★ 昭和5年生まれの私にとっては、幼少年の全時期が「15年戦争」の時代でした。生まれた翌年に満州事変が起こり、小学校に上がった時に日中戦争が始まり、広島で原爆体験をして戦争が終わったのは15歳の時でした。 ★ 「軍国少年」 それが小中学生時代の代名詞でした。「我ら少国民」がそれを自覚させる合い言葉でした。そして事ごとに叩き込まれた”大義の志” それは、学校の先生達によって繰り返し教えられました。「大君の辺(へ)にこそ死なめ」 このシリーズの最初にも申し上げました。もう一度、思い返して下さい。 オマエたちは、天皇陛下の赤子(せきし)である。現神人(あらひとがみ)天皇陛下のお恵みによって此の世に生をうけ、戦争という非常時にこうして勉強させていただいておる。その御恩に報いよ。オマエたちの目的は「大君の辺にこそ死なめ」 天皇陛下のために命を捧げることである ★ 私たちが少年の頃、「なぜ?」は禁
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