【楽しき波乱万丈 浜木綿子聞き書き#1】歌が大好き、合唱団で活動 少女時代に疎開も経験
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舞台、映像で約70年にわたり、主演し続けてきた俳優・浜木綿子。開場から舞台に立つ東京・日比谷の2代目帝国劇場は建て替えのため2月末に幕を閉じる。浜の航跡を人との出会いを軸にたどる。
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会社勤務の香川忠次を父、妻の照子を母に1935年10月31日、東京で生まれた。照子は長野県出身だが大阪育ち。両親は大阪の長唄の稽古先で知り合った。
本名は香川阿都子。3人姉妹の次女で姉とは2歳、妹とは6歳違い。「姉は鼻もすぅーっと高く、目もぱっちりでしたが、次に生まれた私は早産で未熟児。なんと顔はオヘチャで母はびっくりだったようです」
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住まいは東京都目黒区の洋館。玄関横にプールがあり、庭にシェパードが2頭。「幼い私にはとても大きな家に思えました」
歌うことが大好きで児童合唱団に所属し、大学生との合唱にも参加した。「ご一緒する大学生が会場まで連れて行ってくれました。童謡を歌い、日が落ちると寝ちゃうので、おんぶしてもらって帰ってきたそうです」
だが41年、太平洋戦争が始まる。浜と姉は母の縁故を頼って現在の岐阜県中津川市に疎開し、現地の学校に転校した。
「『都会の子、都会の子ォ』とからかわれるので赤足袋をわざと破って姉につくろってもらい履いていました。そのうちふうちゃんという仲良しができてヨモギやイナゴも食べましたよ。木に登ったり、歌いながら木曽川に行ったり。夕方まで遊んでいましたね。土地の子ともなじむようになり、うれしかったです。ふうちゃんとの友情は今も続いています。ふうちゃんは女の子ですよ(笑)」(小玉祥子・演劇評論家)
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※10回連載の1回目です。次回は1週間後にUPします
【略歴】こだま・しょうこ 1960年、東京生まれ。全国紙演劇担当を経て演劇評論家に。主な著書に「艶やかに 尾上菊五郎聞き書き」「完本 中村吉右衛門」など。