ふざけんなしwwwwwwwwwww節電意味ナスwwwwwwwwwwww

Content-Length: 287897 | pFad | http://b.hatena.ne.jp/REV/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%AC%E3%82%B9/
「Twitterとは、量が質を産む作業そのものなんじゃないかと思った」 http://stillwantto.be/blog/2007/05/twitternight.html それは絶対にない。ありえないと言ってもいい。量は質を生まない。 インターネットにおいて、個人の著作のほとんどは書き捨てだ。古のテキストサイトでも、ニュースグループでも、Blogでも、mixiでも、はてなブックマークでも、たくさんのクズが生産され、消費され、忘れられてきた。Twitterがこの列の最後尾に加わっただけの話。ニュースグループを未だにチェックしている人は手を挙げて?せめてログを大事に持っている人は? いやいや、ニュースグループは長年よく頑張ったじゃないか。Twitterがこんなに長生きするとは思えない。今ログが全部消えても、日本じゃ裁判にさえならないだろう。Bloggerがいつも通り口だけ偉そうな批判を行
はてな界隈には、id:ululunさんという人物が存在している。彼のテキストがどのぐらい沢山の読者に読まれているのか、またどのぐらい沢山の着想をプレゼントしているのかは知らないが、ただ一つ、沢山の被ブックマークを集めている『煩悩是道場』というブログの持ち主だ、という所までは知っている。 この、被ブックマークの鬼とも言うべき人物の周辺がざわ…ざわ…となったのは以下の流れ、である。 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070128/1169954241 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070129/1170069819 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070130/1170123378 この流れをどう分析するかは人それぞれだろうが、「あなたのエントリによって私だって傷ついているんだぞ!わかってんのか!」という
世の中は、科学で全てが証明出来る程、簡単には出来ていないと思うのですけれど、どうなのでしょう。疑似科学的なものを信じる信じないも個人の自由じゃないんですかね。それじゃ駄目なんですかね。 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070112/1168588977 よく見かける意見だが、こういう意見を口にする彼らは科学が不完全だから疑似科学を信じているのだろうか? 「科学で解明できないことがある。科学で全てが証明出来るというわけではない」ならば「疑似科学を信じても良い」のだろうか。逆に「疑似科学がうさんくさい」ならば「科学が完全である」といえるだろうか。 そんなバカな話はない。なぜなら、両者はまったく関係ない事象だからだ。疑似科学は科学に偽装し、科学の権威を利用して証明できないことを真実のように言いふらし利益を誘導しているだけである。 科学が完全だろうが不完全だろうが、そ
始めは「Yahoo!ブログの転載機能」に対する問題点に興味があったのだけど、このところは「転載機能の問題点を考察するブログへのOYAJIさんのコメント」が俄然面白くなってきたなぁ。 あんたの主張する「メリットデメリット」って何なんだよ!って事なの。 他にもメリットデメリットを考察しているブログはOYAJIさんのおかげでたくさんあるが、それらはそのブログ主の考える「メリットデメリット」であって、OYAJIの考える「メリットデメリット」ではない。つーかここに至るまでOYAJIの考える「メリットデメリット」などどこにもなかった。当然俺が考える「メリットデメリット」は今はどーーーーーでもいい。OYAJIの考える「メリットデメリット」とは何だ? >いくらでも挙げられる。 だったら挙げてくれ この要望に対するOYAJIさんの回答がすごすぎる!! たとえばABCDEという5つの転載記事があるとする。 そ
2007年01月14日03:30 カテゴリValue 2.0 信じる自由の費用負担 「信じるも信じないも個人の自由」から、抜けている視点が一つある。 煩悩是道場 - 科学的根拠が無いものを信じてはならないのか 世の中は、科学で全てが証明出来る程、簡単には出来ていないと思うのですけれど、どうなのでしょう。疑似科学的なものを信じる信じないも個人の自由じゃないんですかね。それじゃ駄目なんですかね。 騙された場合に、そのコストを誰が支払うか、という問題だ。 もし「信じるも信じないも個人の自由」を全面的によし、とすると、やはり「騙された時のコストは、信じたものが全て支払うべき」だとなるのではないか。当然詐欺罪というのも成立しないし、名誉毀損などとんでもない、ということになる。「信じるも信じないも個人の自由」を標榜する人は、「騙された場合も他者を一切責めません」という旨も同時に表明しておくべきなのでは
うーん、よほどのことがない限り、いい加減放置しておこうかと思ったのだけれど、あまりに面白過ぎて放っておけない「むにゅうの爆笑劇場」続報。 もともとわたしが言っていたのは、これだけの単純なこと。 賃金労働できるはずの人が専業主婦になれば収入は確実に減るはずで、従って購買力は下がるはず。 (略) 専業主婦がいる家庭の購買力が大きいというのは事実だろうけれど、それは専業主婦になったから購買力が上昇するのではなく、購買力のある層が専業主婦になることができるから。 これに対し、むにゅうが信じられない反応を見せる。 専業主婦を客にできれば、客の少ない平日の午後にも飲食店は収入を見込めるわけです。 (略) まあ、経済的に豊かというのをお金の多寡でしか計れない人では、想像力も貧困なのは仕方が無いことか。 前半は単にバカなだけ。でも後半の「経済的に豊かというのをお金の多寡でしか計れない人は〜」というのはどう
2006年09月01日02:20 カテゴリEcosystem 亡国系 私自身も「理系」に分類されるようだけど、だからこそ理系の危険も指摘しておかずにはいられない。 レジデント初期研修用資料: 文系亡国 何もかも文系が悪い。 技術系はみんな頑張ってる。文系は余計な足を引っ張って、 全てを台無しにする。 アンカテ(Uncategorizable Blog) - 理系的ラッダイト運動このラッダイト運動は、理系から文系へのルサンチマンのような気がする。つまり 全ての巨大技術は文系が牛耳っている! だから巨大技術が科学的であるはずがない! 科学的でないものが信じられるものか! まず、「文系」「理系」といういい方。これ自身、「文系的」、というより「非理系的」な二分法だ。もし法律家が文系なら、同じくcodeを生業とするプログラマーもまた文系のはずだし、公理から定理を導く数学者が理系なら、構想から世界を構
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