイカラやったちちパン」
これですよね、この感覚が何よりの旨く食べることのできる素養です。
いろいろと工夫された食べものは、いつの時代でも次々に登場してきますけれど、一心不乱になれるような食の体験っていうのは、もうほとんど忘れていますね。
お行儀云々っていうことが言えるのはある意味贅沢、シアワセなことではあるんですが、普段食べている何でもないようなメニューを、お腹を空かせて、ニコニコと食べるっていう生活を暮らしたいです。
そうそう、そう思ってこのブログのタイトルを決めたんだった。ってことすらぼんやりしていましたねえ。反省です~。
そういえばフレンチトーストって、牛乳に付けてから焼きますよね。
牛乳と食パン、パンの相性ってイイってことでしょねえ。3歳の女の子の味覚は正しいんでしょねえ。
スパゲッティをズルズル音高くすすって食べる人って、マナー悪いと思います。老若男女ね。
好きなように食べればイイって思いますし、イタリア人にビックリされてもイイんですけど、ほら、スパゲッティって麺が太いですからね、音も激しくって汚い感じがします。
ヌーハラ、ヌードルハラスメントです。
っていう蛇足でした。