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(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
※本稿は『おれは老人?』(勢古浩爾著、清流出版)より一部抜粋・加筆したものです。
老人に関してひとつ、世にほとんど知られていない衝撃の事実を披露しようと思う。
それはなにか。
老人はじつは、自分を老人だとはちっとも思っていない、という事実である。
わたしは南伸坊のファンで、かれのたいがいの本は読んでいる。有名人に似せた無理やりな顔面扮装(上半身扮装)の本『本人遺産』など、最高におもしろい。
その南伸坊が、養老孟司との対談本『老人の壁』(毎日新聞、2016)のなかで、さりげなくこんなことをいっていた。
「いつまでも若いつもりでいないで、老人の自覚をもたないと」とは思うものの、「どうも実感がないんです」と。
このとき、南はたぶん67歳。
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そんな歳になっても、まだ「若いつもり」で、どうも自分にじいさんになった「自覚」がない、といっているのだ。
南伸坊の上をいく養老孟司の答え
この文章を読んだとき、わたしは「いや、わかるわかる、じつはおれもそうなんだ」と、思わなかったらしい。そのときは、「フムフム」と読み飛ばしたようなのだ。
南伸坊は、老人の自覚がないのは自分だけなのか、と心配になったようで、養老孟司に、「先生は、ご自分を老人だ、と思われますか?」と訊いている。
ところが養老はあっさりと、南の上をいっていた。
年下の人に案内されたり、動作が思いどおりにいかなかったり、タクシーを降りるときにもたもたするようなときには、おれも年取ったなとは思う。
しかし養老はそのあとで、「じきに80ですが、一人でいたら絶対思いませんね」と断言していたのである。
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そこでさらに、南は養老に「(わたしが)70歳になったらさすがに思いますかね」としつこく訊いているが、ここでも養老の答えがいい。