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倫理に関するshibusashiのブックマーク (4)

  • 「否定論」への「寛容」はありえない  - 過ぎ去ろうとしない過去

    インターネットがコミュニケーションのあり方を革命的に変容させるのだ!というITピューリタン的発想にはまったく組しないのだが、もし、インターネットがわれわれの生活世界におけるコミュニケーションに影響を与えているとするなら、それは、「無知」がますます言い訳として通用しなくなったということがあげられるかもしれない。誰でも簡単に情報にアクセスできることは、「無知」であることと「悪」であることの区別をつきにくくしている*1。たとえば、われわれは、専門的な研究会に出席したり、難解な学術書をいくつも読みこなしたりせずとも、1クリックで南京大虐殺があったということを知ることができる。また、その否定論が、いかにロジックとして稚拙であり、学問的な真剣さに事欠いているかを知ることができるのである。 さらに、その否定論が打ち出す「南京問題」なるものが、いかに中国に対する蔑視感情と自民族中心的なナショナリズムを背景

    「否定論」への「寛容」はありえない  - 過ぎ去ろうとしない過去
    shibusashi
    shibusashi 2010/04/03
    ”南京問題”から離れて考えてみた場合はどうなんだろう?→あるありふれた議題に対する自分が正しいと考える考えに対し、反対の意見(否定論)の発言は認めるんだろうか。
  • 長期脳死、本人の意思表示@参議院での発言 - kanjinaiのブログ

    てるてるさんが、参議院厚生労働委員会7月7日の私の発言をまとめてくださいました。以下に貼り付けます。(細部の確認はネット中継をご覧ください) 参議院中継を実際にご覧になる方はおそらく少ないでしょうし、新聞などのメディアもほぼ報道しません。残るルートは、ネットだけです。コピペ自由です。 森岡正博 わたしは、衆議院提出B案の原案となった、いわゆる森岡杉案の提唱者のひとりでございます。 内容としましては、おとなについては現行法のまま、 こどもについては、こどもにも意見表明の機会を与える、という案であります。 参議院におきましては、個人的には、E案に親近感を抱いております。 きょうはおもにA案に対して疑問点を述べさせていただきます。 まず第一点でありますが、これは親族優先提供であります。 A案の親族優先提供の条項は、削除すべきであると思います。 たとえば英国では、提供先の指定はガイドラインで禁止

    長期脳死、本人の意思表示@参議院での発言 - kanjinaiのブログ
    shibusashi
    shibusashi 2009/07/11
    『この迷う自由を人々から奪ってはなりません。 迷う自由を保障するもの、それこそが、本人の意思表示の原則であります。』
  • 本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080915/p1 inumashさんの議論については様々な問題があります。質的なところでは http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080404/p1 につきるのですが、あれから全然反省しているようには見えませんね。まあいいでしょう。 何故「自称中立」か?については極めて簡単な解答がだせて、つまりたとえばこれが歴史修正主義の問題だったらどうか考えればいいのです。 南京大虐殺があったというのは自明です。しかし、それに対する否定論に我々はどう対処すればいいのでしょうか。ホロコースト否定論についてはもうはっきりしていて、無視すればいい。なぜなら否定論と議論すること自体が否定論が論として成立していることを認めることになるからです。 http://d.hatena.ne.jp/rna/20080104/p1

    本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去
    shibusashi
    shibusashi 2008/11/18
    何だこの文章?”自明”の叩き売りだね。これじゃ”自明”がかわいそうだよ。人はどこに無条件に価値を見出すのか?社会は人類は西洋文明は無条件にどこに価値を置き、そこから論理展開しているのか?
  • 倫理の根拠とお水のセカイ(本編) - 赤の女王とお茶を

    こちらの編。 まだまとまりきっていない話ですし、分かりやすくかけるか怪しいところですが。 「水伝」など多くのニセ科学批判の文脈で基となる考え方の一つに、「科学は倫理を与えない」というものがあります。あるいは、「である」は「べき」を導かない。ヒュームの法則、または自然主義の誤謬、とも表現します。 科学はセカイが”How”「どのように」「ある」かを明らかにするものであって、どのようにある「べき」か、つまり倫理や規範を定めるものではない、ということです。もちろん、ゴーヤの佃煮を作るときは五倍酢をつかう「べき」だ、コーヒー豆は封を開けたら冷蔵庫にいれる「べき」ではない、というように、ある状態を達成するための手順について科学が「べき」を与えることはあります。 しかし、どう生きるか、のような根源的なレベルにおける、向かうべき「目的」を科学知識そのものが規定することはないよ、というのが科学的思考にお

    倫理の根拠とお水のセカイ(本編) - 赤の女王とお茶を
    shibusashi
    shibusashi 2008/11/18
    へーなるほどなー。根源的な倫理・規範の箇条書きとかどっかにないかな。
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