「激動イスラム」を見て ~自由主義と民主主義の抱えるジレンマ~
この土日にNHKスペシャルを見ました。
第1回は「アラブの春」という民主化革命をしたエジプト。この革命で、自由で民主的な国になるかと思いきや、イスラム法を軸に国を設計するイスラム主義者が政権を獲り、革命の主役だったはずの若者たちが困惑している、というお話。
第2回はかつてイスラム革命でイスラム国家となったイラン。イスラム主義を拡大するべく、自由社会の盟主アメリカと対立し、経済制裁に苦しみながらも突き進んでいく様子を描いたお話。
イスラム情勢のお話はとても興味深く、最近マイブームなんです。
このテーマを見ていると、自由とは何か、民主主義とは何か、ってすごく考えさせられるんです。
というのも、このイスラム問題に、自由主義と民主主義の最大のジレンマが見えてくるからです。
民主主義のジレンマ
例えば、上のエジプトの回では、革命に参加した若い女性が「自由で民主的な国になるはずが、イスラム主義の国になってしまって、辛い」と語る場面があります。
番組を見ていると、NHKはわりとこの女性に肩入れしているような印象を感じました。もちろん、出来る限り公平な番組作りにしようとしているのですけれど、私たち日本人には民主主義の方に愛着があるから、ついついその気持ちが出てしまうのでしょう。
でも、冷静に見てみれば、実のところ、このイスラム主義の大統領はちゃんと「選挙」という民主的な手法で選ばれているんですよね。
この意味では民主的にイスラム主義が選ばれただけ、民意が「イスラム主義がいい」と言ったから「イスラム主義になった」だけではあります。
そう聞くと、民主国家に住む私たちからしても「選挙で負けたなら、じゃあしょうがないんじゃないの?」とも思えますよね。
では、何故、この女性は悲しんでいるのでしょう?
何故民主的に決まった結果なのに、民主的国家になるはずだったのにと嘆くのでしょう?
それは、イスラム主義の性質に原因があるんです。
イスラム主義というのは、イスラム法に基づいた国作りをする考え方のことです。
このイスラム法というのは、イスラム教が絶対視するアッラー(神様)の言葉で作られたルールです。
預言者ムハンマドの時代から伝わるコーランやハディース集と呼ばれる書物にこのイスラム法が記されていて、このルールに従って生活することがイスラム教の教えです。
要するに、偉大にして絶対唯一のアッラーに全面的に従います、というのがイスラム教です。
このイスラム法に基いて国を運営するのがイスラム主義国家のやり方になるわけですが、イスラム法というのは神様の言葉ですから、当然人間が勝手に改変していいものではありません。
すると国の法律の中に、国民の意思では変更が効かないルールがあることになります。
日本でも憲法改変では色々論議があるものの、一応変えられるようには作られています。国民の大多数が賛成すれば、憲法は変えられるようになっています。
ですが、イスラム国家では絶対に変えられない憲法があるようなものなのです。
ある程度は民主主義に近い形はとれるかもしれません。ですが、民意で変えられないルールがある以上はどうしたって民主主義ではないのです(イスラム教がいわば神様主義なので当然ではあるのですが)。
つまり、結局のところ、今回エジプトでは民主的な選挙によって「民主主義をやめます」という民意が得られたという形になります。
で、一度やめれば、国民がやっぱり民主主義がいいなと思っても、もはや民主主義でなくなってるので、民意で民主主義に戻すことが不可能になってしまうのです。
これが、民主主義は「民主主義をやめよう」という民意を認めてもよいか、という民主主義のジレンマです。
過去にも、かの悪名高いナチス・ドイツのヒトラーも民主的に独裁を勝ち取ったという歴史があり、一度落選するとまず戻れないという、民主主義にとってはまさにアキレス腱なところです。
自由主義のジレンマ
イランの回では、イスラム主義を広げる野望を持つイランと、自由社会の盟主アメリカの対立の構図が描かれます。
アメリカが自由の敵などと言って敵対視するのでお分かりの通り、イスラム主義は民主主義でないのと同時に自由主義でもありません。
たとえば、唯一絶対の神様を讃えるイスラム教ですから、信教の自由は認めません(制限つきで他教徒の存在そのものの許容はしますけれど)。
そして、あくまで世界はイスラム法によって治められるのが望ましいという考え方なので、先ほども書いた通り、ルールを自分たちで決めるという自由もありません。
なので、イスラム主義は自由主義ではないわけです。
でも、一方の自由主義からすればイスラム主義の思想を持ったりイスラム教を信仰するのは、当然自由です。
多様な価値観をすべて認めるのが自由主義のポリシーなのですから、イスラム主義という価値観の存在を容認しないといけないはずです。
ここにジレンマがあります。
すなわち、自由主義は「自由主義はやめるべき」と主張する人の自由を認めることができるかどうか、というジレンマです。
言い換えれば、多数の価値観を認めようと言う人が、「みんな一つの価値観になるべき」と言う人の価値観を認められるかどうかということです。
考えてみていただけるとお分かりの通り、これは両方の価値観が両立することはできません。
いくら多様な価値観を認める人が、「そういう価値観もあるよね」と「単独価値観派の価値観」を認めたところで、まだみんなが一つの価値観になっていないのですから、「単独価値観派」の主張は満たされていません。
だから、「単独価値観派」は、その勢力を広げようと広げようと他の価値観への圧力を強めることになります。
そしてもし、みんなが一つの価値観で統一されることがあれば、当然「多様な価値観を認める」という価値観は消滅します。
どうしても両者は両立することがないのです。
これが自由主義のジレンマです。
拡大を続けるイスラム主義を抑えようと武力を行使するアメリカは、自由の名のもとに「イスラム主義者の自由」を抑圧していると言えます。
自由を守ると言いつつ自由を侵害するという大いに矛盾した行動なのですが、そうしないといけないほど、このジレンマの解消が難しいことを示していると言えるでしょう(ま、思想より石油とかの利権の要素も大きいのでしょうけれど)。
自由主義や民主主義を守るのは大変
このようにイスラムを巡る問題を見ていてお分かりいただける通り、私たちは普段何気なく、自由主義・民主主義の国に住んでいますが、これを維持するのはきっと実は大変なことなんです。
まるで空気のようにその味を楽しんでいる私たちですが、自由主義や民主主義は決して当たり前のものではないのです。
民主主義って、めんどくさいし、効率も悪いし、大変だし、達成感も案外ありません。
選挙もたいがいめんどくさいでしょ。話し合いもめんどくさいでしょ。ネットとか気が狂いそうになるくらいめんどくさいでしょ。
民主主義というのは、歴史が様々な教訓から学ぶことで生み出した画期的な発明のうちの1つだとは間違いなく思うけど、必ずしもすべてがよいことばかりだとは限らない。問題点もある。
また、自由、自由と言うのは同時に、どうしても自由に動きたくない人を排除してしまいます。
どんなに努力したって「自発的に動く」人間がいる職場では、かならず「自発的に動かない」人間を排除することになる。
そしてまた、自由というのは、どんな辛い問題も、どんな悲しい問題も、どんな面倒くさい問題も、いちいち全部自分で考えないといけないので、実はとっても苦行です。
考えることは辛いこと、そして同時に、考えないことは楽なことなのです。
こんな中で、スッキリとした一つの価値観の魅力というのも分からなくもありません。
それに身を委ねたくなる気持ちも分からなくもありません。
私自身、それも素敵だなーって思っちゃうこともあります。
でも、私は、やっぱり自由と民主主義が好きな人間です。
みんなが各々の「好きなこと」を言ったり、やったりするのを見るのが好きで、みんながやりたくないことをやらされたり、不当な暴力を振るわれたりするのが嫌いなので。
悩んだり、考えるのは好きなので。
神様からみたらちっぽけかもしれないけど、でも、それでも自分で生きてみたいって、そう思うので。
ただ、
自由が好きなら、自由と民主主義が嫌いな人の自由も認めないといけません。
民主主義が好きなら、自由と民主主義が嫌いな人が多数派になった時は負けを認めないといけません。
それなのに、自由と民主主義を維持するのは上に書いたようにほんとに大変です。
一方で、イスラム教とかとっても魅力的です。
ほんと、すっごく不利な状況です。
でも、それでも、アメリカのように自由の原則を破りながら自由を守るという矛盾した行動ではなく、あくまで自由の原則に沿って自由を守っていけたらと思います。
ああもう、ほんと難しいです。
こんな難しいことってあるでしょうか。
でも、だからこそ、がんばらないといけないのだろうと思います。
さて、皆さんは自由と民主主義は好きですか?
強制はできません。
でも、一緒の思いの人がいれば、やっぱりうれしいなぁと思います。
この道はほんと大変ですけどね!

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P.S.
色々書きましたけど、私はイスラムの教え、実は結構好きなんですよー(キリスト教より好きかも)。
一見厳しそうに見える規律も、人のだらけやすい性格を見越したものと考えれば合理的なものばかりですし、とくに、偉大なアッラーの前では人は平等であるとして、「聖職者は許さない」、「偶像も許さない」、「困っている人がいれば助けるべき(喜捨)」などの教えに現れる徹底的な平等主義なんて、私はとても素敵な考え方と思います(日本的には福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず」というところでしょうか)。
イスラムってなんとなく怖いと思われてる方も多いかもしれないですが、それは誤解だと私は思います。
やっぱり正直言って魅力的な宗教です。
とはいえ、私にはどうしても唯一神という考え方がなかなか信じ切れないので、イスラム教徒にはなれません。やっぱり今のところ科学教徒になってしまうのですよね。。。(どちらかといえば、どこにでも神様が宿っているというような日本神道の八百万の神の方が肌に合う感じです)
それにしても、ほんとは敵同士じゃないんですけれどね。難しいですね。。。