岸宏一
岸 宏一 きし こういち | |
---|---|
総務大臣政務官就任に際し公表された公式肖像写真 | |
生年月日 | 1940年6月3日 |
出生地 | 山形県最上郡金山町 |
没年月日 | 2017年10月16日(77歳没) |
死没地 | 東京都千代田区 |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部 |
前職 |
山形県最上郡金山町長 参議院議員 |
所属政党 | 自由民主党(岸田派) |
選挙区 | 山形県選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1998年7月26日 - 2016年7月25日 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1971年 - 1998年 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1967年 - 1971年 |
岸 宏一(きし こういち、1940年6月3日 - 2017年10月16日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(3期)。
参議院厚生労働委員長・政治開発援助等に関する特別委員長・予算委員長、厚生労働副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、総務大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、山形県最上郡金山町長(7期)、金山町議会議員(1期)を務めた。
来歴
[編集]山形県最上郡金山町の山林地主である岸家の一族に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業[1]。
1967年、故郷・金山町の町議会議員に初当選する。1971年には同町長選に立候補・当選し、以後1998年まで7期27年間にわたり町長を務めた[2]。また町長在職中は山形県町村会会長、全国豪雪地帯町村対策協議会副会長、全国山村振興連盟副会長、全国町村会常任理事を歴任。金山町長在任中の1982年、早稲田大学在学中の友人で朝日新聞編集委員の田岡俊次の助言を受けて、全国の地方自治体で初めて情報公開条例を制定した[3]。1993年の山形県知事選挙では、自由民主党が県内市町村長に無断で土田正剛を推薦したことに反発し、高橋和雄を擁立して高橋当選に貢献した[3]。第17回参議院議員通常選挙の際には日本社会党・自民党から出馬要請を受けるが辞退[3]。1996年、高橋から推薦を受けて山形県農業会議会長に就任し、以降の選挙戦で農業委員からの支援を受けるようになる[3]。
1998年に金山町長を辞職[1]、第18回参議院議員通常選挙に自民党公認で山形県選挙区より立候補し、初当選した。2002年、第1次小泉第1次改造内閣で総務大臣政務官に任命される。2004年の第20回参議院議員通常選挙で再選。2007年、第1次安倍改造内閣で厚生労働副大臣に任命され、福田康夫内閣まで務めた。2009年の山形県知事選挙では、加藤紘一が支持する現職の斎藤弘ではなく、新人の吉村美栄子を支持[4]。岸の地盤である最上地方8市町村のうち、7市町村で吉村の得票数が斎藤を上回り、吉村当選に貢献した。2010年、第22回参議院議員通常選挙で3選。同年の3月31日、高校無償化法案の採決で自民党は反対の党議拘束をかけていたが、岸、伊達忠一の2議員はこれに造反して賛成票を投じた。岸はボタンの押し間違いと釈明し、自民党執行部はこれを不問にした[5]。
2012年の第46回衆議院議員総選挙に際しては、前酒田市長阿部寿一の山形3区への擁立を主張。自民党山形県連内では、現職の加藤ではなく阿部を自民党公認で擁立する動きもあったが、結局加藤が公認を受けた[6]。阿部は無所属で山形3区から立候補、加藤を破り、初当選した。加藤は党の73歳定年制のために比例重複立候補が認められず、比例復活も出来ずに議席を失った。
2013年、参議院政府開発援助等に関する特別委員長に就任、2014年には参議院予算委員長に就任した[1]。
2015年、2016年の第24回参議院議員通常選挙に立候補せず、任期限りで引退することを表明[4][7]。引退に伴う後任選定に際し、自民党山形県連が岸に相談せずに後任を決定したことに不快感を示したが、6月14日に県連会長の遠藤利明が謝罪したことで和解した[8]。
2017年10月16日、肺扁平上皮癌のため東京逓信病院で死去。77歳没[9][2]。同月27日の閣議で従三位・旭日重光章を贈ることが決定。
政策・主張
[編集]政治資金
[編集]人物
[編集]所属団体・議員連盟
[編集]- 日本会議国会議員懇談会[15]
- 神道政治連盟国会議員懇談会[15]
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[15]
- 創生「日本」[15]
- 日朝友好議員連盟
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- 参議院日本ブルガリア議員連盟(会長)[2]
脚注
[編集]- ^ a b c “プロフィール”. 岸宏一 オフィシャル ウェブサイト. 2016年6月14日閲覧。
- ^ a b c “元参院議員・岸宏一氏が死去 77歳、厚労副大臣など歴任”. 山形新聞 (2017年10月17日). 2017年10月19日閲覧。
- ^ a b c d “勇退の岸氏、政治活動振り返る 加藤紘一氏との応酬勲章”. 山形新聞 (2016年6月3日). 2016年6月14日閲覧。
- ^ a b “岸氏、勇退の意向 来夏参院選に出馬せず”. 山形新聞. (2015年6月20日). オリジナルの20 Jun 2015時点におけるアーカイブ。 2019年7月31日閲覧。
- ^ “自民2議員、高校無償化法案「賛成」 ボタン押し違える”. 朝日新聞. (2010年3月31日). オリジナルの2010年4月2日時点におけるアーカイブ。 2016年11月26日閲覧。
- ^ “〈衆院選〉絡む遺恨 攻守逆転/「与党」互いに強調/山形3区”. 河北新報. (2014年12月10日) 2015年4月6日閲覧。
- ^ “〈来夏参院選〉岸宏一氏4選不出馬”. 河北新報. (2015年6月22日) 2015年6月23日閲覧。
- ^ “【2016参院選】遠藤会長が岸氏に謝罪 「現職に相談せず後任選定」”. 山形新聞 (2016年6月18日). 2016年6月19日閲覧。
- ^ “岸宏一氏死去=元自民党参院議員”. 時事通信 (2017年10月16日). 2017年10月16日閲覧。
- ^ しんぶん赤旗 2013年1月6日
- ^ a b 毎日新聞2010年参院選候補者アンケート
- ^ しんぶん赤旗 2002年3月10日
- ^ “<統一選>最上/初陣岸さん、広がり欠く”. 河北新報. (2015年4月13日) 2015年4月12日閲覧。
- ^ “<統一選焦点区>(上)山形・最上 自民岸氏の長男出馬”. 河北新報. (2015年4月6日) 2015年4月6日閲覧。
- ^ a b c d 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
公職 | ||
---|---|---|
先代 石田祝稔 武見敬三 |
厚生労働副大臣 西川京子と共同 2007年 - 2008年 |
次代 鴨下一郎 渡辺孝男 |
先代 滝実 山内俊夫 河野太郎 |
総務大臣政務官 吉田六左ェ門 岩永峯一と共同 2002年 - 2003年 |
次代 吉田六左ェ門 平沢勝栄 世耕弘成 |
先代 岸英一 |
山形県最上郡金山町長 1971年 - 1998年 |
次代 松田貢 |
議会 | ||
先代 山崎力 |
参議院予算委員長 2014年 - 2016年 |
次代 石井準一 |
先代 山谷えり子 |
参議院政府開発援助等に関する特別委員長 2013年 - 2014年 |
次代 山本順三 |
先代 国井正幸 |
参議院厚生労働委員長 2004年 - 2005年 |
次代 山下英利 |