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仕事が無ければ仕事を作ればいいじゃない ~公共事業は社会を救う?~

労働豊作貧乏シリーズ「仕事がなければ仕事を作ればいいじゃない」章の続きです(シリーズ目次は右のサイドバーに作っちゃいました)。

 

「仕事のための仕事」の増殖が民間での雇用対策(というより自然反応)ですが、公の対策と言えるのがご存知「公共事業」でございます。

政府や自治体が「雇用を増やします」と言う時に、公共事業を企画することで「仕事を作り出す」という手法がよく使われます。この度、登場した安倍政権もそんな「公共事業推進派」ですね。

今日はそんな「公共事業」という「仕事対策」のこれまでとこれからをボーッと考えていきたいと思います。

 

※なお、この記事で言う公共事業は道路などの純粋完全な公共事業だけでなく、補助金など公のサポートが入るもの全体を指しています(公的事業と言ったほうがいいかもしれません)。

 

 


*公共事業の3つの長所


公共事業の特徴は「(全員の)同意を得なくていいこと」です。

民間企業であれば、出資者が事業に同意してくれないとお金を出してくれません。同意を得るために利益の一部を還元することも約束しないといけないことがほとんどです。

また消費者から代金をもらう時も、勝手に商品・サービスを提供して対価をもらえるわけはありません。ドーナツ屋の前を通りすがって「美味しそうだな、食べたいなー」と思ったとしても、それを買おうとしなければお金を取られることはありませんよね。

対して、公共事業の費用は、多くは「税金」という「強制的に集めたお金」で賄われます。「払いたくないよー」とどんなに思っていても取られていく、何とも無情なアレでございます。。。

しかも、どんなに自分が使わない事業であっても、お金を取られます。「そんなところに道路があっても使わないんだけど」とたとえ思っていても、そのための税金は取られます。私たちは食べてもない、食べたくもないドーナツの代金を取られていたりするのです。

また、民間の市場であれば普通同じ人のはずのお金を出す人と、商品・サービスを受け取る人が違うことがあるのも公共事業ならではですね。

 

このように公共事業は完全に「自由意思・相互同意」を原則とする市場原理の外にある存在ですが、だからこそ民間企業に無いパワーを持っています

 

まず、意思決定が早いという長所があります。みんなに同意を得る必要が無いので(正確には選挙などで一部の人の支持を得ればいいので)、みんなにいちいち「こんな事業しようと思うんだけどどう?いいでしょ?」って確認するステップが省略できるので、エライ人たちが「こんな事業しよう」と思えば、開始できてしまいます。

 

次に、大きな事業ができるという長所があります。民間では本当にその事業に賛同している人たちのパワーを合わせた分だけしか事業の規模を大きくすることはできませんが、(無理やり)事業に賛同していない人たちのパワーも合わせることができる公共事業は民間企業ではなかなかできない大きな事業を展開することができます。一部の人の意思で全員分の意思かのように事業が展開できます。テコの原理のような感じですね。過去、国鉄や電電公社など、日本にまたがる巨大インフラの整備など公共事業だからこそできた事業と言えるでしょう。

 

そして、代金が払えない人にも商品・サービスが提供できるという長所です。お金を出す人と、商品・サービスを受け取る人が違うので、本来なら「ドーナツ食べたい」けど、「お金が無くて買えない」ような人にドーナツを提供することができます。道路に「税金納入者限定」とか書いてないですものね。このように貧しい人に生活保障ができるという特徴も公共事業だからです。

 

⇩まとめるとこんな感じです。

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*公共事業の3つの短所


これらの長所を活かし、インフラ整備などで、公共事業は日本の高度成長期を支えました。いえ、日本だけでなく、今成長著しい中国・韓国なども国の政策で企業を支援しているそうですが、これも一種の公共事業と言えるでしょう。

また、事業規模も先ほど見た通り大規模なものもしばしば起こるので、その産み出す雇用需要も大きなものになります。「仕事不足」にあえぐ労働市場への対策として使われているのももっともだと思います。

 

しかし、長所があれば短所もあるのが世の常です

 

まず、全員の意思を聞いていない一部の「エライ人たち」の意思だけで動く事業ですので、そのエライ人たちの考えが間違っていたら、当然間違った事業が動き出します。公共事業が全員の賛同を得なくても許されているのには、その「エライ人たちの考え」が正しい方向を向いているという前提があります。「エライ人たちの考え」が至らなければ、不要な事業が行われ、必要な事業が行われないということにもなりかねないのです。

もちろん民間企業でも一部の人たちの考えだけで事業が始まります。ただ、その事業は彼らが集めた資本などで始める事業であって、「身の丈にあったサイズ」です。しかし、公共事業は先程から見ている通り、「身の丈以上の大きなサイズ」をテコの原理で動かすものです。そして、「エライ人」だけでなく下手をすると「国民全体」を巻き込むものです。ですから、公共事業で「エライ人たちの考え」の方向性が間違っていると、被害が「エライこと」にもなるのです。

失敗するにしても、せめて全員の賛同があれば、みんなの責任ですから我慢もしやすいのですが、なにせ全員の賛同を得ていません。だから「最初からこの事業には反対だったのに」という人まで等しく失敗を味わうことにもなりえる理不尽も発生するのです。

更に言えば、「エライ人たち」が本当にまじめに考えた結果失敗したのであれば未だ許せるかもしれませんが、案外そうでない可能性さえでてきます。なにせ、「エライ人」さえオトしてしまえば、絶大なパワーを持つことができるということで、「エライ人に賄賂を送る」といったような、汚職の危険がどうしてもでてくることになります。全員賛同の仕組みであれば、全員に賄賂を送ることはできませんから、やはり公共事業の「テコ入れ」ならではのリスクと言えます。

こういった「一部の人」のせいで「全員が」被害を受けるリスクがあるというのがまず大きな弱点となります。

 

 

次の短所に、事業効率が悪くなりやすいということがあります。

純粋な民間企業であれば、事業収入から事業支出をひいた事業利益が、事業存続のカギですから、収入と支出のバランス、効率を自然に考えるようになります。しかし、公共事業では、税金という大きなバックアップがあるために、利益が事業の糧となっている割合が小さく、収入と支出の効率があまり意識されません。ですから、事業運営にあたってどうしても無駄が多くなってきます。事業が赤字であっても、存続できてしまうという恐ろしいことも多々起きます。当然、無駄な赤字があれば、そこを賄っているのは税金ですから、ここでもまた「全員」が被害を受けてしまう仕組みがあるのです。

これは、既にみんな腹を立てているところですから、よくワイドショーなどで「税金の無駄遣い」を指摘するようなコーナーをやってますよね。

 

 

そして、もう一つ、事業を止めるに止めにくいという短所があります。

民間企業であれば事業がうまくいかなければ倒産するだけで、市場から「必要ない」とされた事業は自然淘汰されていきます。たとえ事業者が止めたくなくても止めざるを得ないという意味では冷たいようですが、引き際はちゃんと決まっているとも言えます。

しかし、公共事業はなかなか止まりません。必要なものならいいのですが、不要なものまで止まらないのです。それは公共事業の多くが紛れも無い「善行」だからです。これは先ほど書いた長所の「貧しい人にも提供される」という要素のためです。多くの公共事業が「みんなのため」「貧しい人のため」という非常に善い目的のために企画されるために、それがいくら効率が悪くても、「さすがに貧しい人のためといっても、もっといい方法があるのでは」というレベルのものでも止めにくいのです。ご存知の通り、事業の方針を決める「エライ人たち」は投票などで選ばれる人気稼業です。彼らも彼らで人気を失いたくはないですから、「善行」を止めるような方針は非常に立てにくいのです。

例えば、過去の郵政民営化の論争の時などでも、例えば「民営化すると地方の人が困る」など、公共であるからこそ恩恵を受けられていた人たちをどうするか、ということが議論になりました。

 

 

⇩まとめるとこうなります。

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結局、雰囲気としては、

・小回りが聞いて無駄がないけれど、パワーは弱く大きくなるまで時間がかかる民間企業

・大ぶりで最初からパワーは強大だけれど無駄も多くなって小回りが効かない公共事業

こう言えると思います。

 

 

 


*公共事業の栄光、そして・・


さて、このような長所短所を踏まえた上で、公共事業はアリなのかナシなのかを考えてみましょう。

 

公共事業を企画すれば、確かに仕事・雇用が生じます。ですから、「公共事業で仕事不足の対策」というのは一応間違ってはいません。

しかし、問題はそれが意味のある公共事業かどうかです。

仕事が生まれるならなんでもいい、意味がなくて無駄な事業でもいいというのであれば、極論すれば「穴を掘って、掘ったら埋める」をただ繰り返すというような事業でも良いことになります。

ですから、事業の方向性というのが大事になってきます。すなわち「エライ人が必要・不要の事業を見極められるか」が重要なのです。

 

必要な事業を見極めることができれば、その強大なパワーから、公共事業は当たれば凄まじい効果を発揮します。先ほども挙げた高度成長期などは、そんな公共事業が当たった例と言えます。この過去の成功体験がありますから、今後も公共事業を駆使して頑張って行きたいと思う人が居るのも仕方がないかもしれません。

 

ただ、ここで、確認しておかないといけないのは、高度成長期などで公共事業が当たったのは、方向性がうまくいったのは、結局のところ「答えをすでに見ていたから」なだけということです。

 

以前にも書きましたが、高度成長期などはわかりやすい「工業の時代」で、そして戦勝国の欧米などの先進国が既に発展していました。彼らが目の前で発展しているのですから、それを参考に「追いつけ追いこせ」とすれば方向性は間違いようが無いのです。

例えば、日本は「発明は不得意だが、改良は得意」などと言われるのを聞かれたことがあるかと思いますが、まさにコレです。「自動車というものがいいらしい」と分かりさえすれば、その自動車に一丸となって注力すれば凄まじい早さで成長できるのです。なにせ方向性は合っているのですから。つまり、公共事業というのは「方向性が分かっている時こそ強い後追い性格」で、発展途上国に有効な戦略なのです。(※自動車は公共事業ではないですが、例えということで。THE公共事業のインフラも結局同じです)

この流れは実は今の中国や韓国にも言えるところがあります。彼らの昨今の著しい成長や発展は、単純に国をあげて「欧米・日本などの工業成功」を追っかけているだけなのです(そして、追い越そうとしています)。これも発展途上だからこそできる技なのです。

日本が中国韓国の工業製品に押されて苦しいと言われていますが、結局のところ、過去に欧米などに対して日本がやってきたことそのままなのです。

 

 


*公共事業という一世一代の大博打


さて、このように過去に栄華を誇った公共事業ですが、私は今後は当たる可能性は低いと思っています。

なぜなら、日本は既に先進国になってしまったからです。

先進国ということは、つまり「これからは自動車の時代!」といった正解が分からない、道なき道を行かないといけないということです。

公共事業が長けていたのは、その「勢い」「パワー」「スピード」であって、その「狙い」ではありません。どんな強力な大砲もあさっての方向に撃っては意味がないのです。

 

この「狙い」がどれだけ難しいか、こう考えてみて下さい。

 

――appleの株を成長前に見極めて買うことができたでしょうか?

 

現在のapple社の発展は言わずもがなです。そして、その株を起業当初から持っていれば億万長者になれたはずと人は言います。ですが、これは結果論ですよね。当然ですが、当時appleに似たようなベンチャー企業は株式市場にたくさんあったはずで、その中からappleのような本当に成長する会社を見極めるのはとても大変なはずです。

しかし、今後もし公共事業をするというのであれば、それを決める「エライ人たち」に求められるのはこういう能力になります。

公共事業で成長を描くというのは、選択肢が無数にある中で、この選択肢に決めたと一点集中買いするようなものなのです。株式市場で、「これが未来のapple社だ!」とある会社に多大な財産を投資するようなものなのです。

当たる可能性はゼロではありません。しかし、普通に考えれば非常に低いのは事実なのです。

公共事業に日本の将来を賭けるというのは、つまりは、こんな国民全体を巻き込んだ一世一代の大博打のようなものなのです。

 

政治家の方々は良く、「今後、成長する産業を見極めて補助していく」と言います。

しかし、最も難しいのはその見極めなのだということが、私は何となく忘れられている気がするのです。

スーパーコンピューターの事業に対して「2位じゃダメなんですか」というセリフが有名な事業仕分けですが、アレも非常に賛否が分かれていたことは皆さん記憶に新しいのではないでしょうか。

 

何が役にたって役に立たないか、成長するかしないか、誰も事前には分からないものなのです。

 

 

まとめます。

発展途上の段階で、先進国を参考にでき、正解が見えていた時期は、力強い公共事業は国力の増強に大きな効果がありました。

しかし、先進国となった現代では、正解が分かりません。公共事業もどういうことに注力するべきか非常に難しいはずなのです。だから、先進国となった上で公共事業で成長しよう、効果的な産業を発展させようというのは、目隠しをしたまま、標的もわからないまま、多分この辺ということで大砲を撃とうというようなものです。そして、撃ったら撃ちっぱなしで、ひくにひけなくなってしまうというものなのです。

 

 

ということで、残念ながら、先進国になった以上、公共事業はおそらく外れます。申し訳ないですけど、普通に考えて外れる可能性の方が高いのですから仕方がありません。

 

そして、狙いが外れるということは、どういうことかと言いますと、公共事業が大きくてそして止められないという性質である以上、「多くの人が無駄な仕事につく」、そして「つき続ける」ということです。

確かに、これも仕事ではあるでしょう。しかし、突き詰めれば、穴を掘って埋めるような、実効果の無い「仕事のための仕事」でしかないのです。

せっかく公でやっているのに皮肉なことですが、民間と同じように、公共事業も最終的には「仕事のための仕事」に落ち着いてしまうのです。

それも「雇用確保のために公共事業をしよう」とすればするほど、そうなるのです。

 

そうするとどうなるか。

国民みんなが「無駄な仕事」に従事して金銭的にも体力・時間的にも余裕が無くなって、「成長戦略」も描けず対外競争にも破れていく。かといって、雇用を残すために、引くに引けなくなってしまう。

そんな悲しい未来が、私には見えてしかたがないのです。

 


結局のところ、「仕事がなければ仕事を作ればいいじゃない」という発想が癌なのです。

仕事が無いのに無理に作ろうとするから、「無駄な仕事」が生まれるのです。

だから、私たちの発想の転換がここで求められるのです。

 

 

 

P.S.

ということで、ようやくですが、もうじき、労働問題に対する私案に入っていきます(当初から、大分引っ張りましたね)。

もう時期的に多分来年になると思いますけど・・・。

しかも、ちょっと寄り道コラム挟むかもしれません(/ω\)スミマセン

 

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