コンテンツにスキップ

高原須美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2024年4月4日 (木) 01:14; クリミア (会話 | 投稿記録) による版 (人物)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
高原 須美子
たかはら すみこ
生年月日 (1933-06-16) 1933年6月16日
出生地 東京都
没年月日 (2001-08-19) 2001年8月19日(68歳没)
出身校 一橋大学商学部
前職 毎日新聞社記者

内閣 第1次海部内閣
在任期間 1989年8月10日 - 1990年2月28日
テンプレートを表示

高原 須美子(たかはら すみこ、1933年6月16日 - 2001年8月19日)は、日本の政治家経済評論家

経済企画庁長官第42代)、日本体育協会会長(第12代)、セントラル・リーグ会長(第4代)を歴任した。

概要

[編集]

略歴

[編集]

東京生まれ。東京都立武蔵高等学校一橋大学商学部卒業。1956年毎日新聞社入社。『エコノミスト』記者などを経て、1963年に結婚して退社。その後評論家となりテレビなどで知られる。

1989年8月、第1次海部内閣経済企画庁長官に任命され、女性で初めて民間人閣僚に就任した。その後、1993年日本体育協会会長、1995年に駐フィンランド特命全権大使1998年セントラル・リーグ会長に就任したが、いずれのポストも女性が就任するのは初めてであった。

2001年8月19日、悪性リンパ腫のため、死去。68歳没。

人物

[編集]
  • 父も毎日新聞社の社員、小林芳人(薬学者の小林芳人とは同姓同名の別人)。戦時中は陸軍から懲罰召集を受けた新名丈夫ら、出征する毎日新聞社社員を編集局内で万歳三唱の音頭をとり、見送る役目を果たしたという。
  • 一橋大学の同期に石原慎太郎(元東京都知事)、鳥海巌(元丸紅社長)、高橋宏(元首都大学東京理事長)がおり、4家族で毎年、旅行に出かける仲であった[1]
  • 大学の後輩の大田弘子(のちに経済財政政策担当大臣)に財団法人生命保険文化センター研究員の職を紹介し、経済学研究の道に進ませた。

著書

[編集]
  • 男性経済論への挑戦 東洋経済新報社 1979.11. 東経選書
  • 女は三度老いを生きる 高齢化社会を生き抜く知恵 海竜社 1981.11
  • 東京都の財政再建を考える 健康・安全・快適な暮しのために 学陽書房 1981.1
  • 女のマネーブック 人生を2倍愉しむ暮らしの経済学 海竜社 1986.12
  • エイジレス・ライフ ゆたかな高齢化社会の設計 有斐閣 1989.12 いま家族を問う
  • いきなり大臣 講談社 1990.12

脚注

[編集]
  1. ^ 1999/05/31, 日本経済新聞
その他の役職
先代
川島廣守
セントラル・リーグ会長
第5代:1998 - 2000
次代
豊蔵一
先代
宇野収
地方制度調査会会長
第26次:1998 - 2000
次代
諸井虔
先代
青木半治
日本体育協会会長
第12代:1993 - 1995
次代
安西孝之
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy