吉田忠智
吉田 忠智 よしだ ただとも | |
---|---|
生年月日 | 1956年3月7日(68歳) |
出生地 | 大分県臼杵市 |
出身校 | 九州大学農学部卒業 |
前職 |
自治労大分県職員連合労働組合委員長 大分県議会議員 |
所属政党 |
(社会民主党→) 立憲民主党(吉田G) |
称号 | 農学士(九州大学・1979年) |
サイン | |
公式サイト | 吉田ただとも公式WEBサイト |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
2010年7月26日 - 2016年7月25日 2019年7月29日 - 2023年3月30日 |
選挙区 | 大分市選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2000年 - 2010年4月 |
その他の職歴 | |
第4代 社会民主党党首 (2013年10月14日 - 2018年2月25日) |
吉田 忠智(よしだ ただとも、1956年〈昭和31年〉3月7日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の前参議院議員(2期)。立憲民主大分県連代表[1]。
自治労大分県職員連合労働組合委員長、大分県議会議員(3期)、県民クラブ幹事長、社会民主党政策審議会長(第8代)、同党首(第4代)、同幹事長(第9代)を歴任した。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]大分県臼杵市生まれ。大分県立鶴崎工業高等学校に入り陸上選手を目指すも、膝の故障で断念し、進学に進路変更する[要出典]。
1年の浪人生活を経て、九州大学農学部に入学。卒業後は大分県庁に農業土木の技術職員として入庁。労働組合活動を通じて、自治労大分県職員連合労働組合(大分県職労)で書記長、執行委員長を歴任[2]。
県政にて
[編集]その後、国会へと転身した重野安正の後継として大分県議会議員となり3回当選[要出典]。大分県議会では、決算特別委員会、福祉保健生活環境委員会、予算特別委員会にて副委員長を務めた[要出典]。
2003年には、大分県議会の商工労働観光企業委員会にて委員長に就任した[要出典]。また、大分県議会の会派である「県民クラブ」にて、2008年より幹事長を務めた[2]。
国政にて
[編集]2010年の第22回参議院議員通常選挙に社会民主党公認で比例区から立候補し、同党の候補者の中では福島瑞穂に次ぐ2位の個人票を集めて、初当選した。なお、大分県職労から大分県議、国会議員になった経歴は、村山富市、重野安正と同じである[要出典]。
社会民主党の参議院議員団においては、2010年より参議院国会対策委員長を務め、2011年には参議院幹事長に就任するなど、要職を歴任した。2013年には、社民党本部の政策審議会長に就任した。
2013年9月26日、同年7月の第23回参議院議員通常選挙における社民党大敗の責任をとる形で党首を辞任した福島瑞穂の後任を決める党首選への出馬を表明した。同年10月14日、17年振りとなる党首選で石川大我を破って第4代党首に選出された[3]。党首就任後「脱原発」を訴える元内閣総理大臣、小泉純一郎と電撃会談し、意見交換を行った[要出典]。
2015年8月15日に在日本大韓民国民団主催の第70周年光復節中央記念式典に出席した[4]。
2016年7月10日に執行された第24回参議院議員通常選挙にて落選し、7月14日に社民党党首を引責辞任する意向を表明[5][6]。しかし、9月1日に開催された社民党常任幹事会での慰留を受け入れて非議員ながら党首を続投することとなった[7]。
2018年1月に予定されていた社民党党首選挙には出馬せず、同年2月25日に任期満了に伴い退任した[8]。
2019年7月21日に執行された第25回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、再選。3年ぶりに国政に復帰した。この選挙における社会民主党公認候補者唯一の当選者だった。
2020年2月22日の党大会において幹事長に選出された[9]。吉田らは立憲民主党との合流を模索し、同年11月14日の臨時党大会では希望する党員・地方組織の離党と立憲民主党への合流を容認する議案が可決[10]。12月17日に吉田は「離党して立憲民主に合流する。政治を正すためには質的にも量的にもしっかりした野党を作っていかなければならず、社会民主主義的な理念政策を立憲民主の中で広げていきたい」と述べ、立憲民主党へ合流することを正式表明した[11][12]。24日に吉田と副党首の吉川元は社民党に離党届を、立憲民主党に入党届を提出し、いずれも同日受理された[13]。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で立憲民主党は議席を「109」から「96」に減らし、11月2日、枝野幸男代表は引責辞任を表明[14]。枝野の辞任に伴う代表選挙(11月30日実施)では逢坂誠二の推薦人に名を連ねた[15]。
2023年3月19日、立憲民主党大分県連は吉田を4月に行われる参議院大分県選挙区の補欠選挙候補に決定した[16][17][18]。3月28日には参議院に議員辞職願を提出[19]、2日後の3月30日、参議院本会議で辞職が了承された[20]。吉田は前回当選時には社民党比例名簿1位で当選しているため補充議員は立憲民主党ではなく社民党からとなり、同党名簿順位2位と3位の候補者が削除されているため、同4位の大椿裕子現同党副党首が繰り上げ当選した[21]。4月23日の投開票の結果、自由民主党公認の白坂亜紀に341票差で敗れ落選した[22]。
2024年2月21日、立憲民主党大分県連は翌年夏の参院選大分県選挙区に吉田の擁立を決め、党本部に公認を申請した[23]。党本部は同月27日の常任幹事会で吉田の擁立を決定した[24]。
政策・主張
[編集]憲法
[編集]外交・安全保障
[編集]- 「他国からの攻撃が予想される場合には先制攻撃もためらうべきではない」との問題提起に対し、2016年のアンケートで「反対」と回答[25]。
- 「北朝鮮に対しては対話よりも圧力を優先すべきだ」との問題提起に対し、2016年のアンケートで「反対」と回答[25]。
- 2014年4月21日、元行政刷新担当大臣の蓮舫と連名で、第2次安倍内閣が目指す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を支持しないようアメリカ大統領のバラク・オバマに求める文書を在日米大使館に提出した[27]。
ジェンダー
[編集]- 選択的夫婦別姓制度の導入について、2016年のアンケートで「賛成」と回答[25]。「選択的夫婦別姓について、選択肢を加えることは、同姓にしたい人には何の影響もなく、より広いニーズに応えることができる。日本の男女平等の指数は世界で105番目」と2014年に述べている[28]。
その他
[編集]- 永住外国人への地方参政権付与について、2016年のアンケートで「賛成」と回答[25]。
- 「治安を守るためにプライバシーや個人の権利が制約されるのは当然だ」との問題提起に対し、2016年のアンケートで「反対」と回答[25]。
- 2016年の米国大統領選挙について「ドナルド・トランプとヒラリー・クリントンのどちらを支持するか」との問いに対し、2016年の毎日新聞社のアンケートで「クリントン」と回答[26]。
- 2016年2月8日、高市早苗総務大臣は、放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、放送法4条違反を理由に電波停止を命じる可能性に言及した[29][30]。安倍晋三首相は2月15日の衆議院予算委員会で野党の批判に反論し、高市の発言を擁護した[31]。政府の姿勢をどう思うかとの問いに対し、2016年の毎日新聞社のアンケートで「問題だ」と回答[26]。
- 高校無償化をめぐっては朝鮮学校への適用に賛成し、2013年4月25日に実施された「『高校無償化』制度の朝鮮学校への即時適用と補助金復活を求める院内集会」に社民党幹事長の又市征治参院議員、同政策審議会長の吉田、民主党の江崎孝参院議員、日本未来の党の阿部知子衆院議員、社民党の吉川元衆院議員、民主党の有田芳生参議院議員らが参加し朝鮮学校に「無償化」をこれからも働きかけることを表明した[32]。
人物
[編集]- 1994年、村山内閣が「自衛隊合憲」を表明した際、大分県職労書記長在任中であった吉田は、同郷で大分県職労出身の組織内議員だった村山を支える立場にいたことから、労組の会合で激しい批判にさらされたとされる[33]。なおこの件に関しては、社会民主党党首に就任後、報道の取材において「十分な議論や国民の理解を得ることなく政策転換し、社民党の議席を減らすことになった」と述べており、党が低迷する大きなきっかけをつくったのは、村山が首相当時に打ち出した「自衛隊合憲」だったとしている[33]。
- 第22回参議院選挙では、ソフトバンクモバイルのキャンペーン名と自身の名前の読みが同一であることに着目し、陣営では同キャンペーンを模したポスターを掲示する戦術を展開した[34][35]。なお、これについて、ソフトバンク側は同じ読みでも意味合いが全く違い問題ないとし、総務省も特定企業の宣伝にはならないという見解を示している[36]。その後ソフトバンク側も、「ただともの国を一緒に」というキャッチコピーでキャラクターを「選挙に出馬」させるCMを放送した。
- 2019年に行われた即位礼正殿の儀など一連の儀式に関して、社民党は、儀式について「君主制や神道の色彩を強く反映し、憲法上の疑義が残る」とのコメントを発表し批判的な立場を取る中[37]、吉田は社民党の国会議員では唯一出席した。なお儀式に出席するかの判断は個々の議員の判断に委ねられていた[38]。
- 家族:妻、長男、次男[2]。
役職
[編集]- 大分県体育協会常務理事[2]
- 大分県地方自治研究センター理事[2]
- 大分モンゴル親善連絡事務所世話人[2]
- 社会民主党大分県連合副代表[2]
- 連合大分議員懇談会副幹事長[2]
- 大分県自治体議員団会議幹事長[2]
- 大分県ウエイトリフティング協会会長(2003年~)[2]
- 大分県バンドテニス協会会長(2005年度~)[2]
- 大分舞鶴高校ラグビー部後援会顧問(2004年度保護者会長)[2]
- ネットワーク「地球村」会員(日本最大の環境NGO)[2]
所属団体・議員連盟
[編集]- 立憲フォーラム(呼びかけ人)
- 社会民主主義フォーラム[39](会長[要出典])
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “「地方組織をしっかりと整備」立憲民主大分県連の吉田忠智新代表に聞く”. 大分合同新聞. 2022年8月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 公式プロフィール[リンク切れ]
- ^ “社民党新党首に吉田氏を選出”. 産経新聞. (2013年10月14日)
- ^ 第70周年 光復節中央記念式典[リンク切れ] 東京韓国商工会議所
- ^ “社民・吉田党首、辞任の意向表明”. 日本経済新聞. (2016年7月14日) 2016年7月17日閲覧。
- ^ “社民党・吉田忠智党首が辞意表明 参院選落選、議席減で引責”. 産経新聞. (2016年7月14日)
- ^ “参院選敗退の吉田忠智党首が辞意撤回し続投 存亡の危機社民党”. 産経新聞. (2016年9月1日)
- ^ “【政界徒然草】党首さえ決められず消滅寸前 「タダトモ」頼みの社民党に存在価値あるか”. 産経新聞. (2018年1月25日)
- ^ “立憲との合流、慎重判断 党勢拡大に意欲―福島社民党首”. 時事通信社. (2020年2月23日) 2020年12月24日閲覧。
- ^ “社民党が事実上分裂 所属国会議員の残留は福島瑞穂党首のみ”. 毎日新聞. (2020年11月14日) 2020年12月24日閲覧。
- ^ "社民の吉田、吉川両氏が合流表明 年内に立民へ". 中日新聞. 中日新聞社. 17 December 2020. 2020年12月24日閲覧。
- ^ “社民・吉田幹事長と吉川副党首、24日に離党届提出 立憲に合流へ”. 毎日新聞. (2020年12月17日) 2020年12月24日閲覧。
- ^ “元社民幹部2人が立民に入党 国会議員153人に”. 産経新聞. (2020年12月24日) 2020年12月24日閲覧。
- ^ “立民 枝野代表 辞任の意向表明 衆院選 議席減で引責”. NHK (2021年11月2日). 2021年11月2日閲覧。
- ^ “立憲代表選、4陣営の推薦人は計90人 国会議員の7割固まる”. 朝日新聞. (2021年11月19日) 2021年11月19日閲覧。
- ^ “参院大分補選、吉田忠智氏が出馬意向…立憲民主県連代表”. 読売新聞. (2023年3月19日) 2023年3月19日閲覧。
- ^ “立憲の吉田忠智氏が立候補の意向固める 参院大分補選”. 毎日新聞. (2023年3月18日) 2023年3月19日閲覧。
- ^ “吉田忠智氏の擁立決定 立憲民主党大分、参院補選”. 日本経済新聞. (2023年3月19日) 2023年3月19日閲覧。
- ^ “立民・吉田氏が辞職願 社民副党首が繰り上げ当選へ”. 時事通信. (2023年3月28日) 2023年3月28日閲覧。
- ^ “吉田忠智氏の辞職許可 参院、大分補選立候補へ”. 産経ニュース. (2023年3月30日) 2023年3月30日閲覧。
- ^ “大椿氏の繰り上げ当選決定 社民参院比例、吉田氏辞職”. 産経新聞. (2023年4月6日) 2023年4月7日閲覧。
- ^ “341票差の薄氷勝利、参院大分補選で自民が立民を振り切る 衆参5補選で4勝1敗も僅差相次ぐ”. 日刊スポーツ. (2023年4月24日) 2023年4月24日閲覧。
- ^ “立民、来夏の参院選大分に社民党出身の吉田忠智氏擁立”. 産経新聞. (2024年2月21日) 2024年2月21日閲覧。
- ^ “立民、元職の吉田忠智氏を公認 来夏の参院選大分選挙区 社民党党首など務める”. 産経新聞. (2024年2月27日) 2024年2月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “吉田忠智”. 2016参院選 候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査). 朝日新聞社. 2022年5月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g “2016参院選 社民 比例 吉田忠智”. 毎日新聞. オリジナルの2016年6月27日時点におけるアーカイブ。 2022年5月18日閲覧。
- ^ “米大統領宛に集団的自衛権行使容認「不支持」を要請 蓮舫氏ら”. 産経新聞. (2014年4月21日)
- ^ 参議院予算委員会、2014年2月6日。
- ^ “高市総務相発言 「電波停止」 波紋広げる理由とは”. 毎日新聞. (2016年2月11日) 2022年7月5日閲覧。
- ^ “高市早苗総務大臣の「放送法違反による電波停止命令を是認する発言」に抗議し、その撤回を求めると共に、政府に対し報道・表現の自由への干渉・介入を行わないよう求める会長声明”. 東京弁護士会 (2016年2月16日). 2023年3月9日閲覧。
- ^ “【衆院予算委】安倍首相、電波停止「民主党政権で同じ答弁」”. 産経新聞. (2016年2月15日) 2022年7月5日閲覧。
- ^ 『朝鮮学校差別問題で院内集会/国会議員など日本人士も参加、180余人 〝許さない!子どもたちへの差別〟』(朝鮮新報)
- ^ a b “たそがれる護憲=社民弱体化で失速【戦後70年】”. 時事ドットコム (時事通信社). (2015年5月13日) 2015年5月13日閲覧。
- ^ “'10参院選おおいた:「ただとも」さん、比例代表で初当選”. 毎日新聞. (2010年7月13日)
- ^ “選挙:参院選 民主大敗 「反菅」1人区直撃 県連、口々に反省「与党の重責、痛感」”. 毎日新聞. (2010年7月12日)
- ^ “政治漂流2010参院選 参院選ポスターに犬の「お父さん」 SB「ただとも」に「ただ乗り」?”. J CASTニュース. (2010年7月1日)
- ^ “「即位の礼」にあたって(コメント)」”. (2019年10月22日)
- ^ “共産党「現行憲法に抵触」即位礼など欠席 他の主要政党は祝意」”. 毎日新聞. (2019年10月22日)
- ^ “立憲、次々新グループ 枝野氏「1強」に変化も”. 毎日新聞. 2021年12月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- 吉田忠智オフィシャルサイト
- 吉田忠智 (tadatomoyoshida) - Facebook
- 吉田ただとも (@tadatomoyoshida) - X(旧Twitter)
- 吉田忠智 (@tadatomoyoshida) - Instagram
- 吉田忠智 (tadatomoy11) - note
党職 | ||
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先代 吉川元 |
社会民主党幹事長 第9代:2020年 |
次代 服部良一 |
先代 福島瑞穂 |
社会民主党党首 第4代:2013年 - 2018年 |
次代 又市征治 |
先代 阿部知子 |
社会民主党政策審議会長 第8代:2013年 |
次代 吉川元 |
議会 | ||
先代 野田国義 |
参議院行政監視委員長 2021年- 2022年 |
次代 青木愛 |