ソフトバンクグループの孫正義社長は米携帯電話子会社スプリントの再建に向け、自ら同社のチーフネットワークオフィサー(CNO)に就いて通信網の品質改善に努めた。夜10時から深夜まで毎日のように電話会議を開き、技術陣たちと「バカヤロー」などと怒鳴りあいながら本音で議論を重ねた。孫社長が直々に関与した効果はもちろん大きかったが、それだけですんなりと事態が改善するほど現実は甘くない。復活の裏にはある日本人の奮闘があった。 スプリントを立ち直らせた立役者。それは東京・汐留のソフトバンク本社から送り込まれた専務取締役の宮川潤一氏だ。 2014年夏のある月曜日。ソフトバンクグループの役員が集まった朝食を取りながらの会議で、宮川氏は孫社長から「真ん中に座れ」と声をかけられた。何事かと思いつつ席に着いた宮川氏に孫社長は「明後日からカンザスに行ってくれ」と告げた。カンザスには米スプリントの本社がある。 当時スプ
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