これまで、つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました。 球団マスコットとして、ここまで育ててくれた功績に感謝と敬意を表します。 体調不良の発表以来、温かい励ましのお言葉をたくさん頂戴し、誠にありがとうございました。 今後の活動については、しばらくの間休止となることをお知らせいたします。 なお、皆さまにおかれましては、故人のプライバシーを尊重し、温かく見守りくださいますようお願い申しあげます。

アメリカの人気ドラマシリーズ「ツイン・ピークス」や、映画「マルホランド・ドライブ」などで知られるデビッド・リンチ監督が亡くなりました。78歳でした。 これは、リンチさんの家族が16日、SNSで明らかにしたものです。 リンチさんは、アメリカ西部モンタナ州出身で、画家としての活動や短編アニメーション作品の製作をへて、1977年に長編映画の監督としてデビューしました。 その後、1980年の「エレファント・マン」や2001年の「マルホランド・ドライブ」など3つの作品がアカデミー賞で監督賞にノミネートされました。 さらに1990年にはフランスのカンヌ映画祭で「ワイルド・アット・ハート」が最優秀賞のパルムドールを受賞しました。 また、人気ドラマシリーズ「ツイン・ピークス」はアメリカ国内のみならず、日本でも人気を博し、独特な作風から「カルトの帝王」とも呼ばれました。 リンチさんは去年8月、長年の喫煙が原
軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv 会の広報に加え、軟体動物学の普及啓発を目的として貝類の様々な話題を中の人(福田 宏)が縦横無尽に呟きます。分類学上の情報などは特記しない限り全て中の人の見解です。英文誌Molluscan Research(MR;オーストラレイシア軟体動物学会と共同で)、和文誌Molluscan Diversity(MD)を刊行中。 marine1.bio.sci.toho-u.ac.jp/md/index.html 軟体動物多様性学会【公式】 @SocStudMollDiv 【訃報】奥谷喬司博士(東京水産大学名誉教授、日本貝類学会名誉会長)が2025年1月11日逝去されました。94歳でした。葬儀は家族葬で執り行われるとのことです。当会からは数年前に退会しておられましたが、著名な貝類研究者であられましたのでお知らせするとともに、謹んでご冥福をお祈り
朝日新聞文化部 @asahi_bunka 【訃報】MoMAの増改築や東京国立博物館・法隆寺宝物館など、洗練された美術館建築で知られた建築家の谷口吉生さんが亡くなりました。87歳。豊田市美術館、東京都葛西臨海水族園など、印象的な建築の数々を残されました。asahi.com/articles/ASSDN… 2024-12-20 20:39:04 リンク 朝日新聞デジタル 建築家・谷口吉生さん死去 MoMA増改築、東京都葛西臨海水族園も:朝日新聞デジタル ニューヨーク近代美術館(MoMA)の増改築や東京国立博物館・法隆寺宝物館など、洗練された美術館建築で知られた建築家で文化功労者の谷口吉生(たにぐち・よしお)さんが16日、肺炎で死去した。87歳だった… 342
数多くの映画やテレビドラマで活躍し、全国各地を自転車で回る旅番組でも親しまれた俳優の火野正平さんが今月14日に亡くなりました。75歳でした。 火野さんは東京出身、12歳のころから劇団「こまどり」に所属し、子役として活躍しました。 1973年に放送されたNHKの大河ドラマ「国盗り物語」で下克上の乱世を生き抜く秀吉の役を演じて、一躍、注目され、翌年には映画での主演デビューも果たしました。 その後は、数多くの映画やドラマに出演し、NHKでは2014年に放送されたドラマ「55歳からのハローライフ」で主人公の中学時代の親友でホームレスになっていた男性を好演しました。 また、NHKのBSで放送中の旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」で14年間にわたり“旅人”として全国各地を回りました。 番組は、視聴者からの手紙に書かれた思い出の場所を自転車に乗って訪ねるもので、手紙に込められた思いに寄り添う火野さんの味わ
Published 2024/11/19 07:35 (JST) Updated 2024/11/19 10:57 (JST) 親しみやすい言葉による詩や翻訳、エッセーで知られ、戦後日本を代表する詩人として海外でも評価された谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが13日午後、老衰のため死去した。92歳。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男賢作(けんさく)さん。 父は哲学者谷川徹三。10代で詩作を始め、1952年、20歳の時に第1詩集「二十億光年の孤独」でみずみずしい言語感覚を持つ戦後詩の新人として注目された。 詩人の川崎洋さんと茨木のり子さんが創刊した詩誌「櫂」に参加。現代詩に限らず、絵本、翻訳、エッセー、童謡の歌詞、ドラマの脚本など半世紀以上にわたって活躍した。「朝のリレー」など国語教科書に採用された詩も多く、幅広い年代の人々に愛読された。 他の詩集に「六十二のソネット」「こ
「漂流教室」や「まことちゃん」などホラーからSF、ギャグ漫画まで幅広く手がけた漫画家の楳図かずおさんが先月28日、亡くなりました。88歳でした。 楳図かずおさんは和歌山県に生まれ、小学生のころから漫画を描き始め、高校3年生のときに童話「ヘンゼルとグレーテル」を題材にした「森の兄妹」などでデビューしました。 その後、「へび少女」や「おろち」など人間の奥底にある闇を不気味なタッチで描いた作品がヒットし、“ホラー漫画の神様”と呼ばれるようになりました。 1972年から連載が始まった「漂流教室」では、荒廃した未来に小学校ごとワープしてしまった子どもたちが生き抜く様子をリアルに描き、映画化もされました。 また、ギャグ漫画「まことちゃん」は、幼稚園児の主人公が手の中指と小指を折り曲げる“グワシ”のポーズが大ブレイクし、社会現象にもなりました。 トレードマークの赤と白のボーダー柄のシャツや明るいキャラク
「おすぎとピーコ」のコンビで知られ、多くのテレビ番組に出演したファッション評論家でタレントのピーコさんが、先月3日、敗血症による多臓器不全のため、神奈川県内の病院で亡くなりました。79歳でした。 ピーコさん、本名、杉浦克昭さんは横浜市出身で、専門学校を卒業後、服飾デザイナーとしての活動を始めました。 その後、双子の弟で映画評論家のおすぎさんとともに「おすぎとピーコ」のコンビで多くのバラエティー番組やラジオに出演し、丁々発止の2人のやり取りが人気を博しました。 また、ファッション評論家としてもテレビ番組に出演し、明るいキャラクターと歯にきぬ着せぬ発言でお茶の間に親しまれました。 ピーコさんはがんのため左目を摘出し義眼を入れて活動していました。 関係者によりますとピーコさんは、数年前から認知症の症状が出始めたため、去年6月、施設に入所し、入所者と折り紙を折るなど穏やかな生活を送っていたというこ
2024年10月17日 17時12分 リンクをコピーする by ライブドアニュース編集部 が、17日に訃報のあったさんへコメントを発表した 堺は西田さん、夏目雅子さん、岸部四郎さんとドラマ「」で共演 「みんな天竺へ旅立ちました。私もいずれその旅に参加します」と偲んだ 俳優のさんが東京都内の自宅で死去したことが17日、分かった。76歳だった。訃報を受け、タレントの(78)がコメントを発表した。 堺は「西田さん!あの滲み出るような演技を超えた存在感、もう終演なんですね。大きな存在を失いました。猪八戒、沙悟浄、三蔵法師もみんな天竺へ旅立ちました。私もいずれその旅に参加します。心よりご冥福をお祈りします」としのんだ。 堺は1978〜80年に放送された日本テレビのドラマ「」シリーズで孫悟空と猪八戒役で西田さんと共演。 同作で三蔵法師を演じた夏目雅子さんは1985年に亡くなった(享年27)。また20年
映画「釣りバカ日誌」シリーズやNHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」など、数々の映画やドラマで幅広い役柄を演じてきた俳優の西田敏行さんが17日、東京・世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、その場で死亡が確認されました。76歳でした。 目次 故郷・福島の復興に関わる 《芸能界から悼む声》 西田さんは福島県郡山市出身で、1970年に劇団青年座に入団、その後、映画やテレビで人間味あふれる役から暴力的な悪役まで幅広く演じる俳優として活躍しました。 1993年に公開された山田洋次監督の映画「学校」では、夜間中学の生徒をまとめる教師を演じ、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞に選ばれました。 1988年から合わせて22作が公開された映画「釣りバカ日誌」シリーズでは、釣りをこよなく愛するサラリーマン、ハマちゃんを演じ、三國連太郎さんが演じたスーさんとのとぼけた掛け合いが人気を集めました。 また、NHKの大河ド
Published 2024/10/11 13:11 (JST) Updated 2024/10/11 19:08 (JST) アニメ「ドラえもん」のドラえもん役で知られた声優で俳優の大山のぶ代さんが9月29日に老衰のため死去したことが11日分かった。90歳。東京都出身。
テレビの料理番組に数多く出演するとともに「食育」の必要性を訴えてきた料理評論家の服部幸應さんが、4日、理事長を務める料理学校で倒れ、その後、亡くなりました。78歳でした。 服部さんは東京出身で、大学を卒業したあと、父親が創立した料理学校「服部栄養専門学校」の講師を務め、31歳の時に校長に就任しました。 栄養士や調理師の育成にあたるかたわらテレビの料理番組の監修に携わったほか、解説者や審査員としてみずから出演して、豊富な知識を生かした語り口で広く知られる存在となりました。 また、「食育」の必要性を訴えて2005年の「食育基本法」の成立に尽力し、その後は農林水産省の「食育推進評価専門委員会」の座長を務めるなど、長年にわたって国内での普及に取り組みました。 4年前には旭日小綬章を受章し、このときの会見で「日本の教育は知育・徳育・体育という3つの柱でできていますが、それに食育が加わるとバランスが取
山藤章二さん(撮影・岡田晃奈) この記事の写真をすべて見る イラストレーターで稀代の風刺画家であった山藤章二さんが9月30日、老衰で亡くなった。87歳だった。葬儀は未定。週刊朝日で「ブラック・アングル」を45年、「似顔絵塾」を40年にわたって連載した(いずれも2021年終了)。「ブラック・アングル」などで様々な作風を駆使した風刺画やパロディー画を発表し、「現代の戯れ絵師」を自称していた。 【写真】小沢昭一さんが「元の絵が思い出せない!」と言った強烈なブラック・アングルはこちら 遺族によると、最近は次のように過ごしていたという。 「ブラック・アングルの連載を終えた後は、締め切りのない日々を穏やかに過ごしていました。昨年の阪神優勝も大変喜んでいました。最愛の妻と、毎日一緒にテレビを見て、茶飲み話をし、時々手を繋ぎ、本当に仲の良い夫婦でした。昨年末、妻に先立たれてから急に元気がなくなったように感
ブラジル音楽界の至宝、セルジオ・メンデス(Sérgio Mendes)が死去。メンデスの家族が、メンデスが9月5日にロサンゼルスで亡くなったことを発表。死因は発表されていませんが、家族の発表によると、メンデスは「ここ数か月間、長期にわたる新型コロナウイルスの影響により、彼の健康状態は悪化していました」という。83歳でした。 以下、家族の声明より。 「ブラジル生まれの陽気な音楽を世界に広めた国際的な音楽界のアイコン、セルジオ・メンデスが2024年9月5日、ロサンゼルスで安らかに息を引き取りました。83歳でした。 彼の妻であり、過去54年にわたって音楽パートナーであったグラシーニャ・レポラーセ・メンデスと、彼の愛する子供たちが彼のそばに寄り添いました。 メンデスが最後に演奏したのは2023年11月で、パリ、ロンドン、バルセロナで満員の熱狂的な観客を前に行いました。 ここ数か月間、長期にわたる新
「はれときどきぶた」シリーズの著者、矢玉四郎先生が2024年7月14日に老衰のため逝去されました。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 ご葬儀は、矢玉先生のご遺志により、家族葬にて執り行われました。 春頃から体調を崩されていたそうですが、直前までメールでお返事くださっていましたので、私どもとしては思いもよらないことでしたが、満80歳、ご家族は、「生き切った」とおっしゃっていました。 1980年刊行の『はれときどきぶた』は、現在でも毎年版を重ねる超ロングセラー&ベストセラーとなっておりますが、こんなにも長く多くのこどもたちに愛され続ける作品に弊社が伴走できたことを大変光栄に思い、深く感謝しております。 矢玉先生も見守ってくださる中、則安くんやぶたはこれからも活躍を続けます! ひきつづきよろしくお願いいたします。 岩崎書店 弊社の創立90周年記念サイトにて、矢玉先生の生前最後のインタビュー記事
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