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南スーダン北部で、武器を持って構えるスーダン人民解放軍の兵士(2016年10月16日撮影)。(c)AFP/Albert Gonzalez Farran 【2月16日 AFP】南スーダンの内戦が「民間人にとって壊滅的な規模」に達しており、さまざまな民兵集団の台頭によって事態の収拾がつかなくなる恐れがあると警告する機密報告書を、国連(UN)が安全保障理事会に提出していたことが分かった。戦闘が何年も続くことになると警鐘を鳴らしている。 アントニオ・グテレス(Antonio Guterres)国連事務総長は、AFPが14日に入手した報告書の中で「記録的な人数」の民間人が自宅のある村や町から逃げていると指摘。集団的な残虐行為の危険が「現実に存在する」と述べている。 13日に安保理に提出された厳しい内容の報告書に先立ち、グテレス事務総長は先月、3年に及ぶ内戦の終結を目指して南スーダンのサルバ・キール(
【カイロ=大内清】1年半以上にわたり内戦状態が続く南スーダンのキール大統領は26日、同国の首都ジュバで、対立するマシャール前副大統領派の反政府勢力との和平協定に署名した。ただ、両者はそれぞれ、協定の一部に不満があるとされ、抗争が実際に沈静化するかは不透明だ。 ロイター通信などによると、協定は、マシャール氏が第1副大統領として政権に復帰し、キール氏との権力分割を図ることなどを柱とした内容。 ただ、キール氏は26日、署名式典に参加した周辺国首脳らに協定に関する懸念を列挙した文書を手渡すなどして、協定を完全に順守するかの判断は留保する姿勢をみせた。今月中旬に署名を済ませているマシャール氏も、キール氏との権限の配分などをめぐって懸念を表明しているという。 南スーダンは2011年、欧米の後押しでスーダンから独立。13年末にマシャール氏が副大統領職から解任されたのをきっかけに、キール氏が属するディンカ
スーダン・南コルドファン(South Kordofan)州の州都カドゥグリ(Kadugli)から北東に約20キロ離れたDaldakoで、地域の奪還を喜ぶスーダン政府軍兵士と政府系民兵「ラピッドサポート・フォーシーズ(Rapid Support Forces)」の戦闘員ら(2014年5月20日撮影、資料写真)。(c)AFP 【7月2日 AFP】国際医療支援団体「国境なき医師団(Doctors Without Borders、MSF)」は1日、内戦状態に陥っている南スーダンでは、多数の入院患者が処刑されるなど、「人間の尊厳に対する侮辱」と言える状況にあり、ここ数十年で最悪の情勢に陥っていると訴えた。 MSFの南スーダンでの活動責任者、ラファエル・ゴルジュ(Raphael Gorgeu)氏は、同国では入院患者が病床で銃殺されたり、救命用の医療設備に火が付けられたりしており、数十万人が医療サービス
民族対立を背景にした衝突が続く南スーダンを、国連のパン・ギムン事務総長が訪れ、政府と反政府勢力の双方に対し、和平に向けた直接対話に応じるよう働きかけました。 南スーダンでは、民族対立を背景に、前の副大統領を支持する反政府勢力と政府軍が、ことし1月の停戦合意後も武力衝突を続けています。 国連のパン・ギムン事務総長は6日、南スーダンを訪れてキール大統領と会談し、マシャール前副大統領と直接会って、和平交渉を前進させるよう求めました。 会談後の記者会見でキール大統領は、和平を仲介している隣国のエチオピアにみずから赴き、直接対話に応じる考えを明らかにしました。 一方、パン事務総長と電話で会談した反政府勢力側のマシャール前副大統領は、金曜日までにエチオピアに着くよう努力すると述べるにとどまっています。 南スーダンを巡っては、武力衝突が再び激化する傾向にあることから、アメリカのケリー国務長官も先週現地を
南スーダン北部ベンティウ(Bentiu)で、スーダン人民解放軍(SPLA、政府軍)の兵士らの横をベッドを運びながら通り過ぎる男性(2014年1月12日撮影、資料写真)。(c)AFP/SIMON MAINA 【4月22日 AFP】国連(UN)は21日、南スーダンの反乱軍が先週に油田地帯の主要な町ベンティウ(Bentiu)を掌握した際、対立する民族であることを理由として民間人「数百人」を殺害したと発表した。民族対立による戦闘が続く同国で、これまで報告されている中でも最悪規模の虐殺事件となった。 国連南スーダン派遣団(UNMISS)によると、町内の主要モスク(イスラム礼拝所)だけでも、「200人以上の民間人が殺害され、400人以上が負傷したと報告されている」という。また、教会や病院、以前の国連世界食糧計画(World Food Programme、WFP)の施設でも、子どもを含む民間人が殺されて
★ 南スーダン:戦闘大規模化の恐れ 要衝に反乱軍支持派迫る 【ヨハネスブルク服部正法】アフリカ東部・南スーダンで、政府軍が反乱軍から奪回した中部の要衝ボルに、反乱軍を支持する民兵組織「ホワイトアーミー」が迫り、大規模な戦闘に発展する恐れが出てきた。AP通信などが報じた。 ホワイトアーミーは、反乱軍を率いるマシャール前副大統領と同じヌエル人の若者らで構成され、虫よけの白い灰を体に塗っていることから、そう呼ばれている。マシャール氏が直接指示を出しているかは不明。武装した約2万5000人がボルに向かって押し寄せており、28日夕の段階で、ボルまで約50キロの地点に近づいたとの情報がある。 キール大統領をはじめ、与党「スーダン人民解放運動(SPLM)」を主導してきた最大民族ディンカ人は、ヌエル人とたびたび衝突してきた。 東部ジョングレイ州のアコボでは19日、ヌエル人の若者ら約2000人の武装集団が国
首都でまた戦闘=南スーダン 4日、ジュバで、取材に応じる南スーダン軍報道官(AFP=時事) 【ジュバAFP=時事】南スーダンの首都ジュバ中心部で4日、激しい銃撃戦が起きた。現場は大統領官邸や議会も集まる官庁街で、砲弾の着弾音や自動小銃の銃声が響いた。南スーダンの戦闘は12月、ジュバで始まったが、その後は比較的平穏な日々が続いていた。交戦の当事者は分かっていない。 一方、政府軍報道官は4日、ジュバで「わが軍は(東部ジョングレイ州の州都)ボルへ向けて進軍中だ」と語った。反乱軍は逆にジュバへ向けて進軍を開始したと主張しているが、報道官は一蹴した。ボル郊外で激戦が続いているという。(2014/01/05-07:26)
南スーダン東部ジョングレイ(Jonglei)州の州都ボル(Bor)の空港で話をするスーダン人民解放軍(SPLA、政府軍)の兵士ら(2013年12月25日撮影)。(c)AFP/SAMIR BOL 【1月4日 AFP】南スーダン政府軍と反乱軍の停戦を目指す交渉が3日、エチオピアの首都アディスアベバ(Addis Ababa)で始まった。 サルバ・キール(Salva Kiir)大統領の南スーダン政府と、リヤク・マシャール(Riek Machar)前副大統領側の反乱軍のそれぞれの代表が、近隣各国の代表とアディスアベバの高級ホテルで会談した。 エチオピアのテドロス・アダノム(Tedros Adhanom)外相は、「われわれは南スーダンの双方の代表団と最初の代理交渉を終えたところだ。明日直接交渉に進むだろう」とマイクロブログのツイッター(Twitter)に書き込み、4日に直接交渉が行われるとの見通しを示
ジュバ(CNN) 内戦の危機が高まる南スーダン情勢で、対立する政府軍と前副大統領を支持する反乱軍の代表団が3日、隣国エチオピアの首都アディスアベバで和平交渉を開始した。一方、南スーダンの首都ジュバの米大使館からは同日、職員約20人が新たに退避した。 和平交渉は、東アフリカ諸国の地域機構「政府間開発機構」(IGAD)の仲介で実現した。IGADは声明で双方の「積極的な取り組み」を評価したが、初日の間接的な交渉では進展がみられなかった模様。直接交渉の具体的な日程は公表されていない。 政府軍と反乱軍はこの日も、東部の要衝ボルをめぐって戦闘を続けた。ボルの市長は「反乱軍は交渉で時間稼ぎをしながら軍を南下させようとしている」と非難した。 米大使館職員らは同日、米海兵隊の輸送機で退避した。米当局によると、ジュバには大使ら数人がとどまる。国務省報道官は、南スーダンに滞在する米国民に改めて即刻退避を呼び掛け
こんにちは!インターンの湯村です。香苗さんが水曜日を担当している「ニュースの深層」。7月13日の撮影に同行してきました!今回は、早稲田大学国際教養学部教授の片岡貞治さんをお迎えし、南スーダンの独立についてお話を伺いました。 スーダンの北部は主な民族がアラブ系で、主な宗教はイスラム教です。それに対し、南部はアフリカ系が主な民族で、土着宗教やキリスト教が主な宗教です。南北対立は、歴史的にずっと続いてきました。スーダンのイギリス・エジプトからの独立は1956年ですが、1955年に北部と南部で衝突してから、1972年まで内戦状態となりました。また、1983年に南北内戦が再び勃発し、冷戦や9.11テロの国際的な影響を受けながら、2005年の南北包括和平合意まで対立が続きました。この2005年の合意で、2011年までに南部が選挙を行うという規定が定められ、2011年1月の選挙を経て今回の南スーダン独立
【ニューヨーク時事】国連人道問題調整事務所(OCHA)は27日までに、政府軍と反乱軍の戦闘激化で内戦の危機にある南スーダンで、家を追われた避難民が少なくとも12万1600人に達したことを明らかにした。このうち約6万3000人が国連南スーダン派遣団(UNMISS)の施設で保護されている。戦闘の影響が及んでいる地域はさらに拡大し、全10州のうち7州に上った。 一方、国連のPKO増強計画に基づく増派第1陣として、隣国コンゴ(旧ザイール)に展開していたPKOからバングラデシュの警察隊72人が27日、南スーダンの首都ジュバに到着した。国連は避難民保護を主目的に、UNMISSの軍・警察要員の大幅増員を決めている。
陸上自衛隊が国連のPKO平和維持活動に参加している南スーダンでは、大統領の支持者と前副大統領の支持者との衝突が拡大し、国連の安全保障理事会は、直ちに暴力を停止し、対話による解決を目指すよう求める声明を発表しました。 南スーダンでは今月15日以降、首都ジュバでキール大統領とマシャール前副大統領をそれぞれ支持する軍の部隊どうしの戦闘が続き、およそ500人が死亡しました。さらに19日には東部ジョングレイ州のアコボで、大統領の出身母体であるディンカ族の住民が国連のPKOの施設に避難していたところ、前副大統領の出身母体のヌエル族とみられる武装グループが襲撃し、PKOのインド人兵士を含め少なくとも13人が死亡しました。 こうした事態を受け、国連の安保理では20日、緊急の会合が開かれ、南スーダン各地で合わせて3万5000人の住民がPKOの施設に身を寄せていて、周辺に武装グループが陣取っているところもある
(CNN) 軍部隊同士の武力衝突が続くアフリカ南部の南スーダン情勢で、国連は20日、同国東部にある国連の平和維持活動(PKO)部隊の基地が19日、武装勢力の襲撃を受け、インド陸軍兵士のPKO要員2人が殺害されたと報告した。 南スーダン担当の国連の報道担当者によると、襲われたのはアコボ基地で、避難していた民間人30人のうちの2人も殺害された。 別のPKO要員1人も胸部を負傷した。 南スーダンは2011年7月、長期の内戦をへた住民投票の決定でスーダンから分離、独立。アフリカ大陸では最も新しい独立国家となったが、今月15日夕からジュバなどでクーデター騒ぎに関連するとみられる部隊同士の衝突が激化している。同国政府によると、衝突に伴う死者は兵士を含め、これまで数百人規模に達した。 同国のキール大統領は、今年7月のマシャル元副大統領解任を含む内閣刷新に反発する元副大統領支持の兵士らによる武装蜂起が原因
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