「秦野局区内丹沢山札掛」。こんな『住所』があるのをご存じだろうか。ホームページ上などで、この『住所』を掲載しているのは、清川村の山あいにある国民宿舎「丹沢ホーム」。正式な住所は「清川村煤ケ谷(すすがや)五一七二」だが、なぜ宿舎の宛名(あてな)が「秦野」なのか。取材してみると、山間部特有の事情が見えてきた。 不思議な宛名の理由を聞きに、まずは丹沢ホームに向かった。秦野市街地から約三十分かけて、県道を十数キロ北上し、ヤビツ峠を越えて間もなく、丹沢山のふもとの宿舎に到着した。出迎えてくれた経営者の中村道也さん(59)から受け取った名刺を見ると、やはり「秦野局内丹沢山」の文字があった。 「正式な住所ではないんですが、この宛名でないと、郵便の配達に面倒が起きることがあるんですよ」と中村さん。聞けば、秦野市側に近い丹沢ホーム周辺の「札掛地区」だけは、清川村内を管轄する厚木北郵便局ではなく、秦野郵便
2007年06月16日 縮景園の昔の写真 カテゴリ:広島らしさ 先日、母が昔の写真を持ってきて、見せてくれました。 中に、面白い写真を見つけました。 『縮景園(しゅっけいえん)』の昔の写真(昭和20年代ころ)です。 縮景園は広島城内の庭で、家老の上田宗箇が造りました。 上田宗箇は、徳島の千秋閣庭園、和歌山城西の丸庭園などを手がけ、築城においても和歌山城、名古屋城本丸・・・と、石垣の石組みの技術は、当時も高く評価されていました。 上田宗箇は茶人で、千利休に学び、利休の死後は古田織部についたと言われています。 上田宗箇が始めた流儀「上田宗箇流」は、広島の武家茶の代表です。 見えにくいですが、写真中央に広島城が見えます。 もちろん、今写真を撮っても、庭の向こうはビルしか写りません。 悲しいことに、現在の庭は、庭から一歩出たところに高層の建物とかが建つところが多いです。 庭を作る人は、庭園内の景色
このブログで、何げなく台湾台湾と書いてきているけど―― よくよく考えると、台湾では繁体字中国語が使われているのだから、 実際には台湾人は台湾のことを「臺灣」と書くのかなと思うんだけど、 日常的にはそうでもないことに気がつく。 確かに、正式な名称では難しい字「臺灣」で書かれていることが多いよ。 かといって、すべてが「臺灣」で書かれるわけじゃなくて、 「臺」を「台」というふうに簡単な漢字にして、「台灣」と書く人もいるよ。 もちろん、「台湾」と書く人もいる。 台湾の表記については、「臺灣」「台灣」「台湾」のバリエーションがあるみたい。 ただ、「臺湾」という組み合わせはないみたい。 ちなみに、きょう現在で、繁体字中国語のサイトということに絞ってググると、 「臺灣」は、4,110,000件、 「台湾」は、262,000件、 「台灣」は、17,900,000件、 「臺湾」は
木簡字典がおもしろい 奈良文化財研究所のWEBサイトに「木簡画像データベース:木簡字典」がある。この検索機能をつかって、木簡に記された魚や貝、水産加工食品が贄や調の目的で海や川や湖で漁獲されたり、干したり、発行させたり、塩漬けなどに加工されミヤコに輸送されたようすを知ることができます。 MANAとしての興味は、古い昔の漁業漁村のようすを想像する楽しさに興じることもできるばかりか、もうひとつ、古代中国から日本列島にすむ人々に移入されるた魚偏漢字の原型の姿を求めて、木簡に筆書きされた墨蹟を知ることができる宝の山がそこにはあるのです。そして、現代のIT社会の恩恵によって、こんなものまで机上のPC画面上に、さまざまな種類の木簡画像を映し出して見ることができるのようになったのかに驚いた。 ざっと、あっとランダムに検索語を打ち込んで、ヒットする語を次にあげてみましょう。 魚貝類……魚、年魚、鯛=多比:
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