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'80に関するebo-cのブックマーク (2)

  • パソコン黎明期・中間色ペイント発見物語::Colorful Pieces of Game

    この8色は固定の原色でカラーパレットもなく中間色もない。だからごくごく初期のアドベンチャゲームでは人は黄色で塗られていたし、キャラクタも全て原色で書かれていた。これに革命を起こしたのがタイルによる中間色表現だ。 インターネットを探しても、貧乏人のためのCG講座ぐらいにしか資料の残っていない古びた知識だが、一定以上の解像度で隣り合った2つの色が人間の目では混ざって見えて中間色に見える、結果最大デジタル8色でも、組み合わせで8x7=56色の中間色が表現できる! というのがタイルもしくはクロマキーの基的な考え方だ。マンガのスクリーントーンのような考え方だ、と書けば、分かる人が少しは増えるかも知れない。 左のパターンが典型的な例。貼ったタイルパターンがなぜやや暗い緑がかった黄色に見えるのかを説明すると、これは2ドットのタイルで赤・緑で表現されている。赤+緑は黄色だが、2ドットなので(2倍の広さで

    ebo-c
    ebo-c 2011/02/27
    輝度への寄与は大雑把に青=10%、赤=30%、緑=60%になるので、BRGという順は輝度への寄与の昇順で、白黒のモニタに繋ぐとカラーコードそのままで黒から白に明るくなるメリットがある
  • 1989年、天外1 PART1::Colorful Pieces of Game

    今回は実際に天外2に参加する前の、1989の話。 天外2はもちろん天外1の続編で、どうして天外1がああいうゲームになって、そして例えば、どうして術が交換できるのか? なぜ、戦闘システムはああなのかを知らないと、結局、天外2の話はわからない。 というわけで、今回は天外1と桝田さんの話。 まず全体を把握してもらうため、一応、大雑把な経緯を書いておくと、もともと天外1はREDの広井王子さんが企画を始め、ハドソンが制作していた。ところが、1988年末に桝田さんが、急遽入って、ゲーム全体を作り直すことになり、1989年夏(6・30なので夏商戦向け)に発売された…というのが、その流れ。 今回は、なぜ作り直しをすることになったのか、まで。 さて、天外2でメインのゲームデザインをやった桝田さんと初めて出会ったのは、1988年の年末に凄ノ王伝説の広告をやる人だ、とハドソン札幌の技術部で紹介されたのが最初だ

    ebo-c
    ebo-c 2011/02/27
    桝田さんは担当になってしまったので、ほとんど3日徹夜でドラゴンクエスト1(ファミコン版)をプレイして研究した。そして、最後のところでりゅうおうに「世界の半分をお前にやろう」といわれ、…
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