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テレビっ子のライター“てれびのスキマ“が、昨日観た番組を記録する連載「きのうのテレビ」。バラエティやドキュメントの中で起こった名場面、名言、貴重な会話の数々を書き留めます。2020年から毎日欠かさず更新中。 『クレイジージャーニー』(6月5日放送) 特別編として、松本人志の盟友にしてキックボクシング界のレジェンドで51歳になった今も現役をつづけるカリスマ・立嶋篤史を特集。 32年前に高校生でデビューし全日本チャンピオンに輝き、当時のキック界では異例の1000万円プレイヤーになった立嶋。彼は『ガキ使』の大ファンで何度かフリートークを観に来ていたそうで、1994年ころから松本も立嶋の試合を観に行くなど交流があったそう。松本は立嶋を「だいぶ偏屈よ」と表現する。 立嶋のジムは、そのキャラクターのイメージを裏切らない昭和感あふれる佇まい。線路の真横にあり、彼の小さな声はかき消されてしまう。「僕、クレ
「大食い魔女」菅原初代さん死去、59歳 「3月9日深夜、菅原初代は永眠いたしました」
K-1の会場で配布されたチラシの記事に、「武尊選手と対談相手のスポンサー社長が延々と同じ発言を繰り返すミスがあった」と、Twitterで話題です。指摘を受けて、K-1の運営は公式サイトで謝罪しました。 表紙下段の文章からして「それに合わせて~」と、「それ」が指し示す内容もなしに始まる不自然さ(画像提供:小澤剣人さん) 中身は武尊選手の対談記事なのですが……(画像提供:小澤剣人さん) 2人が同じ会話を延々繰り返している(画像提供:小澤剣人さん) 武尊選手が「武尊さんとの対談を通して~」と、ひとごとのように(画像提供:小澤剣人さん) チラシは12月3日にエディオンアリーナ大阪で開催された、「K-1 WORLD GP 2022 JAPAN~初代バンタム級王座決定トーナメント~」で配布されたもので、K-1を運営するM-1スポーツメディアとスポンサー契約を結んでいるファーストパートナーズによる資料で
そう笑顔を見せる菅原。とはいえ、毎回かなりの量を食べているので、楽しいだけではないだろう。 『水曜日のダウンタウン』で一番大変だった企画は? 大変だった企画を尋ねると、「24時間、テレビに映った食べ物と同じものを食べる企画」という答えが返ってきた。これは、2018年にオンエアされたもの。菅原ら4人のフードファイターとプロレスラーチーム、芸人チームに分かれて競う。24時間、テレビを視聴し、番組に食べ物が登場したら、即座に調理が始まり、同じものが用意される。それをひたすら食べ続けるという企画だ。 「食べるのがきついというよりも、24時間耐久レースなので体力的にしんどかった。食べていない時は寝て休憩していましたが、すぐに食事が出てくるので、おちおち熟睡できない。でもスタッフの人はもっと大変だと思いますよ。なんせテレビに映った食べ物をすぐに手配しないといけないから。私たち以上に寝ていないでしょうね
THE MATCH2022の放送を予定していたフジテレビが『放送しない』となって業界騒然の騒ぎで実行委員会のRIZIN榊原さん、RISE伊藤さん、K-1中村プロデューサーと三者揃って記者会見を開いておりました。フジテレビの放送の向き合いは榊原さんのようで主に榊原さんが説明して質疑応答に応じておりました。三団体による実行委員会形式とはいえRISEとK-1は貰い事故感は否めず、記者会見にいる意味はあるのだけれどいるだけになっていて知らない仲ではないだけに災難だなと思うと共に中村プロデューサーが格闘技ライターとして取材をしてくれていた時代を知る僕としては出世したなと思って眺めておりました。元々は女子格闘技の取材に熱心なことで名を馳せる熊久保さんの弟子ですからね。 榊原さんのお気持ち表明的な何も言っていない会見ではあったのですが、感情に任せていつもに増しての榊原節で見ているこちらがハラハラしてしま
キックボクシングの“神童”RISEの那須川天心とK-1の絶対的エース・武尊の“世紀の一戦”が行われる6月19日の「THE MATCH 2022」(東京ドーム)について、地上波での放送を予定していたフジテレビが放送を見送ることが31日、決まった。当事者の天心、武尊から怒りとも落胆ともつかぬ声が漏れる中で、格闘技界からは様々な声が上がっている。 キックボクシングの“神童”RISEの那須川天心とK-1の絶対的エース・武尊の“世紀の一戦”が行われる6月19日の「THE MATCH 2022」(東京ドーム)について、地上波での放送を予定していたフジテレビが放送を見送ることが31日、決まった。当事者の天心、武尊から怒りとも落胆ともつかぬ声が漏れる中で、格闘技界からは様々な声が上がっている。 フジテレビは「6月19日(日)の『THE MATCH 2022』は、主催者側との契約に至らず、フジテレビで放送し
〈私はPRIDEと呼ばれる日本で最も有名なMMAイベントに参戦していたことを誇りに思っている元総合格闘家のイゴール・ボブチャンチンです。’98年から8年間、2ヵ月ごとに日本に行って闘いました。対戦相手は世界中の偉大な戦士たち。熱狂的な応援で私の勝利への意欲を高めてくださった日本の観客とファンのことは決して忘れません〉 ボブチャンチン(左端)は激戦地のハルキウに留まり、日々、市民や軍や病院などに救援物資を届けている 丸太のような腕を振り回すパワフルな戦いぶりで『北の最終兵器』と恐れられたボブチャンチン(48)はいま、ハルキウにいるという。ロシアのウクライナ侵攻後、日本でのエージェントだった川?浩市氏が連絡を取るも自宅、ジムとも不通。”オバチャンチン”の異名で親しまれていた名物通訳の娘・オルガさんを通じて、ようやくボブチャンチンの無事が確認された。川﨑氏が言う。 「オルガは首都・キーウで志願兵
多くの名選手を育てた木口宣昭会長(木口道場)が、9月12日に亡くなっていたことが29日(水)にNPO全国少年少女レスリング連盟の公式HPにて発表された。76歳だった。 同HPでは「国内の少年少女レスリングの黎明期から、普及、発展、そしてアメリカの少年レスリングとの交流など、永年にわたりご尽力を賜りました、木口宣昭氏が令和3年9月12日、享年76歳にて永眠されました。ご葬儀はご親族だけで営まれ、すでに納骨も終わられたとのことです」と伝えている。 木口会長は1944年11月8日生まれ。大学時代からレスリングを始め、1962年全日本学生選手権グレコローマンスタイル57kg級優勝、1969年世界選手権グレコローマンスタイル62kg級5位入賞、同年全米選手権大会グレコローマンスタイル62kg級優勝およびフリースタイル62kg級3位入賞などの実績を持ち、全米レスリング殿堂・優勝者刻印の栄誉を受けた。
◆東京五輪 ボクシング 女子フェザー級決勝(3日、両国国技館) ボクシングの女子が採用されて3大会目。新階級のフェザー級で入江が金、フライ級の並木も銅メダル以上を確定させた。躍進の要因を複数の日本連盟関係者に聞くと、18年の不正発覚で前会長の山根明氏が辞任したことで「前会長の“呪縛”から解放されたことが大きい」と口をそろえる。 前会長の意向で五輪強化費の配分は男子にほとんどが注がれ、「女子はオマケみたいだった」という。有望選手がいながら12年ロンドン、16年リオと五輪に選手を派遣できなかった。「将来が見えない」とアマチュアボクシングから身を引く選手も少なくなかった。 18年の新体制移行後は、前体制のガバナンスを問題視され、日本オリンピック委員会(JOC)からの交付金がストップ。現在は復帰したが、関係者は「当時はとても東京五輪に向けて強化できないとお先真っ暗だった」と話す。 新体制では強化費
【追悼】ジョシュ・バーネットがセンティアンノーイ氏、三浦建太郎氏を追悼「あなたは自分の炎の一部を与えてくれた。私たちはそれを燃やし続け、他の人たちにも伝え続ける」 2021年5月16日、ムエタイの伝説センティアンノーイ・ソールンロー氏が死去した。54歳だった。ムエタイの最高峰ラジャダムナン、ルンピニーの両スタジアムで王座を獲得し、国内外の強豪と戦った同氏は、引退後にジムを開設。日本からも多くのファイターがトレーニングに訪れている。 勝利後に相手にキスをすることから“殺しのキッス”の異名をもつセンティアンノーイ氏の悲報に、国内外から多くの追悼のコメントが寄せられている。なかでも、現地で自身が練習後、生徒たちも送り込んでいたジョシュ・バーネットは、SNSに長文の追悼コメントを寄せた。 本誌『ゴング格闘技』では、インタビューの際に、ジョシュが影響を受けた2人のクリエーター、センティアンノーイ氏と
格闘家の現役時代は華やかだ。大観衆の視線を集めてたびたびリングに立つ。だが引退後のキャリアは明確ではない。なぜ多くの格闘家がそのような状況に陥ってしまうのか。自身も現役引退後、1年間は無職を強いられたという大山峻護さんに聞いた――。 次のキャリアを歩み始めるまでに、約1年もの時間を要した いま筆者の目の前には、かつてセカンドキャリアで困難に直面し、人生の荒波に溺れかけた男が座っている。元総合格闘家の大山峻護さん(46)だ。 かつてPRIDEやK-1などのメジャー団体で、ミルコ・クロコップやピーター・アーツなど、当時の格闘技界を彩ったスーパースターたちと拳を合わせてきた大山さんも、2014年12月に現役を引退してから、次のキャリアを歩み始めるまでに、約1年もの時間を要した。 なぜ大山さんは、次のキャリアを歩み始めるまで1年もの時間を要してしまったのだろうか。プロの総合格闘家が、1年間で試合を
柔術ではよくあるけど、ここまでは久々に見た。 リアルキングクリムゾン。 #ブラジリアン柔術 #jiujitsu #BJJ #PassOut https://t.co/aWyQPN6XvU
9月16日(水)菅義偉(すが・よしひで)内閣総理大臣が誕生した。空手関係で初の総理大臣が誕生しただけに、空手の関係者やSNSなどからも喜びの声が上がる。菅総理は空手道推進議員連盟の会長を務めており、空手が東京オリンピック種目となった立役者の一人だ。 空手には様々な流派が存在するが、菅総理が所属したのは法政大学剛柔流空手道部。剛柔流(ごうじゅうりゅう)は空手の流派の一つで、沖縄三大流派の一つだ。開祖である宮城長順が1930年(昭和5年)に創始、その直弟子だった渡口政吉(とぐち せいきち)が1984年に大ヒットした映画『ベストキッド』の主人公の少年ダニエルの師・ミヤギのモデルと言われている。渡口氏は宮城開祖に学び、沖縄空手道剛柔流尚礼館(尚禮館)を1954年(昭和29年)に設立した。そして1963年(昭和38年)に法政大学剛柔会(現剛柔流空手道部)を創立、師範に就任すると、その7年後に菅氏が大
ボクシングの元世界4階級制覇王者フアン・マヌエル・マルケス(メキシコ)が23日、47歳の誕生日を迎えた。中量級で一時代を築いたメキシコのレジェンドは2012年、4度目の対戦でマニー・パッキャオ(フィリピン)に初勝利。強烈なカウンターで宿敵を失神させた。戦慄のKOシーンを、米興行大手・トップランク社が動画付きで公開すると、海外ファンに「歴史的な瞬間」「史上屈指のクレイジーなKO」と反響が拡大している。 【動画】「歴史的な瞬間」「クレイジー」と再熱狂! パッキャオが前のめりに…マルケスがカウンターで失神させた実際の映像 一瞬で勝負が決した。2012年12月に行われたラスベガス決戦。結末は6回だ。左ストレートを打ちに踏み込んできたパッキャオに対し、強烈な右カウンターで迎え撃ったマルケス。ドンピシャのタイミングで顎を捉えると、パッキャオは前のめりに倒れた。ピクリとも動かない。爆発的な一撃に観客は沸
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府や埼玉県が開催自粛を要請するなか、22日に決行された格闘技イベント「K-1」の観戦者から発熱症状が出たという報告が厚労省にあったことが23日、分かった。 政府関係者によると、さいたまスーパーアリーナ(さいたま市)でのイベントを観戦した1人が、その後、病院にかかったという。 関係者は「最寄りの保健所が不安に思い、同省に連絡を入れたと聞いている。患者はPCR検査に回った」と語った。 イベントは約6500人が観戦。主催者側は入場者にマスクを配り、万一、感染した場合に追跡調査できるよう、チケットの半券に氏名や住所、連絡先を記入させるなどの対応を取った。
立ち技系格闘技「K―1グランプリ」の初代王者ブランコ・シカティック氏が22日に亡くなったことが23日、分かった。65歳だった。シカティック氏が所属していたドージョー・チャクリキジャパンが明かした。 シカティック氏は、1954年10月3日、クロアチアのスプリトで生まれた。1993年4月30日に代々木第一体育館で行われたK―1グランプリに参戦し決勝戦でアーネスト・ホーストをKOで破り初代K―1王者となった。 強烈な右ストレートは「伝説の拳」と評される破壊力を誇り、94年12月に一度引退するが、97年3月のムサシ戦で現役復帰。K―1では11戦し6勝(6KO)5敗の戦績を残した。97年10月11日には東京ドームで行われた総合格闘技イベント「PRIDE.1」に参戦するなど総合格闘技のリングでも活躍した。 引退後は、クロアチアにジムを開設。さらに要人を警護する警備会社を経営しているほか、格闘技イベント
タイの首都バンコクは3月21日、市内のデパート(食料品店や日用品除く)や娯楽施設などの営業を3週間禁止すると発表した。それに先立ちタイ政府は入国規制の厳格化も発表した。これまで規制が比較的緩やかだったタイだが、地元当局がここにきて相次いで厳格な措置に踏み切っている。 その背景にあるのは、1週間前から始まった感染者数急増への危機感だ。そして急増の主要因の一つが、タイの格闘技「ムエタイ」競技場で発生した集団感染である。 「無観客措置」も手遅れ…格闘技で集団感染 体が衝突するたびにリング上に飛び散る汗。両手両足を使って様々な技を繰り出す選手たち。立ち技の世界最強格闘技といわれるタイ式のキックボクシング「ムエタイ」のワンシーンだ。 タイの国技である格闘技「ムエタイ」の二大殿堂の一つ、ルンピニー・スタジアムで3月6日に行われた試合で集団感染が発生していたことが分かった。 他の競技場でも感染が発覚し、
“熊殺し”空手家ウィリー・ウィリアムスさん死去 アントニオ猪木と異種格闘技戦で死闘 3枚 “熊殺し”と呼ばれた空手家ウィリー・ウィリアムスさんが7日に出身地の米国で死去したことが分かった。67歳。死因は心臓病。関係者が明らかにした。 身長196センチ体重100キロの体格を誇ったウィリアムスさんは極真会館の米国コネチカット支部で空手を学び、76年公開の映画「地上最強のカラテPART2」で熊と戦ったことで“熊殺し”と呼ばれるようになった。79年には極真会館の全世界空手道選手権で3位に入賞。80年2月には蔵前国技館でプロレスラーのアントニオ猪木と異種格闘技戦で対戦し、両者ドクターストップの死闘を演じた。 84年に師匠の大山茂氏が設立したUSA大山空手に移った後、空手選手を引退。だが、90年代には度々試合に出場し、91年には「USA大山空手VS正道会館5対5マッチ」で佐竹雅昭に判定負け。92年には
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