海軍には「特攻」の下地は初めからあったのかもしれない。開戦劈頭(へきとう)の真珠湾で、甲標的による特別攻撃のようなことが行われていたからだ。甲標的とは二人乗りの特殊潜航艇だ。海軍は真珠湾攻撃の時に、甲標的を潜水艦に搭載してハワイ近海まで運び、それを真珠湾に突入させた。 . . . 本文を読む
「(前略)君も日本人だったら一応仔細に出品されてゐる機械をよく見給へ。全部外国製ではないか。日本人の手に成った機械が一つでもあるか。君は口惜しいとは思はんか。僕は胸が沸き立つやうに残念だ。だから何か一つ便利な機械を発明しようと思つて見学に来てゐるんだ。それがどうして不都合なのだ!」(『豊田佐吉傳』) . . . 本文を読む
14世紀の中国に中峰(ちゅうほう)という禅者がいました。中峰は次のように禅の定義を行った優れた人物です。《禅とは心の名なり、心とは禅の体(てい)なり》。心というのは本心であり本性です。禅とは本心であり、その一つの修行方法が坐禅なのです。 . . . 本文を読む
われわれは、もともと自分勝手なものの見方や考え方をしている。たとえば、銀座の裏通りなどを車で通っていて、「歩行者はもっと車に気をつけて、よけてくれなきゃ危いじゃないか」と思ってハンドルをにぎっていた人が、いったん車を駐車場に置いて通りに出たとたん、「こんな狭いところを、車で走らなくてもいいじゃないか。わがもの顔で通らずに、もっとおとなしく運転しろよ」という立場に一変するのである。 . . . 本文を読む
「リンゴ1個たすバナナ1本は、いくつですか」。公式旅程に組み込まれた学校視察は退屈だ。お膳立てが過ぎて、きれいごとばかり目に障る例が多い。それで「リンゴとバナナ」問答を思いついた。部下たちは、またエミコの壊れたレコードが回りだしたぞ、とクスクス笑いながら応援してくれた。 . . . 本文を読む
学校の算数の時間に「リンゴ3つとミカン3つを足すと、全部でいくつになるか」といった問題が出たそうです。それに対して、聡明(そうめい)な娘さんの答えは、「そもそも異なるモノを足せるわけがない」。それを聞いて先生は怒り、娘さんは泣き出したというのです。 . . . 本文を読む
つまり釈迦は、今まで自分が幸福だと思っていたものに、むなしさだけを感じてしまったのであろう。伝道の書と言い、釈迦と言い、そのそもそもの初めには虚無があったということに、わたしは宗教というものに共通するひとつの姿を見た。わたし自身、敗戦以来すっかり虚無的になっていたから、この発見はわたしにひとつの転機をもたらした。 . . . 本文を読む
靖国神社といえば、鳥居をくぐって右側に遊就館(ゆうしゅうかん)という博物館がある。明治15年に開館式が行なわれ、以後、補修や改造が加えられてきた。識者のなかには、戦争を鼓舞(こぶ)する展示館のようにいう人があるが、私はそうは思わない。主観の強すぎる人は別にして、私などかなり貴重な展示品を擁(よう)する博物館と見ている。 . . . 本文を読む
常識を超えなければ身動きがとれない時代がやって来た。爛熟期を迎えた今日、経済も技術も交通も教育も解決が得られそうにない大問題を抱え込み、根本から点検を余儀なくされていることは周知の事実であるが、私はそれらの行き詰りの原因の一つとして、今日の「常識」に問題があることに気づいたのである。 . . . 本文を読む
本来、拠って立つべき歴史的な縦軸は悠久の歴史伝統に根ざす。だから苦難に耐え、倒れることを知らない。希望に向かって永遠に伸びていく。あえて漢字で表せば〈聖〉だとも書いた。ビジュアルなイメージを描くなら、伝統という地面にしっかりと根を張り、天上へと永遠に伸びてゆく太い樹木。そうした垂直次元の聖なる縦軸こそ、保守すべき「歴史的な縦軸」である。 . . . 本文を読む
経済は繁栄(はんえい)したけれども、いまだ国軍すらないから隣国(りんこく)に国民を拉致されて、されたまま救(すく)えず、憲法(けんぽう)はアメリカが原案を英語でつくったまま、そして子が親をあやめ、親が子をあやめ、さらにいじめられた子が自殺する。そういう国に成り果ててしまいましたと、この英霊に言えるのか。 . . . 本文を読む