生きづらさの先にある人生へのチャレンジ

2024年 私の読書

執筆者:トミヤマユキコ 2024年12月29日
タグ: 日本
 

 まだ一巻しか出ていないのに紹介したくてウズウズする作品というのがある。……が、マンガ紹介業者にとって、これは一種の賭けである。おもしろいけど、この先どうなるかわからない。変な方向に行ってしまったらどうしよう。「連載」というシステムは、物語の行く末を不透明にする。本当のことを言えば、数巻出てから紹介した方が安全ではあるのだが、えも言われぬ作品の力に背中を押され「一巻だろうが推してみせる!」となる作品が年に数冊はあるのだった。

 そんな作品のひとつとして、泥ノ田犬彦『君と宇宙を歩くために』(講談社、2023年~)を紹介したい。今年の「マンガ大賞」を受賞し、『このマンガがすごい! 2025』のオトコ編一位を獲得している。名実ともに今年を代表する作品と言っていいだろう。わたし個人は、一巻が出た時点でお昼の情報番組から声がかかり、紹介したりもした(現在は3巻まで発行)。

 ヤンキー高校生の小林は、勉強もできないし、バイトも続かない。作品冒頭では、その日その日をやりすごすだけの無気力な青年に見える。そんな小林のクラスに、ある日、宇野という転校生がやってくる。「全ての声がデカくて/字がミッチリの汚えノート常に持ってて…/独り言言っててずっと笑ってる」と変人扱いされる宇野だが、小林は宇野が持ち歩く「字がミッチリの汚えノート」は自身に向けて作った取扱説明書なのだと知る。

 日常生活の中に苦手なことがたくさんある宇野にとって「わからないことがある時は一人で宇宙に浮いているみたい」なのだが、それでも彼は宇宙を歩きたいのだという。そんな彼にとって、宇宙を歩くためのテザー(命綱)がこのノートなのだ。

 やがて小林は、自分が勉強やバイトを上手にこなせないのも、ただ怠惰だからというわけではなく、テザーなしで宇宙を歩いているからなのではないかと気づく。変人の宇野をヤンキーの小林が支える話かと思いきや、むしろ小林の方が宇野の生き方に触発され、変わっていくのだ。

 とかく自意識過剰になりがちな青春の真っ只中で、不器用な自分を誤魔化すことなく、自分らしく生きる工夫をするふたりの姿は、どこまでも爽やかで感動的だ。

泥ノ田犬彦『君と宇宙を歩くために』(講談社)

 売野機子『ありす、宇宙(どこ)までも』(小学館、2024年~)は「一人の少女が日本人初の女性宇宙飛行士船長になるまでの物語」と銘打たれている。たしかにそうなのだが、それだけじゃない。

 まず、ありすは「セミリンガル」の設定になっている。セミリンガルとは、母語も他の言語も習得が不十分な状態を指す。実は、ありすの両親が娘をバイリンガルにしようと教育していたのだが、早くに亡くなってしまい、その結果ありすは、日本語、英語ともに習熟が不十分で、ことばの運用に困難を抱えることになったのだ。

 しかし、セミリンガルなんて概念を知らない周囲の人間は、ありすをただの「天然」とみなしているし、ありす本人も生まれ直さない限り賢くなれないだろうと思っている。

 そこへ登場するのが、孤高の天才少年・類だ。彼は小学校6年生にしてありすがセミリンガルだと見抜き、「君はバカじゃないかもしれないってこと!」と告げると、彼女の勉強を手伝うことを申し出る。類にとっても、これはひとつの挑戦だ。彼はとある理由から「親ガチャ」で子どもの将来が決まるという考えをなんとしても否定したいと考えている。ありすを指導することは、彼の信念にとっても大事なことなのだ。

 ことばの問題をクリアすれば、未来が開けるかもしれない。ありすは、幼い頃からの夢であった宇宙飛行士を目指すべく、類と二人三脚で、長くて遠い、しかしワクワクするような道を歩きはじめるのだった。

売野機子『ありす、宇宙(どこ)までも』(小学館)

 最後は、城戸志保『どくだみの花咲くころ』(講談社、2024年~)。裕福な家庭に育った優等生の清水は、クラスの問題児・信楽(しがらき)のことが気になってしょうがない。

「信楽くんはかんしゃく持ちで/落ち着きがなくちょっとしたことで/パニックになったり怒り出したりする」……だからなるべく近づかないようにしていたのだが、図工の時間に彼が作る粘土の恐竜や、放課後の空き地で草花を束ねて作る人形(のようなもの)が、不思議な魅力に満ちあふれていて、目が離せなくなってしまったのだった。

 なんでも器用にこなせてしまうゆえに退屈だった清水の生活が、信楽の生み出すアートによって大きく変わっていく。一方、自分の作るものに価値を見出していない信楽は、清水がなんでこんなにグイグイ来るのかよくわかっていない。しかし「助手になりたい」と語る清水の勢いに押され、行動をともにするようになるのだった。

城戸志保『どくだみの花咲くころ』(講談社)

 2024年のマンガシーンを賑わせたこれらの作品はいずれも、生きづらさを抱えた子どもたちを描いている。「みんなと同じ」が難しい子どもたちは、「ふつう」が当たり前の世界で、周縁に追いやられた存在だ。

 しかし、いずれの作品も、生きづらさを可視化し、読者に訴えかけるだけでは終わらない。彼らが生きていかなければならないこと、その先の人生があることを明確に描こうとしている。特徴的なのは、困っている子どもを保護者や教員が助ける話になっていないこと。子ども自身の力で、なんとかしようとする傾向がはっきりと見てとれる。そして、大人が後景に退く代わりに、同世代のバディが前景化する。大人に頼る前に自分たちでなにかやってみよう。二人三脚の頼もしさが、若者たちをチャレンジへと向かわせる。これが令和のバディもの、ということなのかもしれない。

カテゴリ: カルチャー
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
トミヤマユキコ(とみやまゆきこ) ライター/マンガ研究者/東北芸術工科大学講師。1979年秋田県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、早稲田大学文学研究科に進み、少女マンガにおける女性労働表象の研究で博士号取得。『パンケ-キ・ノ-ト』『10代の悩みに効くマンガ,あります!』『女子マンガに答えがある』『労働系女子マンガ論!』ほか著書も多数。2021年から手塚治虫文化賞選考委員。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy