1946年・昭和21年()に公布され、1947年・昭和22年()の5月3日から施行された「日本国憲法(にほんこくけんぽう)」の誕生に関わり、とりわけ「戦争の放棄」を謳った第九条の成立に大きな役割を果たしたとされる 幣原喜重郎 ( しではらきじゅうろう ) 幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)1872年(明治5年) - 1951年(昭和26年) 1924年(大正13年)の加藤高明内閣で外務大臣に就任し、4度の外務大臣を歴任。第44代の内閣総理大臣(1945年・昭和20年10月9日 - 1946年・昭和21年5月22日)として新憲法の草案作りに関わり、制定時には、吉田茂内閣の国務大臣として憲法公布文に副署している。 秘書官であった平野三郎の著書『平和憲法の水源』によれば、 幣原は ー 「霞ヶ関の主」と呼ばれた外交畑の巨人である。 世にいわれる「幣原外交」は国際協調、恒久平和、共存共栄、対支不干渉