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「反乱」と「起義」の中国 - 枕流亭ブログ
中国の前近代の史書では、王朝への武力反抗が起こると、それは「乱」(亂)と書かれた。乱とはみだすこ... 中国の前近代の史書では、王朝への武力反抗が起こると、それは「乱」(亂)と書かれた。乱とはみだすことやみだれることを意味し、そむくことを意味する「反」(叛)とあわせて「反乱」(叛乱)という語も造られた。「反乱」とは王朝への反抗という凶事であり、王朝史観のもとではネガティブに捉えられる出来事であった。 いっぽう同じく王朝への武力反抗であっても、新しい権力の確立に成功し、新しい王朝の建国に成功したものは「反乱」とは呼ばれない。王朝史観のもとで建国とはポジティブな出来事であって、成功した反乱はすでに「反乱」ではないのだ。さて、日本ではなじみのない言葉だが、次なる国家の建国に成功した武装蜂起を「起義」と呼ぶことがあった。李淵は太原で「起義」したのであり、高歓は信都で「起義」したのである。 後代の社会の変化にともなって史観も変化し、それによって「起義」も「反乱」もその意味するニュアンスが変容していく。