dlitの殴り書き

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「江戸しぐさ」や「水からの伝言」は創作としてなら道徳教育の中で使えるか



 確か水からの伝言の問題でも「いい話なんだからフィクションとしてなら道徳教育で用いて良いのでは」という話はあった気がする。
 江戸しぐさ」や「水からの伝言」は「史実」や「科学」であるところが重要なので、フィクションであるとして導入するのは大変というかかなりムリがあるんじゃないかなと思うんだけれど、道徳教育や、あるいは教育一般においてフィクション・事実性をどう取り扱うのかっていう研究はどれぐらいあるのかな(たとえば道徳教育においてそういう「創作」の位置づけはどうなっているのか、とか)。国語教育も関わる問題のような気もするけど、国語だと「作品」としての枠が強いから意外とそういう問題からは自由でいられるのかなと思ったり。調べ学習なんかとも関連して、「事実」をどう扱うかってのは結構重要な問題としてあるんじゃないかと思うんだけれど、どうなんでしょう。

追記(2015/02/20):関連エントリ

 水からの伝言については、何度か批判の記事を書いています。ご参考まで。

「水からの伝言」に言語学の立場から反論する - 思索の海


水からの伝言関連記事目次 - 思索の海

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