菅野善右衛門 (1884年生)
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菅野 善右衛門(かんの ぜんえもん、1884年(明治17年)4月20日[1] - 1954年(昭和29年)2月5日[2])は、明治時代末期から昭和時代前期の政治家。衆議院議員(4期)。幼名は次郎[3]。
経歴
[編集]福島県伊達郡福田村(現川俣町)出身[4]。先代菅野善右衛門の二男として生まれ、1910年(明治43年)家督を相続し、襲名する[3]。1906年(明治39年)福島県立養蚕学校を卒業する[5]。農業を営む傍ら、福田村会議員、同村長、伊達郡会議員、福島県会議員、同参事会員を歴任する[6]。ほか、公立福島病院組合会議員、蚕糸中央会議員、郡農会長、県農会副会長、同常務顧問などを務めた[2]。
1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙に出馬するが落選[4]。つづく1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では福島県第1区から立憲政友会所属で出馬し当選[6]。第18回、第19回、第20回衆議院議員総選挙でも当選し、通算4期衆議院議員を務めた[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、20頁。
- ^ a b c 衆議院、参議院 編 1962, 155頁.
- ^ a b c 人事興信所 1928, カ207頁.
- ^ a b c 太田 1936, 44頁.
- ^ a b 衆議院、参議院 編 1962, 154頁.
- ^ a b 衆議院、参議院 編 1962, 154-155頁.
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 太田源次郎『福島県の政治家 : 県会議員・衆議院議員・貴族院議員』帝都日日新聞福島支局、1936年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。