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中村正雄 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村正雄
なかむら まさお
生年月日 1914年2月13日
出生地 日本の旗 日本 岡山県総社市
没年月日 (2002-04-04) 2002年4月4日(88歳没)
出身校 関西大学専門部法科卒業
前職 国鉄職員
所属政党日本社会党→)
右派社会党→)
(日本社会党→)
民社党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章

選挙区 旧大阪2区
当選回数 5回
在任期間 1976年12月10日 - 1990年1月24日

選挙区 全国区
当選回数 4回
在任期間 1947年5月3日 - 1953年5月2日
1956年7月8日 - 1972年11月18日
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中村 正雄(なかむら まさお、1914年2月13日[1] - 2002年4月4日[2])は、日本政治家位階正三位

参議院議員(4期)、衆議院議員(5期)。

経歴

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現在の岡山県総社市生まれ。1936年関西大学専門部法科を卒業。国鉄に入る。戦後、労働組合運動に参加。1947年4月、第1回参議院議員通常選挙全国区より日本社会党公認で出馬し初当選。1953年4月、第3回参議院議員通常選挙に全国区より右派社会党公認で出馬も、落選。1956年7月、第4回参議院議員通常選挙に全国区より日本社会党公認で出馬し、以来連続3回当選。1960年1月、民社党結成に参加。1972年11月18日付で参議院議員を辞職した[3]。同年12月、第33回衆議院議員総選挙旧大阪2区より鞍替え出馬も、落選した[4]1976年12月、第34回衆議院議員総選挙に旧大阪2区より出馬、衆議院議員初当選。以来、連続当選5回。1977年12月、民社党中央執行副委員長に就任。1985年4月、民社党常任顧問に就任。1987年11月、勲一等旭日大綬章受章[5]1990年2月、衆院選不出馬。政界を引退。

2002年4月4日、肺癌による心不全ため死去、88歳[2]。死没日をもって正三位に叙される[6]

脚注

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  1. ^ Kakushin (190) 11コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b “<訃報>中村正雄さん88歳=元民社党副委員長、元衆・参院議員”. 毎日新聞. (2002年4月8日). オリジナルの2002年4月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20020417102048/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020408-00001031-mai-peo 2023年1月17日閲覧。 
  3. ^ 国会会議録検索システム”. kokkai.ndl.go.jp. 2024年10月21日閲覧。
  4. ^ 徳島年鑑 1973年版 93コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 「秋の叙勲に4575人 女性が史上最高の379人」『読売新聞』1987年11月3日朝刊
  6. ^ 『官報』第3355号9-10頁 平成14年5月8日号
議会
先代
小平忠
日本の旗 衆議院懲罰委員長
1977年 - 1978年
次代
曽祢益
先代
赤松常子
日本の旗 参議院労働委員長
1951年 - 1952年
次代
吉田法晴
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