安部定
表示
安部 定(あんべ さだむ、1908年(明治41年)5月[1][2][3] - 1994年(平成6年)6月12日[1])は、日本の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。
経歴
[編集]大分県[1][2]速見郡藤原村(現日出町)で、安部福一の長男として生まれる[3]。1928年大分師範学校(現・大分大学教育学部)を卒業した[1][2][3]。
同年、大分県速見郡杵築尋常高等小学校訓導に就任[2]。その後、大阪府内の小学校訓導を務めた[2][3]。
戦後、大分県教員組合長、教員組合全国連盟副委員長などを歴任[2][3]。県教員組合は関連組合と合流し、大分県教職員組合となる[4]。
1947年4月、第1回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して当選し(補欠、任期3年)、緑風会に所属して参議院議員を一期務めた[1][2][3]。
1950年6月、第2回参議院議員通常選挙で落選[5]。落選後は教職に復帰し、大分市内の小学校校長を務めた[4]。定年後は郷里の日出町に戻り、「大分の自然を守る会」の会長に就任した[4]。
1994年6月12日、肺癌のため死去[1]。死没日をもって従五位に叙される[7]。