コンテンツにスキップ

王観 (三国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

王 観(おう かん、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代のにかけての人物。字は偉台。兗州東郡廩丘県の人。子は王悝。

朝廷の実権を握った曹操に採り立てられ、各地の地方官を務めた。魏の曹丕(文帝)の時代にも中央や地方で官職を勤め上げ、中でも鮮卑対策に功績があった。曹叡(明帝)の時代、地方官として公平な態度を貫き、病弱な子を中央に人質として送ることも厭わなかった。やがて中央に召されて裁判を担当するようになった。

曹芳(斉王)の時代になると、曹爽たちが実権を握り専横を尽くしたが、王観は法を厳格に執行し、何度か彼らの横暴を掣肘した。また、曹爽たちも王観の存在をはばかったという。司馬懿が曹爽をクーデターで誅殺すると、曹爽の弟が率いていた中領軍代行を任された。以後、曹髦(高貴郷侯)・曹奐(元帝)の時代、爵位を与えられ、高官に昇った。最後は司空への就任を求められたが、固辞を重ねた上で、就任して数日で官位を返上し、引退し郷里に帰った。葬儀は質素にするよう遺言して亡くなった。子が跡を継いだ。

pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy