清水銀蔵
表示
清水銀蔵 しみず ぎんぞう | |
---|---|
生年月日 | 1879年1月17日 |
出生地 | 日本 大阪府 |
没年月日 | 1937年4月20日(58歳没) |
出身校 |
東京専門学校英語政治科卒業 (現・早稲田大学) |
前職 | 江州日日新聞社取締役 |
所属政党 |
(立憲国民党→) (革新倶楽部→) 立憲政友会 |
選挙区 |
(滋賀県第3選挙区→) 滋賀県全県選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1927年 - 1936年1月21日 |
清水 銀蔵(しみず ぎんぞう、1879年1月17日[1] - 1937年4月20日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。
経歴
[編集]大阪府出身[2]。1902年東京専門学校英語政治科卒。愛国生命保険(株)に入る。その後、江州日日新聞社取締役となる[2]。
1920年の第14回衆議院議員総選挙において滋賀3区から立憲国民党公認で立候補したが落選[3]。1924年の第15回衆議院議員総選挙では革新倶楽部公認で立候補したが落選[4]。1927年の補欠選挙で初当選。1928年の第16回衆議院議員総選挙で滋賀県全県区から立憲政友会公認で立候補してトップ当選[5]。1930年の第17回衆議院議員総選挙で当選[6]。1932年の第18回衆議院議員総選挙では2度目のトップで当選[7]。1936年の第19回衆議院議員総選挙では次点で落選した[8]。1937年死去。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第五十四回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1927年、17頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』314頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』67頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』74頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』83頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』93頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』101頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』109頁。
参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。