I
ステージの上、青く透き通る水槽。ライトが水面に反射して、まるで星が揺れているように見える。観客席のざわめきが波のように押し寄せては引いていく。
彼女はいつものように笑った。大丈夫、成功する。今まで何度もやってきた。今日だって、いつもと同じ。違うはずがない。
「3…2…1…スタート!」
脱出開始。
II
水が冷たい。
手首のハンドカフが食い込む。
足元の鎖が重い。
(いつも通り……やれば……)
鍵を口の中から指先に移す。小さな金属が、彼女の生命線。鍵穴に差し込む。
(開け、開け……ぺこ……)
手がかじかむ。冷たさのせいか、それとも別の何かか。
残り40秒。
鍵が穴にうまく入らない。指先が震えている。いつもなら、もっとスムーズにできたはず。焦りが募る。
30秒。
「──!」
必死に掴もうとする。でも、水流がそれを遠ざける。指先が空を切る。
水面の向こう、ライトがゆらめく。
(……まだいける、まだ……)
手錠をこじ開けようとする。無理だ。力が足りない。指が痛い。時間がない。
20秒。
肺が悲鳴を上げる。水の中にいる時間が長すぎた。心臓がドクドクと鳴る。体が強張る。息を吸いたい。
(開かない、開かないぺこ……!)
水槽の外、スタッフが顔を見合わせる。観客のざわめきが大きくなる。
10秒。
助けを呼べない。
声は水に溶ける。叫びたい。でも、口を開けば水が入る。
(まだ、まだ……)
──5秒。
視界が狭くなる。耳鳴りがする。足が動かない。指が動かない。
(……だれか……)
──0秒。
水槽は静かだった。
青いツインテールがゆらゆらと揺れる。小さな手がゆっくりと沈む。
観客席が悲鳴に包まれる。スタッフが駆け寄る。でも、水槽の蓋は動かない。
ぺこらは、ただ、水の中で目を閉じる。
「……ぺこーらは……つよい……うさぎ……」
最後の泡が、水面へと上がった。