高原須美子
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高原 須美子 たかはら すみこ | |
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生年月日 | 1933年6月16日 |
出生地 | 東京都 |
没年月日 | 2001年8月19日(68歳没) |
出身校 | 一橋大学商学部 |
前職 | 毎日新聞社記者 |
第42代 経済企画庁長官 | |
内閣 | 第1次海部内閣 |
在任期間 | 1989年8月10日 - 1990年2月28日 |
高原 須美子(たかはら すみこ、1933年6月16日 - 2001年8月19日)は、日本の政治家、経済評論家。
経済企画庁長官(第42代)、日本体育協会会長(第12代)、セントラル・リーグ会長(第4代)を歴任した。
概要
[編集]略歴
[編集]東京生まれ。東京都立武蔵高等学校、一橋大学商学部卒業。1956年毎日新聞社入社。『エコノミスト』記者などを経て、1963年に結婚して退社。その後評論家となりテレビなどで知られる。
1989年8月、第1次海部内閣で経済企画庁長官に任命され、女性で初めて民間人閣僚に就任した。その後、1993年に日本体育協会会長、1995年に駐フィンランド特命全権大使、1998年にセントラル・リーグ会長に就任したが、いずれのポストも女性が就任するのは初めてであった。
人物
[編集]- 父も毎日新聞社の社員、小林芳人(薬学者の小林芳人とは同姓同名の別人)。戦時中は陸軍から懲罰召集を受けた新名丈夫ら、出征する毎日新聞社社員を編集局内で万歳三唱の音頭をとり、見送る役目を果たしたという。
- 一橋大学の同期に石原慎太郎(元東京都知事)、鳥海巌(元丸紅社長)、高橋宏(元首都大学東京理事長)がおり、4家族で毎年、旅行に出かける仲であった[1]。
- 大学の後輩の大田弘子(のちに経済財政政策担当大臣)に財団法人生命保険文化センター研究員の職を紹介し、経済学研究の道に進ませた。
著書
[編集]- 男性経済論への挑戦 東洋経済新報社 1979.11. 東経選書
- 女は三度老いを生きる 高齢化社会を生き抜く知恵 海竜社 1981.11
- 東京都の財政再建を考える 健康・安全・快適な暮しのために 学陽書房 1981.1
- 女のマネーブック 人生を2倍愉しむ暮らしの経済学 海竜社 1986.12
- エイジレス・ライフ ゆたかな高齢化社会の設計 有斐閣 1989.12 いま家族を問う
- いきなり大臣 講談社 1990.12
脚注
[編集]- ^ 1999/05/31, 日本経済新聞
その他の役職 | ||
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先代 川島廣守 |
セントラル・リーグ会長 第5代:1998 - 2000 |
次代 豊蔵一 |
先代 宇野収 |
地方制度調査会会長 第26次:1998 - 2000 |
次代 諸井虔 |
先代 青木半治 |
日本体育協会会長 第12代:1993 - 1995 |
次代 安西孝之 |