昭和天皇の皇后で上皇さまの母、香淳皇后の生涯をまとめた「香淳皇后実録」が2025年中に公開されることが、関係者への取材でわかった。08年から17年間にわたり編さんが続けられてきた。戦後に新憲法のもとで国民統合の象徴となった昭和天皇を支えるなど、香淳皇后が生き抜いた激動の時代を読み解く史料となる。宮内庁は3月の完成後、数カ月かけて天皇、皇后両陛下への奉呈本を制作する。奉呈後、情報公開対象の行政
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昭和天皇の皇后で上皇さまの母、香淳皇后の生涯をまとめた「香淳皇后実録」が2025年中に公開されることが、関係者への取材でわかった。08年から17年間にわたり編さんが続けられてきた。戦後に新憲法のもとで国民統合の象徴となった昭和天皇を支えるなど、香淳皇后が生き抜いた激動の時代を読み解く史料となる。宮内庁は3月の完成後、数カ月かけて天皇、皇后両陛下への奉呈本を制作する。奉呈後、情報公開対象の行政
2024年11月15日 7時49分 リンクをコピーする by ライブドアニュース編集部 天皇陛下の大叔母にあたる三笠宮妃百合子さま 15日に亡くなられたことが分かったと日テレNEWS NNNが報じた 1923年(大正12年)生まれで、皇室の中で最高齢の101歳だった は天皇陛下の大叔母にあたる、三笠宮妃百合子さまが15日午前6時32分、入院先の東京・中央区の聖路加国際病院で亡くなられたと発表しました。皇室最高齢の101歳でした。(誕生日:1923年6月4日) は天皇陛下の大叔母にあたる三笠宮妃百合子さまは15日午前6時32分、東京・中央区の聖路加国際病院で亡くなられたと発表しました。大正12年=1923年生まれで、皇室の中で最高齢の101歳でした。 百合子さまはことし3月3日に脳梗塞と誤嚥性肺炎で集中治療室に入院し、一般病室に移ったあとも心不全と診断され、療養を続けられていました。 今月7
聖武天皇の大嘗祭が営まれた大嘗宮跡=奈良市の平城宮跡で2024年3月17日午後0時18分、上野宏人撮影 奈良文化財研究所(奈良市)が平城宮跡近くで今春発掘した「大嘗祭(だいじょうさい)」に関係する木簡の中に、大嘗祭の中核をなす天皇と神が食事を共にする神事に使われる座布団や寝具を指すとみられる「神御茵(しとね)」と書かれた木簡片が見つかっていたことが分かった。周囲からはこの大嘗祭を行った聖武天皇(701~756)が儀式で使ったとみられるカシワの葉も出土しており、現存する文字史料より200年以上も前に既に中核の儀式が存在したことを示す証拠と言える。奈文研は22日から、出土した木簡を一般公開する。 大嘗祭は天皇が即位後初めて行う新嘗祭(にいなめさい)で、飛鳥時代の天武天皇から続く重要儀式。祖神が座るとされる「神座」と食卓をはさんで天皇が相対し、カシワの葉を編んだ容器に自ら供物を取り分けて食事を共
【日本語訳全文】チャールズ国王スピーチ「オカエリナサイ」 ジブリ作品、ポケモン、ハローキティにも触れ、ユーモアたっぷりに日英の友情たたえる イギリス時間の25日夜、ロンドン・バッキンガム宮殿で行われた国王夫妻主催晩さん会で、チャールズ国王がユーモアたっぷりに両国の友情をたたえたスピーチの日本語訳全文は以下の通りです。(原文は英語) **************** 英国国王陛下のスピーチ 天皇陛下を讃える晩さん会 2024年6月25日 天皇皇后両陛下 今宵、両陛下をバッキンガム宮殿にお迎えできることを、私と妻は大変嬉しく思っております。わが英国へ「お帰りなさい」。 両陛下、私たちのパートナーシップには長い歴史があります。400年以上もの間、日英両国は互いに刺激を与え、互いの経験から学び、いろいろな要素を取り入れたり共有したりしながら、産業や、料理や、文化を豊かにしてきました。私たちの趣味で
奈良市にある平城京の跡地から、ちょうど1300年前の聖武天皇即位の儀式を記した記録・木簡が発見されました。 奈良市の平城宮跡の穴から見つかったのは、奈良時代に書かれた木簡、約1000点です。奈良文化財研究所が、去年10月から穴の発掘を始め、木簡を発見。土を洗い流していたところ、「大嘗分」と書かれた木簡が複数見つかりました。 「大嘗祭」とは、天皇の皇位継承にまつわる儀式で、いまの天皇陛下ご即位の際も執り行われました。国や民の安寧や農作物が豊かに実るよう祈る儀式ですが「秘儀」として、その全貌は皇室の外には明かされていません。 今回見つかった木簡は、今からちょうど1300年前、724年に聖武天皇が即位した際の「大嘗祭」に関する記録です。木簡には、聖武天皇の「大嘗祭」の為に運ばれた品々、「炭」や「魚」などの文字が確認できました。 今回の発見は、1300年前も今と同じく「大嘗祭」が執り行われていた考
--この1年、明るい話題があった一方、新年には能登半島地震が発生し、多くの方が亡くなり、避難生活を余儀なくされています。この1年を振り返って、印象に残る出来事をお聞かせください 「年明けから間もない今年の元日の夕方に発生した能登半島地震は、お正月に家族で集まっていた多くの家庭を襲い、大勢の方が亡くなり、また、けがをされたり、住まいを無くされたりしました。今回の地震に見舞われた能登地域は、雅子も私も、それぞれ学生時代に訪れて、思い出深く思ってきた地域であるとともに、昨年10月に、二人で揃(そろ)って金沢市を訪問し、県民の皆さんに温かく迎えていただいたことが特に心に残っており、その石川県において、多くの方が犠牲となられ、今なお安否が不明の方がいらっしゃることや、避難を余儀なくされている方が多いことに深く心を痛めております。亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、御遺族と被災された方
【愛知県の皇室伝承】9.見れば神罰が… 謎の南朝皇族「久丸王」に由来するらしい極秘の神事「寝祭」(田原市) 極秘の神事「寝祭ねまつり」 毎年、旧正月が迫ってくると、愛知県田原市の神戸かんべ地区の辻々で「寝祭ねまつり」の実施日を知らせるための看板が見られるようになる。 令和五(二〇二三)年一月中旬、筆者撮影 寝祭とは、地元の久丸ひさまる神社から神戸大宮神明社までの三百メートルほどの間を神職たちの行列が渡り歩くという伝統的な神事である。旧正月を迎えて最初の巳の日を過ぎてから初めの申と酉(※巳の日を待たずに催行するとよくないらしい)の二日間にかけておこなわれる。 さて、この行例は昔から、誰も見てはならないとされてきた。もしもこれを目にしたならば、恐ろしい災いが身に降りかかると伝えられる。話によると、過去に大勢の者が、盲目になってしまったり、熱病に侵されてしまったり、発狂してしまったりしたそうだ。
上皇さまは23日、90歳の卒寿の誕生日を迎えられた。お住まいの赤坂御用地にある仙洞(せんとう)御所や、皇居内の生物学研究所でハゼのご研究を継続。過去に執筆した論文の再検証に意欲的に取り組まれている。今年は新型コロナウイルス禍が落ち着きを見せ始め、上皇后さまとともに展覧会などに外出される機会もあった。 「今日は、何をしますか」。週2回、生物学研究所に通われている上皇さま。宮内庁の林公義・上皇職御用掛によると、到着するとすぐに、その日のスケジュールを尋ねられる。自ら顕微鏡で標本を観察し、ソファから立ち上がってモニターの画面を指さし、意見を述べられることも。林氏は「今も、現役の研究者として意欲を持ち続けられている」と話す。 上皇さまは現在、職員や他の研究者と2つのテーマで研究を進められている。チチブ類と呼ばれるハゼの研究では、フィールド調査を行うことなどをご提案。また、昭和55年に論文化した「日
秋篠宮皇嗣殿下のお誕生日に際してのご近影 お写真 ビデオ 秋篠宮皇嗣殿下の記者会見 令和5年11月27日(月) 問1 お住まいについてお伺いします。秋篠宮邸の改修にあたり、ご家族で相談をされ、宮邸改修後も佳子さまが分室で生活をされることになった経緯や、当初の計画からの変更点について公表されなかった理由をお聞かせください。宮邸の改修費用をはじめ、佳子さまが分室にお住まいの事実を公表するまでの経緯やタイミング、説明内容をめぐっては国民の間でも様々な意見がありますが、殿下のお考えをお聞かせください。国民の理解を得るためにはどのような対応が必要だとお考えでしょうか。 今の御質問にあった私たちの住まいについてですけれども、まずお話をしておくのがいいかなと思うのは、住まいというと住んでいる場所、つまり居住区になります。今回の改修というのは、その住まいの部分と、それから来客の応対をしたり、それから私たち
上皇ご夫妻は、今月14日から5日間の日程で、京都と奈良を訪問されることになりました。 宮内庁によりますと、上皇ご夫妻は14日午後、京都に到着し、15日には平安絵巻の行列が都大路を練り歩く「葵祭」の行列を見たあと、皇室ゆかりの寺として知られる京都市の大聖寺門跡を訪問されます。 大聖寺門跡には、明治天皇の后の昭憲皇太后が宮中の重要な儀式で身につけていたとされる最高位のドレスの「大礼服」が、5年の修復を経て保管されていて、上皇ご夫妻は修復にあたったメンバーから説明を受けながらご覧になります。 16日からは臨時専用列車で奈良に移動し、17日に奈良県斑鳩町の中宮寺や、天理市にある「なら歴史芸術文化村」を訪問されます。 このうち、中宮寺ではおととし3月に修繕を終えた本堂で拝礼を行い、翌18日に東京に戻られる予定です。 側近によりますと、上皇ご夫妻は大礼服の修復と中宮寺の本堂の修繕を支援していて、修復と
令和4年12月23日:上皇職 上皇陛下は、今年、89歳のお誕生日をお迎えになります。 令和2年3月の仙洞仮御所(港区高輪)へのご移居を経て、本年4月、旧赤坂御所である仙洞御所にご入居になり、ご準備も含めた足かけ3年に及ぶ皇居からのご転居を終え、平成5年12月まで33年余お住まいになった思い出の地にお戻りになりました。 この一年もまた、新型コロナウイルスの感染拡大が続き、東京大学医学部附属病院及び皇居内の宮内庁病院、生物学研究所を除き、今年6月に沖縄復帰50年記念特別展「琉球」、「沖縄復帰50周年記念特別展・公文書でたどる沖縄の日本復帰」、12月に学習院大学史料館で開催された特別展「ある皇族の100年―三笠宮崇仁親王とその時代―」をご覧になった他、外へのお出ましはありませんでした。 陛下は、これまでと同様に、上皇后さまとご一緒に、静かに穏やかな日々を規則正しくお過ごしです。 毎日、ご起床後に
令和4年10月20日:上皇職 上皇后さまは、今年、米寿をお迎えになります。 本年4月、約2年間お住まいになった港区高輪の仙洞仮御所から赤坂の仙洞御所にお移りになりました。ご移居当日は、港区長はじめ周辺自治会長等のご挨拶、ご交流のあった保育園児や多くの地元の人々のお見送りを受けられました。 ご散策の途中でしばしばご交流になった近隣の人々、木々や花々に彩られたお庭の四季の移ろいなど、高輪で過ごされた日々は、静かで温かな地元の人々の迎え入れへの感謝の思いと共に、これからも懐かしい大切な思い出として振り返えられることと思います。 保育園児から贈られた園児の摘んだ「ふうせんかずら」の種は、いま仙洞御所で大切に育てられています。 この一年も、新型コロナウイルスの感染拡大が続きました。 特に、本年は年初から新規感染者数が急増し、2月には全国で10万人を超える第6波、7月には20万人を超える第7波による爆
皇室の美と広島-宮内庁三の丸尚蔵館の名品から- The Beauty of the Imperial Household in Connection with Hiroshima: The Masterpieces of the Museum of the Imperial Collections, Sannomaru Shōzōkan 特別展 2022年9月16日(金) ~ 2022年10月30日(日) 本展では、 宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の名品から 、昭和の大礼を彩った屏風や各種の御慶事で記念品として作られた愛らしいボンボニエールをはじめ 、 江戸時代の絵師として人気の高い伊藤若冲の作品 、 平清盛 ・ 重盛親子にまつわる作品や広島藩主浅野家伝来の作品 、そして児玉希望 、六角紫水 、清水南山 、平山郁夫といった近現代の出身作家らによる作品などを紹介します 。 また、 広島県立美術館から
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