トランプ就任後に『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を観る

連載「映画は世界を映してる」、今回は昨年の話題作、アメリカの近未来を描いた『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を取り上げています。

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独善的な大統領が法を無視して第三期目の任期に入ったアメリカでは、19もの州が国家
を離脱し、内乱状態が勃発しているという設定。本作は、対立の具体的な内容には踏み込まず、対立によって生まれた深い分断そのものが、どう人々を蝕んでいるかに焦点を当てています。
そこには、現在の私たちの姿も隠喩的に映し込まれています。

ハリウッド映画的なスペクタクルは終盤の市街戦で見られるものの、全体としては抑えたトーンで骨太の作りになっており、特にカメラワークが秀逸。ベテランの戦場カメラマンを演じるキルスティン・ダンストも、さすがの貫禄を醸し出していて良いです。

トランプ就任後の現在のリアリティの中で再見したい作品。おすすめ。

人類よ地上の暮らし諦めて穴に住むのだ涼しい穴に

 

     

 

 

飼い犬タロになっているつもりで詠んだ、2024年下半期の犬短歌です。一部、俳句と私名義の短歌も混じってます。気に入っているのには*をつけてます。

今年は飼い主がやたら忙しく、前よりタロと遊ぶ時間が減ったためか、ストレスで食い気に走り、私も罪悪感からいろんなおやつをいつも以上に与えてしまい、結果食べ過ぎでお腹を壊すことが何度かありました‥‥。すみません。

来年タロは12歳。元気でシニア犬ライフを楽しんでもらいたいです。

 

七月

 

天の川洪水となり満天の星吉凶を超えて輝け  *

 

「貼りまわれ!こいぬ」に頼もう街中のシールの上に犬ステッカー

 

なぜ君はおいしいねぇと言うのだろう食べているのはこの俺なのに

 

スズムシがやらせてくれと一晩中きれいな音で訴えている

 

もの忘れ激しいひとに本日のおやつはまだ?と嘘のおねだり

 

オシッコはツイツイツイート犬たちのタイムラインで炎上はなし  

 

人類よ地上の暮らし諦めて穴に住むのだ涼しい穴に  *

 

 

八月

 

何もかも忘れ楽しむスペシャルな日が毎日の犬の生活

 

水色のクールリングをした人とふたりで夏に繋がれている

 

体臭が消えちゃったらばどうやって自分をアピールしたらよいのか

 

盆の膳片付けられて一個だけ俺のメロンが残されている  *

 

直前の豪雨予報ができるので予報士犬でデビューしたいな

 

台風は週末に来る今はまだのんびり泳いでおいでメダカよ

 

 

九月

 

会長の犬として言う自治会の住宅地図に犬地図入れろ

 

見えている景色は違うけど秋の気配にそっと君の指噛む

 

一瞬の中に彼女と秋の陽をうけて過ごした永遠がある

 

退屈な日のエンディングに似合わない映画のような夕焼けの赤  *

 

縁の下あまり掘るなと言う人と掘りたい俺の正義ぶつかる

 

土掘りはアイデンティティ犬自認してる者なら知っているはず

 

イオンには犬のおやつの棚があるお金払えば棚ごと買える

 

 

十月

 

生きてたら百歳だわと母ポツリ 父誕生日の十月三日/サキコ

 

人間じゃもう五十ねと言いながら俺の目ヤニを拭く六十五  *

 

あのひとの消し炭色のカーディガン箪笥の匂い雨に溶けゆく

 

岩合さんみたいな人が歩いてた 犬でよければモデルやります

 

輸送機の低く飛ぶ空 鈍色に光る雨足 俺は中年

 

町内に防犯カメラつけるより防犯犬団組織しようぜ

 

あのひとがホラーに出るなら『呪われたゲゲゲの老婆 犬の怨念』

 

神々が降りてきそうな星空の下でさみしい糞をするなり  *

 

 

十一月

 

俺の腹やや恢復の兆しあり 優しく風に揺れる秋桜

 

ポンポンはもう治ったねと腹さする君はなにゆえ赤ちゃん言葉

 

いつまでも鞄の中で鳴っているスマホのような秋の虫の音  *

 

「犬は」でも「柴犬は」でも駄目なんだ「タロは」とちゃんと書いてください

 

腹減って腹減りすぎて君の鼻食べそうだから早く飯くれ

 

 

十二月

 

枯れ草は冬の空き地の抜け毛なり

 

オダイコンゴボテンチクワガンモドキ朝から呪文唱えてるひと

 

舐めた手も頬も冷たい冬の朝

 

いつのまに十一年も生きたかな俺の心は三歳のまま

 

ふたりきり密談をしたカーシート夜明けは遠い夜明けは近い  *

 

 

⚫︎2024年上半期の犬短歌。ページの最後にそれ以前の年へのリンクもあります。

 

ohnosakiko.hatenablog.com

 

地方の「カネと政治」の闇‥‥傑作ドキュメンタリー『はりぼて』

今月はあまりに忙し過ぎて、こちらでの更新がなかなかできず、大晦日になってしまいました。

連載「映画は世界を映してる」、今回はドキュメンタリー『はりぼて』(監督/五百旗頭(いおきべ)幸男・砂沢智史、2020)を取り上げてます。

 

13人もの議員辞職を生んだ富山市議会を巡る不正を追っていった地元のテレビ局。前半の失笑は二転三転するうち次第に重苦しい空気へと変わっていき‥‥。
編集が上手いです。政治家の「顔」も見ものです。以下、本文から抜粋。

 

このドキュメンタリーを面白くしているのは、こう言っては語弊を招くかもしれないが、登場する人々の顔だ。まるで本物の役者を起用しているかのように、それぞれの”役割”に顔がぴったりとハマっている。
まず前半の要の人物、中川議員の面構えが凄い。睨まれたら怖そうな大造りで肉厚の顔立ちだが、よく見るとどこか味わいもある。いろんな場面を酒と金と人情でまとめてきたんだろうなと想像させるような、昔ながらの”地元の顔”。謝罪会見での見るも無惨な憔悴ぶりと合わせて、タイトルの「はりぼて」感がもっとも端的に現れている。

議員たちが次々辞めていく中で、まるで人ごとのような態度の森市長は、いわば小狸顔だ。不正や問題発覚のたびに取材を受けるが「コメントすべき立場にない」「制度論の話だから」などと判で押したような同じ返答でかわす様子は、おそらく見る人を一番イラつかせるだろう。中川議員のような小悪党より、こういう”狸”が実は一番問題なのではないかとさえ思わせる。
政務活動費情報請求者の名前の漏洩という疑惑を持たれ、弁明と謝罪に追い込まれた事務局長の困り果てた顔も印象的だ。元は真面目で若干気弱な人が、さまざまな圧力の中で忖度するようになってしまった、そんな”板挟み”状況が顔つきにそのまま現れている。

 

最後まで緊張感が途絶えることなく、引き込まれました。おすすめ!

冤罪と死刑について考えさせる『黒い司法 0%からの奇跡』

早くも師走感が漂ってきた中、この一ヶ月ほどやたらと忙しく、ここの更新も遅れてしまいました。公私共にいろんな案件が同時多発で‥‥映画をチェックしてる暇もなく‥‥。

ところで映画ってなんであんなに長いんでしょうか。一時間くらいで十分だと思いますけど。特にハリウッド映画とかね。きっと、金と時間をかけないとならないシステムが出来上がっているんでしょうね。

 

さて、連載「映画は世界を映してる」、今回は先月の袴田巌さんの無罪獲得の話題を枕に、死刑囚と若い弁護士の再審までの遠い道のりを描いた『黒い司法 0%からの奇跡』を取り上げてます。

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実話を元に、冤罪や死刑制度について考えさせる佳作。演出が引き締まった感じでダレるところがまったくなく、結末がわかっていても最後まで引き込まれます。
黒人差別と闘った弁護士を描いた往年の名作『アラバマ物語』を観ていると、もっとこの映画の芯がわかると思います。

そして、俳優陣が皆いいです! エンドロールに演じられた実在の本人たちの当時の画像が出てきて、なるほど、この人をあの俳優が演じたのかと感心することしきりでした。

 

次回は年明けになるかもしれませんが、連載の告知以外の記事が出ると思います。

オートガイネフィリアをめぐって

トランス女性の女性スペース問題で、「TRA」と「TERF」(トランスの権利擁護の活動家とトランス排除的ラディカルフェミニスト。いずれも蔑称とされているようなのでここでは「」付きで使う)は激しく対立している。対立というか並行線だ。

この話題をめぐって昨日、「TERF」の女性にはオートガイネフィリアに対する忌避感があることについてX(Twitter)で言及したら、いろいろな反応があったので、主なものを紹介したい。

 

とりあえずこれまでで、オートガイネフィリアについて私が最初にXで目にしていたのはこの動画である。

⚫︎「オートガイネフィリアとは?」ヘレン・ジョイスの解説(日本語字幕)

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一貫して反「TRA」の立場から語られており、オートガイネフィリアは女装するだけで満足せず、女性スペースに入り女性として扱われようとする人々とされている。この動画が拡散されて、女装したオートガイネフィリアが女子トイレなどに侵入するのではないか、という不安の一因になったと思われる。


ヘレン・ジョイスのインタビューを文字起こししたものはこちら。

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以下に、昨日、フォロワーさんからおすすめされたサイトを3つ紹介する。いずれもアメリカの性科学者・心理学者の論文を和訳して掲載している。ポイントと思われる箇所のみ引用するが、時間があれば是非全文にあたって頂きたい。

 

⚫︎小児期発症型(同性愛) オートガイネフィリア型 突発性発症型
 性別異和は一つではない 

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性別違和を抱える子どもたちの問題に取り組んでいる親たちを含むコミュニティのサイト4thWaveNow(https://4thwavenow.com)に掲載された、アメリカの性科学者レイ・ブランチャードとマイケル・ベイリーの論文。

・2つ目のタイプは、オートガイネフィリア型性別違和で、男性にのみ発生する。これは、自分が女性であると考えたりイメージしたりすることによって、性的興奮を覚える性癖に関連している。このタイプの性別違和は、思春期や成人期に始まり、その発症は一般的に緩やかである。

・オートガイネフィリアを持つ多くの男性は、たまに女装をすることに満足している。女性と結婚する人もいるし、子どもを持つ人もたくさんいる。家族の存在は、幾分か気になるにせよ、その後の性別移行を避ける保証にはならない。過去数十年間、オートガイネフィリアの男性が性別移行する場合、女性と結婚して子どもをもうけた後、30~50歳の間に移行することがほとんどであった。最近では、思春期を含むより若い年齢で移行を試みている可能性がある。

・オートガイネフィリアは、確かなことは言えないが、おそらく稀なものである。しかし、性転換を求める男性の間では、よく見られることである。実際、アメリカを含む近年の欧米諸国では、男性から女性への性転換の症例のうち、少なくとも75%をオートガイネフィリアが占めている。

・しかし、オートガイネフィリア型性別違和に典型的な経歴を持つ多くの声高なトランスジェンダー活動家は、親や立法者、臨床医に容赦なく圧力をかけ、性別違和を抱える子どものタイプを区別しないことを黙認させ、そのための法律、治療法を求めている。さらに、彼らは自らの体験に基づく内部知識を主張することも少なくない。しかし、彼らの経験は、彼らにない2つのタイプの性別違和とは無関係なのだ。しかも、オートガイネフィリアに関しては、これらトランスジェンダー活動家はほぼ全員が否認している。つまり、公にされる彼らの体験の記憶は、歪曲されたものであるか、まったくの嘘であるかのどちらかである。注目すべき例外は、性別違和の重要な研究者となったアン・ローレンス博士で、彼は自分のオートガイネフィリアについて率直でかつオープンにしている。ローレンス博士は、異なるタイプの性別違和に関する科学文献を時間をかけて学び、自分の個人的な経験が非オートガイネフィリアの性別違和に当てはまると主張することはない。オートガイネフィリアを否認している人が、物語を一つにしようとすることで、最大の犠牲者となっているのは、実際、他のオートガイネフィリアの男性である。

 

⚫︎クィーンになろうとする男  マイケル・ベイリー

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アメリカで絶版になった(「TRA」の批判でキャンセルされた)マイケル・ベイリー著『The Man Who Would Be Queen』所収のあとがきの翻訳、転載。「あとがき」とあるがところどころ「ベイリーは〜」という文言があるので、他者による解説だと思われる。オートガイネフィリアは終わりの方に登場する。

・人生の半ばを過ぎ、妻子もあり、社会的地位もある男性が、「実は昔から心は女性だったのだ」とカミングアウトして、メディアの注目を集めることがあるが、彼らはオートガイネフィリアだったのだ。たいていの場合、思春期に女性の下着を身につけて性的興奮を覚え、自慰をすることからオートガイネフィリアが始まるらしい。当然、親には内緒でやるので長い間気づかれることはないだろう(しかし、最近では、性別違和があると10代で宣言するオートガイネフィリアの男の子もいるようである)

・しかし、オートガイネフィリアとは、「男性の身体に閉じ込められた女性」ではない。内科医で性科学研究者であり、自身も手術済みのトランスセクシュアルであるアン・ローレンスは、彼らを「男性の身体に閉じ込められた男性」と呼んでいる。実際、オートガイネフィリアは、(女らしい)同性愛型トランスセクシュアルと比べると、明らかに「男らしい」のである。彼らが女らしく見えるためには、かなりの努力が必要となる。
・オートガイネフィリアは異性愛の一種であるが、正確には、「非同性愛型」のトランスセクシュアルがオートガイネフィリアである。異性愛者だけでなく、バイセクシュアル、アセクシュアルのオートガイネフィリアもオートガイネフィリアである。つまり、彼らが最も魅かれるのは、彼らがなるであろう女性(女性としての自分)だということだ。

 

⚫︎オートガイネフィリア再考:Men Trapped in Men’s Bodies: Narratives of Autogynephilic Transsexualism - 前提的問題について

オートガイネフィリア再考:Men Trapped in Men’s Bodies: Narratives of Autogynephilic Transsexualism - 前提的問題について

アン・A・ローレンスの著書、Men Trapped in Men’s Bodies: Narratives of Autogynephilic Transsexualism (Springer, 2013) から。

・同性愛的MtFトランスセクシュアルは極度に女性的な同性愛の男性であり、男性を引き付けるために自らを女性化する。それに対して、非同性愛的MtFトランスセクシュアルは、自分が女性になるという考えに性的に興奮する―—すなわち、オートガイネフィリアである―—ために、性的興奮を求めて女性になることを望む。それゆえに、非同性愛的MtFトランスセクシュアルは女性を性愛の対象として(ただし女性の他人ではなく女性になった自分を)指向する異性愛の男性であると考えられる。

・よって、MtFトランスセクシュアルを説明するものとしてよく知られている「男の身体に囚われた女women trapped in men’s bodies」という表現は、同性愛的MtFトランスセクシュアルには当てはまるが、非同性愛的MtFトランスセクシュアルには当てはまらない(1−2)。

 

以上のサイトのうち一つ目と二つ目は、いわゆる「TERF」の立場の人のものだ。Xも全体として、「TERF」の人々がトランス女性と関連づけるかたちでオートガイネフィリアに言及している傾向がある。「TRA」やアライの人は概ねそうしたネット上の発言について、不正確かデマであるという否定的態度をとっている。

 

他に、当事者かおそらく当事者に近い人によるこのような記事も見つけた。

mixi.jp

ブランチャードらのオートガイネフィリアの記述と重なるところもあれば、異なるところもある。

 

Xでは、以上のようなオートガイネフィリアの理論を否定する以下のような情報を頂いた。

 

これに関して、別の方が以下の情報を投稿した。

 

上記のリンク先に示されていた自動翻訳の和文

ブランチャードの理論で議論となっているのは、オートガイネフィリアが非アンドロフィリックなMtF性転換者の中心的動機であるのに対し、アンドロフィリックな者には存在しないという理論と、オートガイネフィリアをパラフィリアとして特徴づけることである。ブランチャードは、これらの理論の正確さを解決するにはさらなる実証的研究が必要であると書いている。
一方、トランスフェミニストのジュリア・セラーノなど他の者は、これらの理論は誤りであると主張している。

(注:ここから↓ジュリア・セラーノの主張。自動翻訳で硬いところを少し修正)

数十年にわたり、「オートガイネフィリア」は、科学/精神医学の文献で性的指向と性別違和や性転換の原因として説明されてきた歴史があります。いずれも当てはまらないため、この用語をこのような方法で使い続けることは誤解を招くでしょう。
同様に長い歴史において、「オートガイネフィリア」は「男性」特有の現象および性的倒錯として説明されてきました。これらの概念は相互に関連しており、(精神医学の教義によれば)性的倒錯は女性には非常にまれであるか、まったく存在しないとされています。しかし、最近の研究では、多くのシスジェンダーの女性(最大93%)が「自分自身を女性として自覚する、またはイメージすることで性的興奮を覚える」経験をしていることが示されています。したがって、多くの女性/女性的アイデンティティを持つ人々が経験する比較的一般的な(そして非病理的な)性的嗜好や空想を説明するために、パラフィリアや「エロティックな異常」(ブランチャードの呼び方)と非常に密接に関連している用語をもはや使用すべきではありません。
「オートガイネフィリア」(科学/精神医学文献で定義されている)は、トランス女性を「性的に逸脱した男性」として概念化しており、したがってトランスジェンダーアイデンティティに不必要に汚名を着せ、無効にしています。まさにこの理由から、「オートガイネフィリア」の概念は、反トランスジェンダーイデオロギーや政治的アジェンダを推進する一般の人々によってますます盗用されてきました。
これらの理由から、私はレビューで、誤解を招き汚名を着せるラベル「オートガイネフィリア」を、より包括的(そして病理的ではない)用語である女性/女性性具現化ファンタジー(FEF)に置き換えるべきだと主張しました。

 

というわけで、FEF(Feminine Embodiment Fantasy)について日本語のテキストがないか検索してみたが見当たらず、このページに行き着いた。トランス女性と思われる人の投稿である。

https://www.reddit.com/r/MtF/comments/ovpu4p/femalefeminine_embodiment_fantasies_fefs/?rdt=48219

一部を和訳してみた(ニュアンスが伝わっているかはわからない)。

ジュリア・セラーノは、オートガイネフィリアを再定義した際、FEF を「私たち自身の(現実あるいは想像上の)女性の身体または女性的なジェンダー表現の一側面が、ファンタジーの中で中心となるエロティックな役割を果たす(ただし想像上のパートナーなど他のエロティックな要素もファンタジーに存在する可能性がある)」と説明した。私はこの定義に賛同する。彼女はまた、この現象はトランスジェンダーの経験の一つかもしれないし、違うかもしれないと述べた。これは興味深い観点である。なぜなら、さまざまな理由から自分がトランスジェンダーとは思わない、またはまだ思っていないにせよ、こうしたファンタジーを持つ人々がいることがわかっているからである。

オートガイネフィリアは、男性だけでなく女性(トランス女性を含む)にも当てはまるのだ‥‥ということで、トランスフェミニスト、ジュリア・セラーノの提唱するFEFに賛同する内容になっている。後半では、性別を本質主義(生物学に依拠する)で捉える政治勢力への批判が展開され、オートガイネフィリアは異常でも病疾でもないと主張されているようだ。おそらくその主張のためにも、オートガイネフィリアをFEFという女性(トランス女性を含む)を中心とするより大きなカテゴリーに包括することが必要だったのだと思われる。

元のオートガイネフィリアの研究自体も、まだ完全に解き明かされ完成されてはいないという印象を受けるが、一般概念としては定着してきている。だがその「政治的効果」がトランスライツの活動にとってマイナスと考える人々によって、別の角度から研究が進められ概念の更新がされた。これ以後、オートガイネフィリアの解釈をめぐり、レイ・ブランチャードらを支持する「TERF」とジュリア・セラーノらを支持する「TRA」が対立していると考えられる。

 

アメリカではかなり前に、この概念を巡って大きなトラブル(出版のキャンセル騒ぎ)が起こっていた。

⚫︎「学問的な批判」は、いかにして「誹謗中傷」「いじめ」に堕すか? 研究者たちの経験から見えること 
ベンジャミン・クリッツァー

gendai.media

2003年に『クイーンになる男――ジェンダー変更とトランスセクシュアルの科学(The Man Who Would Be Queen: The Science of Gender-Bending and Transsexualism)』を出版したことが原因で、ベイリーはトランスジェンダーの権利活動家から多大な非難を受けることになった。

 

LGBTのうちのレズビアン、ゲイ、バイセクシュアルはそれぞれ性的指向(欲望のかたち)を表しているが、最後のトランスジェンダーだけは性自認に焦点化した言葉である。しかしブランチャードのオートガイネフィリアの理論において、オートガイネフィリアからトランス女性への移行というケースがあることが指摘され、それはトランスジェンダー性的指向(欲望のかたち)に目を向けさせる結果ともなった。

オートガイネフィリア自体に犯罪性はない。ただ、それと疑われる人の女性スペースでの振る舞いがX上に投稿されている。その人がトランス女性かオートガイネフィリアかその両方かまた別のものかはわからない。だがそこに敏感な「TERF」は反応する。一方、トランス女性と関連づけてオートガイネフィリアに言及すること自体が、「TRA」及びトランス当事者から見れば「トランス差別」である。

こうしてX上で、オートガイネフィリアは「TRA」と「TERF」の戦争の中核に投げ込まれている。

 

異色の”セカンドレイプ”告発映画『プロミシング・ヤングウーマン』

「映画は世界を映してる」第七回が公開されています。今回はエメラルド・フェネル監督、キャリー・マリガン主演の『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020)を取り上げてます(おおまかなストーリーに言及しています)。

 

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告発系の映画はちょっと苦手という人にもおすすめしたい異色作。加害者のみならず、それを放置したり被害を軽く見たりした周囲の男女にスポットを当てています。
ドラマでは被害者は既に亡くなっており、その親友の女性が主人公。一種の復讐譚ですが、それを超えた深さを感じさせるのは、ひとえに脚本の秀逸さによるものでしょう。
映像はスタイリッシュで、主人公を情緒的な共感視点では描いていない点も良く、一筋縄ではいかない展開はサスペンスフルで細部にも無駄がありません。

スッキリ!という後味ではないところも、非常に評価できると思います。
キャリー・マリガン、すごくいいです。

1973年に予告された悪夢の未来『ソイレント・グリーン』

いつもより遅めの更新です。
「映画は世界を映してる」第7回は、デジタルリマスター版が公開され話題の、往年のSF映画の傑作『ソイレント・グリーン』(リチャード・フライシャー監督)を取り上げてます。

 

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都市化にともなう自然破壊や公害問題、人口の爆発的増加など「人類の未来」に対して暗い予測と警告が出始めた1960年代末から1970年代を象徴するような作品。

 

以下、本文より。

50年前にここで描かれた、食料に関するもっとも残酷でおぞましい未来は、幸いなことに到来していない。人口増加の伸び率も、近年少し落ちてきたというデータがある。むしろ今後深刻な問題になるのは、気候変動による地球規模の災害だろう。

一方で、人工肉の開発・研究が進み、さまざまな合成食品が出回り、「食」が溢れた都市でも飢えた子どもや餓死者が出る現代、「ソイレント・グリーン」の悪夢の何割かは、足元に忍び寄っていると言える。この作品で興味深いのは、テーマもさることながら、1973年当時に想像された2022年の社会のさまざまな設定だ。

 

公開当時のイラストを用いたビジュアル (C) 2024 WBEI.

昔の映画のポスターのドラマチックなイラストがいい。

配信で見られます。是非!

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