中島章夫
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中島 章夫 なかじま あきお | |
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生年月日 | 1936年1月27日 |
出生地 | 日本 大阪府枚方市 |
没年月日 | 2024年6月8日(88歳没) |
死没地 | 日本 神奈川県横浜市 |
出身校 |
大阪外国語大学中国語学科卒業 東京大学文学部倫理学科卒業 |
前職 | 国家公務員(文部省) |
所属政党 |
(日本新党→) (新党さきがけ→) (旧民主党→) 民主党 |
称号 | 従四位 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2003年4月 - 2004年7月25日 |
選挙区 | 旧神奈川3区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 1996年9月27日 |
中島 章夫(なかじま あきお、1936年1月27日 - 2024年6月8日)は、日本の文部官僚、政治家。元衆議院議員、元参議院議員。大阪府枚方市出身。
略歴
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- 大手前高校卒業
- 1958年 大阪外国語大学中国語学科卒業
- 1961年 東京大学文学部倫理学科卒業
- 同年 文部省に入省
- 1978年 初等中等教育局小学校教育課長
- 1980年 高等学校教育課長
- 1984年 大臣官房政策課長
- 1985年 学術国際局国際企画課長
- 1986年 大臣官房審議官
- 1988年 文部省 退官
- 日本公文教育研究会常務を経て、
- 1992年 第16回参議院議員通常選挙に比例区で日本新党から立候補するが、落選。
- 1993年 第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で神奈川3区に立候補し初当選。
- 1994年 細川内閣総辞職後、五十嵐文彦、小沢鋭仁の各衆議院議員と共に日本新党を離党して、院内会派「グループ青雲」を結成。
- 同年 7月4日 同様に日本新党を離脱した「民主の風」の荒井聰、枝野幸男、高見裕一、前原誠司の各衆議院議員とともにと同時に新党さきがけに合流。
- 同年 菅直人政策調査会長の下で政調会長代理に就任。
- 1996年 第1次橋本内閣で環境政務次官に就任。
- その後、新党さきがけを離党し、民主党に参加する。第41回衆議院議員総選挙に神奈川4区から立候補するが、落選。
- 1998年 第18回参議院議員通常選挙で比例区から立候補するが、落選。
- 2003年 民主党参議院議員の小宮山洋子が衆議院東京6区補欠選挙に立候補したことで退職(自動失職)となったため繰上当選する。
- 2004年 第20回参議院議員通常選挙で比例区から立候補するが、落選。
- 2005年9月 財団法人国際教育交流馬場財団理事長
- 2006年5月 瑞宝中綬章受章[1]。
- 2024年6月8日 心不全のため横浜市の施設で死去[2]。88歳没。死没日付をもって従四位に叙された[3]。
政治的主張
[編集]脚注
[編集]- ^ 『官報』号外104号、平成18年5月1日
- ^ “中島章夫氏死去(元民主党参院議員)”. 時事通信. (2024年6月10日) 2024年6月10日閲覧。
- ^ 『官報』第1265号6頁 令和6年7月17日
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ)