鴨田宗一
表示
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
鴨田宗一 かもだ そういち | |
---|---|
生年月日 | 1906年9月17日 |
出生地 | 埼玉県熊谷市 |
没年月日 | 1979年2月8日(72歳没) |
出身校 | 東京帝国大学経済学部卒業 |
前職 | 教員 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 勲一等瑞宝章 |
子女 | 息子・鴨田利太郎(元衆議院議員) |
選挙区 | 旧埼玉3区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1958年5月23日 - 1979年2月8日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1947年4月8日 - 1958年4月23日 |
当選回数 | 1回 |
鴨田 宗一(かもだ そういち、1906年(明治39年)9月17日[1] - 1979年(昭和54年)2月8日[1])は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(7期)、熊谷市長(3期)。従三位勲一等。熊谷市名誉市民。1953年3月熊谷商工信用組合を設立し、初代理事長に就任。その後、自由民主党より国政へ進出し、商工部会長、中小企業調査会長、政調審議委員、副幹事長、池田内閣建設省政務次官、佐藤内閣経済企画政務次官、衆議院大蔵委員長などを歴任。専門は中小企業問題、経済企画。地元、熊谷駅への新幹線開通を実現した。衆議院議員の鴨田利太郎は息子。
経歴
[編集]- 1906年(明治39年)- 埼玉県熊谷市に生まれる
- 1925年(大正14年)- 埼玉県立熊谷中学校卒業
- 1928年(昭和3年)弘前高等学校卒業
- 1931年(昭和6年)- 東京帝国大学経済学部卒業
- 大学卒業後、関東圏の中学校で教諭として勤務。
- 1946年(昭和21年)2月 - 熊谷市会議員
- 6月 - 熊谷市助役
- 1947年(昭和22年)- 第6代熊谷市長(1期目)
- 1951年(昭和26年)- 第7代熊谷市長(2期目)
- 1953年(昭和28年)3月 - 熊谷商工信用組合設立。初代理事長に就任。
- 1955年(昭和30年)- 第8代熊谷市長(3期目)
- 1958年(昭和33年)- 第28回衆議院議員総選挙埼玉3区当選(1期目)
- 1960年(昭和35年)- 第29回衆議院議員総選挙当選(2期目)
- 1963年(昭和38年)7月 - 第2次池田内閣 (第3次改造)建設政務次官
- 10月 - 第30回衆議院議員総選挙当選(3期目)
- 12月 - 第3次池田内閣建設政務次官
- 1965年(昭和40年)- 第1次佐藤内閣 (第1次改造)経済企画政務次官
- 1967年(昭和42年)- 第31回衆議院議員総選挙当選(4期目)
- 1969年(昭和44年)- 第32回衆議院議員総選挙当選(5期目)
- 1972年(昭和47年)- 第33回衆議院議員総選挙当選(6期目)
- 1973年(昭和48年)- 衆議院大蔵委員長
- 1976年(昭和51年)- 第34回衆議院議員総選挙当選(7期目)
- 1979年(昭和54年)- 従三位勲一等瑞宝章受章、熊谷市名誉市民認定
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
議会 | ||
---|---|---|
先代 上村千一郎 |
衆議院法務委員長 1978年 |
次代 佐藤文生 |
先代 金子一平 |
衆議院大蔵委員長 1972年 - 1973年 |
次代 安倍晋太郎 |
先代 八田貞義 |
衆議院商工委員長 1971年 - 1972年 |
次代 藏内修治 |
公職 | ||
先代 根岸忠 |
埼玉県旧熊谷市長 1947年 - 1958年 |
次代 栗原正一 |