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<対談>弱小チームから日本一への道
渡辺公二・日本体育大学陸上競技部特別強化委員長
VS 水野彌一・京都大学アメリカンフットボール部前監督
【『致知』http://www.chichi.co.jp/ 2013年6月号、p22 】
【水野】 今年の正月の箱根駅伝は日本体育大学が三十年ぶりに総合優勝しましたが、お聞きしたところによると、渡辺先生がコーチとして招聘(しょうへい)され、1年で優勝に導かれたそうでうね。
【渡辺】 いま私は75歳なんですが、70過ぎたらもう指導者をやめるつもりでした。家内からも「これからは人を育てるより、家で野菜を育てて」と(笑)。
ところが、2012年の箱根駅伝では日体大が襷(たすき)を繋ぐことができず、結局、創部史上最低の19位に終わったんですよ。別府監督は私が40年間監督を務めた西脇工業高校時代の教え子なんです。また、日体大は私の母校でもあって、そんなことから私に指導の話がきました。
【水野】 昨年は襷を繋げず、今年は優勝というのは、一体どういう指導をされたのですか。
【渡辺】 いや、大したことは何もしておりません。4月に、まずは2週間という約束で横浜まで練習を見に行きました。合宿所で一緒に寝泊りしたのですが、選手たちは夜中の12時近くまで起きている。古い木造二階建ての寮でしたから、話し声が聞こえるんですね。これじゃいかんと思って、結局そのまま8月いっぱいまで住み込んで、夜10時半消灯、朝5時半起床、これを徹底させました。
【水野】 まずは生活規律を正されたのですね。
【渡辺】 はい。また、驚いたのはグランドへ行ったら、立派なオールウェザー(全天候型)なんです。ところが、もう草が茫々(ぼうぼう)。「おまえたちは入学してからグランド整備したことあるか?」と聞くと「一回もありません」と。
私は「陸上で一番大事なのはグランド整備。次が生活態度、その次が目標、目的を持った練習なんだ」と言って、毎朝15分間のグランド整備を始めました。練習メニューは監督に一任して、私は口出ししない。ただ、態度が悪いとかだらしない時にはとことん注意しました。学生には煙たがられたと思いますよ。
でも、徐々に記録が伸びていった時に初めて「ああ、先生は僕のこと考えて叱ってくれたんや」と分かってくれたようです。最初は食堂なので顔を合わせると避けていた学生たちも次第に向こうから声を掛けてくれるようになりました。
まあ、もともと力は持っていたと思います。けれど、だらしない生活で、魂がないような練習しかしてなかった。そこを変えていったというだけですよ。
渡辺公二(わたなべ・こうじ)――昭和13年福岡県生まれ。35
年日本体育大学卒業。43年兵庫県立西脇工業高等学校に赴任。全
国高校駅伝の男子で最多の計8回優勝し、小島宗幸・忠幸兄弟など
を輩出。女子でもシドニー五輪女子マラソン7位の山口衛里らを育
てた。平成10年に停年退職してから体育の臨時講師として同校を
指導。24年から現職。
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<対談>弱小チームから日本一への道
渡辺公二・日本体育大学陸上競技部特別強化委員長
VS 水野彌一・京都大学アメリカンフットボール部前監督
【『致知』http://www.chichi.co.jp/ 2013年6月号、p22 】
【水野】 今年の正月の箱根駅伝は日本体育大学が三十年ぶりに総合優勝しましたが、お聞きしたところによると、渡辺先生がコーチとして招聘(しょうへい)され、1年で優勝に導かれたそうでうね。
【渡辺】 いま私は75歳なんですが、70過ぎたらもう指導者をやめるつもりでした。家内からも「これからは人を育てるより、家で野菜を育てて」と(笑)。
ところが、2012年の箱根駅伝では日体大が襷(たすき)を繋ぐことができず、結局、創部史上最低の19位に終わったんですよ。別府監督は私が40年間監督を務めた西脇工業高校時代の教え子なんです。また、日体大は私の母校でもあって、そんなことから私に指導の話がきました。
【水野】 昨年は襷を繋げず、今年は優勝というのは、一体どういう指導をされたのですか。
【渡辺】 いや、大したことは何もしておりません。4月に、まずは2週間という約束で横浜まで練習を見に行きました。合宿所で一緒に寝泊りしたのですが、選手たちは夜中の12時近くまで起きている。古い木造二階建ての寮でしたから、話し声が聞こえるんですね。これじゃいかんと思って、結局そのまま8月いっぱいまで住み込んで、夜10時半消灯、朝5時半起床、これを徹底させました。
【水野】 まずは生活規律を正されたのですね。
【渡辺】 はい。また、驚いたのはグランドへ行ったら、立派なオールウェザー(全天候型)なんです。ところが、もう草が茫々(ぼうぼう)。「おまえたちは入学してからグランド整備したことあるか?」と聞くと「一回もありません」と。
私は「陸上で一番大事なのはグランド整備。次が生活態度、その次が目標、目的を持った練習なんだ」と言って、毎朝15分間のグランド整備を始めました。練習メニューは監督に一任して、私は口出ししない。ただ、態度が悪いとかだらしない時にはとことん注意しました。学生には煙たがられたと思いますよ。
でも、徐々に記録が伸びていった時に初めて「ああ、先生は僕のこと考えて叱ってくれたんや」と分かってくれたようです。最初は食堂なので顔を合わせると避けていた学生たちも次第に向こうから声を掛けてくれるようになりました。
まあ、もともと力は持っていたと思います。けれど、だらしない生活で、魂がないような練習しかしてなかった。そこを変えていったというだけですよ。
渡辺公二(わたなべ・こうじ)――昭和13年福岡県生まれ。35
年日本体育大学卒業。43年兵庫県立西脇工業高等学校に赴任。全
国高校駅伝の男子で最多の計8回優勝し、小島宗幸・忠幸兄弟など
を輩出。女子でもシドニー五輪女子マラソン7位の山口衛里らを育
てた。平成10年に停年退職してから体育の臨時講師として同校を
指導。24年から現職。
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