美々杏里
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みみ あんり 美々 杏里 | |
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生年月日 | 9月2日 |
出身地 | 日本 大阪府大阪市 |
身長 | 160cm |
職業 | 舞台俳優 |
ジャンル | 舞台 |
活動期間 | 1988年 - 2005年 |
活動内容 |
1988年:宝塚歌劇団入団、星組配属 1996年:雪組へ異動 1998年:宙組へ異動 2000年:月組へ異動 2005年:宝塚歌劇団退団 |
主な作品 | |
宝塚歌劇 『エリザベート』 | |
備考 | |
宝塚歌劇団卒業生 |
美々 杏里(みみ あんり、9月2日[1] - )は、元宝塚歌劇団月組の女役[2][3]。
大阪府大阪市[3]、大阪信愛女学院高等学校出身[1]。身長160cm[1]。愛称は「ちず」、「ちーたん」[1]。
来歴
[編集]1986年、宝塚音楽学校入学。
1988年、宝塚歌劇団に74期生として次席入団[2][3]。花組公演「キス・ミー・ケイト」で初舞台[2]。その後、星組に配属[2][3]。
1998年1月1日付で、宙組創設に伴う発足メンバーとして宙組へ組替え[5]。
2000年7月5日付で月組へと組替え[6]。
名歌手として活躍し、舞台を引き締める大役を数々と演じてきたが、2005年5月22日、彩輝直退団公演となる「エリザベート」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団[2][3]。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
[編集]初舞台
[編集]星組時代
[編集]- 1991年11月、『紫禁城の落日』新人公演:恒香(本役:木花咲耶)
- 1992年5月、『白夜伝説』新人公演:リルム/ピクシーの声(本役:出雲綾)/『ワン・ナイト・ミラージュ』
- 1993年6月、『うたかたの恋』新人公演:エリザベート皇后(本役:高ひづる)/『パパラギ -極彩色のアリア-』
- 1993年8月、『FILM MAKING』(バウ・東京特別)ゼルダ・フォン・オッペンハイマー
- 1994年2月、『若き日の唄は忘れじ』新人公演:小柳の女房(本役:出雲綾)/『ジャンプ・オリエント!』
- 1994年4月、『うたかたの恋』ヴェッツェラ男爵夫人/『パパラギ -極彩色のアリア-』(全国ツアー)
- 1994年8月、『カサノヴァ・夢のかたみ』新人公演:マリア・テレジア(本役:出雲綾)/『ラ・カンタータ!』
- 1994年10月、『Sion -愛の祈り-』(バウ・東京特別)ヴィヴィアン
- 1996年1月、『黄色いハンカチ』(バウ)ビブ・ウォーカー
雪組時代
[編集]- 1996年4月、『アリスの招待状 -チェシャ猫ホテルへようこそ-』(バウ)シスターK
- 1996年10月、『アナジ』(バウ・東京特別)テレザ
- 1997年5月、『嵐が丘』(バウ)ネリー
宙組時代
[編集]- 1998年1月、『夢幻宝寿頌』/『This is TAKARAZUKA!』(香港)
- 1998年3月、『エクスカリバー』マリアンヌ/『シトラスの風』
- 1998年6月、『嵐が丘』(東京特別・名古屋特別)ネリー
- 1998年10月、『エリザベート -愛と死の輪舞-』リヒテンシュタイン伯爵夫人[3]
- 1999年4月、『エクスカリバー -美しき騎士たち-』モーガン/『シトラスの風』(全国ツアー)
- 1999年6月、『激情 -ホセとカルメン-』エステル/『ザ・レビュー 99』
- 1999年9月、『TEMPEST -吹き抜ける九龍-』(バウ)シーラ・ウォン
- 2000年6月、『FREEDOM』(バウ・東京特別)イーディス
月組時代
[編集]- 2000年9月、『ゼンダの城の虜』アマンダ/『ジャズマニア』 エトワール
- 2001年1月、『いますみれ花咲く』/『愛のソナタ』マリー・テレーズ エトワール[3]
- 2001年3月、『プロヴァンスの碧い空』(東京特別)カトリーヌ・ド・サルニイ
- 2001年5月、『愛のソナタ』マリー・テレーズ/『ESP!!』[3]
- 2001年7月、『月組エンカレッジ・コンサート』(バウ)
- 2001年8月、『大海賊 -復讐のカリブ海-』アナ/酒場の女エルザ『ジャズマニア』 エトワール
- 2001年10月、『血と砂』(バウ・東京特別)フェリシア・ロドリーニョ(ペーペ)
- 2002年1月、『ガイズ&ドールズ』ミミ エトワール
- 2002年6月、『SLAPSTICK』(バウ)マリア・ドリー
- 2002年8月、『長い春の果てに』マドレーヌ/『With a song in my Heart』
- 2003年2月、『長い春の果てに』マドレーヌ/『With a song in my Heart』(中日)
- 2003年4月、『花の宝塚風土記』/『シニョール ドン・ファン』アンドレア
- 2003年9月、『なみだ橋 えがお橋』(バウ・東京特別)お喜世
- 2003年11月、『薔薇の封印 -ヴァンパイヤ・レクイエム-』マヤ
- 2004年4月、『ジャワの踊り子』(全国ツアー)ギャビー
- 2004年6月、『飛鳥夕映え -蘇我入鹿-』小足媛(おたらしひめ)/『タカラヅカ絢爛II -灼熱のカリビアンナイト』
- 2005年2月、『エリザベート -愛と死の輪舞-』ゾフィ 退団公演、エトワール[2][3]
宝塚歌劇団退団後の主な活動
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(舞台編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14600-3。
- 監修・著作権者:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡りつづけて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日。ISBN 978-4-484-14601-0。