コンテンツにスキップ

敬懐皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

敬懐皇后(けいかいこうごう、生没年不詳)は、三国時代孫権の夫人(側室)。荊州南陽郡の出身。姓は王夫人と呼ばれた。呉の第3代皇帝である孫休の母。孫和の母の王夫人(大懿皇后)とは別人である。

生涯

[編集]

選を経て後宮に入った。嘉禾4年(235年)、孫休を産んだ。

赤烏5年(242年)、孫和が皇太子となり、その生母が重んじられるようになると、王夫人は宮中を退出して公安に移住した。そのまま公安で生涯を終え、棺も公安に埋葬された。

永安元年(258年)、孫休は即位すると使者を遣わし、王氏に敬懐皇后の諡号を贈って追尊するとともに、敬陵に改葬した。王氏の家には跡継ぎがいなかったため、異父弟の文雍が亭侯に封ぜられた。

小説『三国志演義』には登場しない。

参考文献

[編集]
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy